「開かれた家」をつくる(1)

中古の家を買おうと物件を探し始めてから、「開かれた家」ということを考え始めていた。かと言ってアメリカの家のようにホームパーティがやりたいというわけではない。イメージ的には古田織部が茶室でやろうとしていたことに近い(といっても古田織部のような贅沢を大金持ちでもない一個人がやれるわけではないが)。

茶室というと今では、4畳半に躙り口というイメージが固定化されていて、ちょっと堅苦しく感じるので、いわゆる茶室を作りたいというわけではない。茶の湯を楽しむ場所が欲しいということでもない。あくまで古田織部が新しい茶室や茶の湯を作ろうと色々試行錯誤していたことに惹かれるということだ。

日本の家が外部から閉ざされるようになって久しいが、それとともに地域コミュニティもどんどん壊れていき、地縁がなくなると、もともと血縁社会でない日本人はどんどん孤立していき、そのために色々なものをお金で解決しないといけなくなり、いざ何かあったら(病気、リストラ、自然災害等)それまでの生活が崩壊するような状況になっている。

そんな時代にあって家をまた新たなコミュニティの創造のきっかけにできないかと考え始めたのが「開かれた家」というアイデアに至った理由である。コミュニティといっても地縁に基づくコミュニティを再興できるとは思わないし、それを追求するわけではない。むしろ地縁よりゆるく、出入り自由なコミュニティでなければならないと思う。

最近ではマンションでも住民による管理ができないとマンションそのものの価値が下がるということで、自分たちでコミュニティを作ろうという動きもあるけど、それはそのマンションだけの話で拡がるかどうかはわからない。でも損得勘定からスタートしてもコミュニティができると損得勘定以上のものになるのも確かなので、それはそれでよい兆しではある。

では、私が考える「開かれた家」とは何だろうかと改めて考えてみる。

1)家の中に外に開かれた部屋が存在する。あるいは開きやすい空間が存在する。これが茶室のように客を招く空間のようにしたいというのが1つめ。

2)古田織部が長谷川等伯等に依頼していたように、この部屋の空間をアーティストの力で他の生活空間から少し違った感じ(できればOne and Onlyな感じ)にしたいというのが2つめ。古田織部の時代なら、それなりの金持ちでなければ実現できないだろうけど、アーティストが沢山いる現代の日本でなら、それほど贅沢ではなく、少しいい車を買うという感じでできるのではと思う。(やってみないとわからないが)

3)この空間に入ると日常から少しだけ離れて、今・ここを意識できることというのが3つめ。住宅という日常そのものの中にある非日常的空間とでもいうべき場所。これを2)でも触れたようにアーティストの力で実現する。

4)定期的にこの空間を使ったイベントとかを実施して、ここをベースに新たなコミュニティができるようにするというのが4つめ。そして家にこういう空間が欲しいという人が増え、そこを起点にまたコミュニティが拡がるのが理想である。まあ1)、2)、3)はすべてこの4)を実現するためにあるといってもいいんだが。

まずは1)のようにできる部屋がある物件を探す、あるいはリフォームしてそのような部屋をつくり、2)は知り合いの現代美術家に依頼するということを考え、物件を探し始めた。

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