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銀の剣を研げーー言葉のオリジナリティ

こんにちはー、灰色です。

勢いで始めてみました、灰色がなんかそれっぽいこと言うコーナー。記念すべき、ってわけでも別にない初回のテーマは、言葉についてです。


私が心がけていることのうち特に大きなものの一つに、できる限り自分の考えた言葉を使いたいということがあります。

言い換えれば、言葉で人の真似をしたくない、一般的で他の人も言っていることを繰り返したくない……とかそんなことです。流行語とかがあんまり好きじゃないのもこのせいですね。

また斜に構えた中二病トークかよと思われた方、カッコつけんなよと思われた方、その通りですんでどうぞウィンドウを閉じてTwitterにお帰りください。そして私とあなたは相性が致命的に悪いんで今後はお互い一切関わらずにやっていきましょう。

話を戻します。私がこだわっているものは、大げさに言ってしまえば言葉のオリジナリティです。他人に何かを伝えるとき、あるいは自分自身で思考するときに、己の意思で選択した言葉を用いることを心がけている、とも言えます。オリジナリティとはいっても、奇怪で意味不明な単語を新たに生み出すわけではありません。

その一方で、言葉によって目立とうという意識もありません。大仰なタイトルを付けたりヘンテコな言い回しをこねくり回すのは私の悪癖ですが、それ単体で目立とうという意識は少なくとも持たないようにしていますし、たびたび自戒しています。

ただし、他人と同じこと、自分でなくても言いそうな言葉をそのまま出力することには、強烈な忌避感があります。

なぜなら、それを言うのが私である必要がないからです。

もっと踏み込んで言ってしまいましょう。

他の誰かに同じことが言えるなら、私はいる必要がないのです。

念のため強調しておきますが、これはあくまで私が私自身に対してだけ課していることであって、決して他人に当てはめて批判するための持論ではありません。自分自身の存在意義についての話です。

思い込みが強すぎる、自意識過剰だと言われてしまえばそこまでかもしれません。ただ、これだけ極端な思想を持つようになったのには、自分なりに理由があります。

詳細は省きますが、私はいわゆるデジタルネイティブの走りにあたる世代でして、思春期の最初から最後までをインターネットキッズとして過ごしました。最近Twitterでインターネット老人会というのが流行ってますが、さしずめ私はインターネット後期高齢者かインターネット古代人というところでしょうか。ゲームの公式サイトの掲示板とかに棲みついていました。

なんでこんな話になったかというと、当時のネットでは匿名・顔出しなしは勿論のこと、肩書きや属性、性別に至るまでを伏せておくのが一般的でした。大多数が完全な名無しというほど極端だったのはそれこそ当時の2ちゃんねるなど一部に限られますが、それ以外でも本名を名乗るケースというのは稀でした。ボイスチャットというのも、少なくとも私の交流範囲では一般的ではなかった記憶があります。

そんな場で、何の能力も持たず、金も技術もなければ絵も物語も創作できない私にとっては、文章が唯一の自己表現手段でした。チャットなどの場も考慮すると、まとまった文章のみならず、もっと広く言葉そのものと言っていいでしょう。

何か面白いことを言わなければ、その他大勢と同じになる。

何か変わった視点を示さなければ、他人と違うことを語らなければ、自分は誰からも個として認識されない。

個として認識されないということは、いてもいなくてもいい、いなくても同じということだ。

無意識のうちに、そういった考えが心に染みついていきました。私にとって、他に何も表現方法がない仮想空間で言葉まで他人の真似をすることは、個としての自分を薄めて存在意義を否定する自殺行為でした。

この思想は、程なくしてオフラインの私のことも支配していきます。そもそもが、外見も良くなければ何か秀でた才能があるわけでもなく、客観的に見ても褒められる点など一切見当たらない自分のことです。そんな人間がわずかでも評価されるには、他者と己を差別化するには、言葉を磨いてそれに頼るより他にありませんでした。


この強迫観念は、それからずっと私の人生の中心を貫いています。自分なりに、他人と異なるよう必死に考えた言葉。その一つ一つにすがる以外に、私が自己を保って生きていく術はありません。

「面白くなりたい」「ウケたい」というより、そうでなければ自分は生きていることを許されないのです。

言葉なくして、私に存在価値はないのです。

あなたはただ生きているだけで価値がある、あなたはそのままでもかけがえのない存在だ……そんな言葉に救われるには、私の人生は空虚すぎました。

これが、私が言葉のオリジナリティに偏執的なほどにこだわり、一般論のコピーを嫌悪する理由です。



なんだか語れば語るほど暗いトーンになってしまいましたね。本題は全然暗い話じゃないですよ!

突然ですが皆さん、「ウィッチャー(WITCHER)」という作品をご存知でしょうか?

はい。99%の方はNOだと思いますので、簡単にご紹介しますね。

ウィッチャーとはポーランドの小説およびそれを原作としたビデオゲームのシリーズ名でして、スラブ神話をベースにしたファンタジー作品です。

主人公はこの記事のサムネ画像にもしているゲラルトという渋カッコいいおじさんです。で、彼が生業としているのが「ウィッチャー」。これまた簡単に言うと、耐えられずに死人がバンバン出るような鍛錬とか毒物投与とかの末に超人的な肉体・感覚を身につけた、魔物狩りのスペシャリストです。その人間離れした能力(ある程度は魔法も使えます)と、一般人より遥かに長い寿命、そして血生臭く金に汚い傭兵としてのイメージから作中では人々に忌み嫌われたりもしてるのですが、その辺はキリがないので省略します。

で、なんで急にゲームの話しだしたのかといいますと、この作品にはちょうどよくたとえ話に使いやすそうな要素がありまして。

ウィッチャーであるゲラルトは、常時2本の剣を持ち歩いています。そのうち一本は、「鋼の剣」。先述したような要素もあり、ウィッチャーは人間(やエルフとかドワーフとかヒトに近い種族)と殺し合いになることが珍しくありません。そんなときに抜かれるのが、この鋼の剣です。カギカッコ付けましたが、要するに普通に人間と斬り合いするときに使われる、一般的な剣ですね。レアアイテムの話は今しません。

ではもう一本はというと、それが「銀の剣」です。銀は鋼よりも柔らかく、人間を鎧ごと斬り裂くには向きません。しかし、銀には魔除けの力があり、人ならざる魔物を狩るにはこの剣が必須となります。魔物退治に特化した武器であり、ウィッチャーをウィッチャーたらしめているのが、この銀の剣だとも言えるでしょう。

今回ウィッチャーを紹介したのは、この二種類の剣にまつわる話が、そのまま私の考えにも当てはめられそうだと思ったためです。

鋼の剣は人間同士の戦いに使われます。もちろんこの剣は護身のためにも欠かすことはできず、切れ味が鋭いに越したことはありません。ですが、人を斬ること自体はウィッチャーだけでなく、兵士にも野盗にもできます。そのために使われる鋼の剣もまた、誰もが使いこなせる汎用の武器です。

一方の銀の剣は、普通に生きていく分には必要のないものですが、ウィッチャーとして生きていくためには最も重要な装備です。そして、銀の剣はウィッチャーの身体能力のみならず、魔物の特徴や生態についての深い知識も持ち合わせていなければ、その威力を十分に発揮することはできません。銀の剣は、ウィッチャーでなければ使いこなせない特別な剣なのです。

私は、言葉も鋼の剣と銀の剣の二つに分けられると考えています。

鋼の剣とは、広く通用する、誰でも納得できるような言葉。しかしその普遍性ゆえに、私以外の誰かもほぼ間違いなく同じことを発信しています。またその内容も、言ってみればごく当たり前であることが少なくありません。

一方の銀の剣は、誰彼構わず通じるような言葉ではありません。使いどころが限られていて、真価を引き出すためには深く相手のことを考えなくてはならないし、抜く場面を間違えればこちらが痛い目に遭う、そんな特殊でクセの強い言葉です。銀の剣は、大多数の人にとっては意味の分からない、共感できないものかもしれません。

それでも俺は、銀の剣を選びたいのです。

もちろん、鋼の剣も一定の性能に保っておくことは必要です。それがなければ、この世で社会生活を送って、いわゆる社交だとかビジネスコミュニケーションを円滑に進めることはできません。時には、その場を切り抜けるために鋼の剣を抜かざるを得ないことも多々あるでしょう。

けれど、俺が本当に俺でいられるのは、銀の剣を振るっているときです。

銀の剣は、俺をスペシャリストの端くれにさせてくれるものです。決して万人に響くものではないけれど、専門的な内容を鋭く伝える言葉。多くの人からは呆れられたり嫌われたりするかもしれないけれど、俺の大好きな人たちへ届く言葉。それが、俺の銀の剣です。

自分をウィッチャーに例えるなんて全くおこがましいにも程がありますが、俺にとっては、銀の剣は自分を自分でいさせてくれる唯一の拠り所なのです。

いつしか「灰色節」なんて方々で呼ばれるようになった、アクが強くて暑苦しくてひねくれた言葉たち。けれど、この銀の剣を振るうとき、俺は常に命を懸けています。言葉に自分の存在そのものを懸けています。

銀の剣がなければ、ウィッチャーがただの強靭な肉体と知識と魔法の力を持った長寿の人間に成り下がるように……いや、全然問題ないな……それはともかく、俺は他のどこにでもいる、いくらでも替えがきく大勢の中の誰かになってしまうのです。

だから俺は、20年以上ずっと、銀の剣を研いで生きてきました。それだけが、己を生かしてやる唯一の手段だったから、そうするより他にありませんでした。これがなければ、自分なりに考え抜いた言葉のオリジナリティがなければ、俺には他に何もないのですから。

願わくば、あなたも自分にとっての銀の剣を見つけ、そしてそれを鍛えられますように……

という感じで締めくくろうとしたのですが、なんかそういう教えめいたことをよそよそしく語るのもいい加減やめにします。わざわざ書かなくても、何かを感じてくれた人がいればそれでいいです。

代わりに、これからのnote執筆に向けて一つ宣言をしたいと思います。

今後俺がnoteで、少なくとも「それっぽいこと言う」シリーズで書く記事は、全て銀の剣です。

鋼の剣が必要なら、他をあたってください。立派な方々、実績を重ねた先達たちが書いた本や記事が世の中には溢れています。俺の鋼の剣では、そんな名実揃った人たちには到底かないません。

その代わりに、俺はこれからも銀の剣を研ぎ、鍛え、振るっていきます。この剣は、人生を通じて握り続けてきた言葉の力だけは、誰にも譲れない俺の武器です。

それを大好きな人たちに向けて、精一杯想いを伝えるために、俺は学び、話し、書いていきます。


いつか、ウィッチャーのようなスペシャリストになれるように。

いや、そんなことはどうでもいいのです。

憧れるのは、リヴィアのゲラルト。

彼が貫くのは、譲れないものや守るべきもののために死力を尽くすことです。

俺が目指すのは彼のように、大切なもののために己の、己だけの武器を使う生き方です。

いつかこの願いを現実にするために、俺は今日もこうして銀の剣を研ぎ続けています。


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