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化粧/美容系オンラインメディア、Arineへの抗議とその経過 byナザニン

Arineにおける「ハーフ顔」「ハーフ風メイク」などの表現の使用に対し、マヤとナザニン両者が抗議しました。その経過をここに掲載します。

Arineは女性に向けたヘア・メイク系記事を掲載しているオンラインメディアであり、記事は全て日本語で書かれています。また記事の中で紹介されている商品も日本国内で販売されているものと国内での販売価格であるため読者層を日本在住の日本語話者の女性と仮定し、加えて日本に住む外国人の9割が東アジアならびに東南アジア出身であることから更に狭めて「アジア系の、日本語を話し日本に住む女性」としました。

このハーフ顔という表記にマヤが抗議を行ったところ、以下のような返信を頂きました。

(後日ナザニンが抗議した際にも同じ文章のメールが届きました。問い合わせた内容を、担当する部署が受け取った時点でひとまずこのように返信するよう規定されていると思われます。)

その後約10日ほど経て、マヤに届いた返信の内容は以下のものになります。

この後に、Arine上での「ハーフ」の部分が「外国人」に置き換えられたため、これを不服として再度ナザニンが問い合わせをしました。問い合わせ時の内容を以下に記載します。

>「こんにちは。Arineを愛読しております読者の一人です。日頃、Arineの記事を参考にさせて頂いております。
先日公開されたカラコンの記事に始まり、ここ最近Arine上で見受けられる「外国人風」という表記に引っかかりを感じ、この度一読者として連絡させて頂くに至りました。
「外国人風」という表記は暗に「白人風」というものを差していると思われますが、在日外国人の割合、つまり実際に日本人にとって身近な外国人は2018年現在他のアジア圏と南米からの移民であります。 http://www.moj.go.jp/content/001237697.pdf
Arine並びに編集部やライターの方々における、外国人風=白人風と思われる表記は日本国内の人口における外国人比率やまた全世界の人口に対する白人の人口を鑑みても事実に即しておらず、またコーカソイドの個人であっても顔つきや目の色など多種多様であることを無視しておられると見受けられます。同じコーカソイドであっても、たとえばスペインからギリシャにかけての国家が含まれる南欧や中東に出自を持つ個人の方々などは目の色が東アジア系と近く暗く、この外国人風という表記は彼らのような個人の存在を認めていないということになるのではないでしょうか。
加えて、Arineは日本国内在住の日本語話者、つまり日本人を読者層と仮定しておられると思いますが、日本人=東アジア人に白人風つまりコーカソイド特有の特徴を持つようアドバイスするのは女性が晒されている外見史上主義への加担であり、また東アジア系の持つ美しさの無視であり白人至上主義的なのではないかと思います。美容系メディアがお化粧などを楽しむ個人への情報提供と称してそのような偏見に加担することに関しての責任は重く、日本人、外国人、またハーフが持つ強迫観念を強めることになる可能性があります。
Arineの編集者様がたならびにライターの方々が、外国人風という表記でなく、単に「ヘーゼル系のカラコン」や「顔のメリハリを強調するメイク」という風に、存在する外国の方々に対して個人やその身体性を尊重しながら、私個人を含むお化粧を楽しむ方々に向けてお化粧の方法や商品を紹介するようお願いしたいと思います。よろしくお願いいたします。」

その後Arineのカスタマーセンターから以下のような返信をいただきました。

「先日は、貴重なご意見を頂戴しまして、ありがとうございました。ARINEサポートセンターでございます。弊社内での協議にお時間を頂戴し、お返事が遅くなりましたことをお詫び申し上げます。
頂戴しましたご意見につきましては、弊社メディア運営における貴重なご見解として真摯に受け止め、新たな気づきと認識し、今後の記事作成に活かせるよう社内担当部署に共有させていただきました。
ご意見にございましたように、今後美容メディアの専門用語のなかから語彙をより詳細にカテゴライズし、表現を考慮したうえでの記事作成に努めてまいる所存です。
今後もひとりでも多くの方々のニーズにかなう有益な情報をお届けするとともに、ユーザーの皆様のお気持ちに配慮した表現を心がけてまいります。この度は、大変貴重なご意見をありがとうございました。今後ともARINEを何卒宜しくお願いいたします。」

マヤからも再度抗議しました。

「返信が遅くなってしまい、大変申し訳ありません。
この度は私のような一ユーザーの意見を実際にご検討いただき、サイト内に反映されたという事で驚いていますし、嬉しさで胸がいっぱいです。どうもありがとうございます。問い合わせのメールを送って良かったなぁと心の底から思いました。ARINE編集部の方の真摯な対応に感謝致します。

ただ、該当する記事を読みましたところ、「ハーフ」という言葉が「外国人」に置き換わっているだけだという事に気づきました。「ハーフ」に当てはまる人々の見た目の多様性をご理解いただいての差し替えだと思っておりましたので、非常に残念です。「ハーフ」が色素の薄く彫りの深い顔立ちの人間とは限らないように、「外国人」も全員が色素の薄く彫りの深い顔立ちをしているわけではありません。むしろ「外国人」の方が「ハーフ」よりも広い範囲の人々を指していますので、「外国人風メイク」「外国人風ヘアカラー」「外国人風カラーコンタクト」はより一層と不適切な表現だと思います。おそらくヨーロッパ系の肌の色が明るい人々の事を思い浮かべての「外国人」だと思うのですが、同じヨーロッパでも地域により顔立ちが異なりますし、一概に○○国の人は××という見た目と言い切れるような時代でもありません。

「外国人」を「日本人」に置き換えたらわかりやすいかもしれません。「日本人風メイク」「日本人風ヘアカラー」「日本人風カラーコンタクト」これらはどのようなヘアメイクを意味するでしょうか?所謂「アジアンビューティー」と呼ばれるようなクールでモードな雰囲気のものでしょうか?それともアイドルグループのメンバーのような明るく可愛らしいスタイルを指すのでしょうか?どちらも正解ではないように、「日本人」というくくりで特定の顔立ちやメイク、ヘアカラーを表す事は不可能です。

「外国人風メイク」や「外国人風ヘアカラー」「外国人風カラーコンタクト」といった表現を「顔の凹凸を強調し、メリハリを重視したメイク」「色素を薄く見せ、柔らかな雰囲気を演出するメイク」「アッシュ系・グレーベージュ系ヘアカラー」「グレー系・ヘーゼル系カラーコンタクト」などの、特定の属性や出身と結びつけない、具体的な内容の言葉に再度言い換えていただければ、誰も排除することなく、本当に幅広い方の支持を得られるのではないでしょうか。

度々の連絡申し訳ありません。ご検討の方よろしくお願い致します。」

以上の内容に対して頂いた返信が以下になります。

「このたびは、改めて丁寧なご意見をいただきましてありがとうございます。ARINEサポートセンターでございます。

今回の「ハーフ」という語の差し替え対応につきまして、ご期待に沿えず、誠に申し訳ありませんでした。

「外国人風メイク」という語句につきましては、該当する元の記事に求められていた美容情報について再考し、ご指摘の語を使用せずとも美容に対して感度の高いユーザーの皆様に情報をお届けできるキーワードとして選択したものでしたが、再度お気持ちに沿えない結果となりましたこと改めて深くお詫び申し上げます。

再度頂戴しましたご意見を、このたび弊社メディア運営における新しい気づきとして改めて真摯に受け止めさせていただきました。ご意見にございましたように、今後、美容メディアの専門用語のなかから語彙をより詳細にカテゴライズし、表現を考慮したうえでの記事作成に努めてまいる所存です。今後もひとりでも多くの方々のニーズにかなう有益な情報をお届けするとともに、ユーザーの皆様のお気持ちに配慮した表現を心がけてまいります。この度は、大変貴重なご意見をありがとうございました。今後ともARINEを何卒宜しくお願いいたします。』

4月10日現在、Arineにおける「外国人風」の記載に変更はないようです。


なぜあなた達はそこまでハーフという言葉を敵視するのか、と思われるかも知れません。しかし、ハーフという一言で片付けるには我々はあまりにも多様性に富んでいるのです。

ハーフと呼ばれる人間の親達は世界中の200を越える国からやってきました。見た目も話す言語も触れてきた文化も、ハーフとしての自覚の度合いやハーフというものがどれだけ人格形成に関わっているかも全く違います。何なら、住んでる場所も違います。日本国内に限っても、大阪弁や青森弁、熊本弁を話すハーフもいます。日本語を話さないハーフや、日本国外で生まれ育ったハーフもいます。にも関わらずこのハーフという言葉は、時にその多様性を殺し、ハーフ達に「純粋ではない半人前の日本人」という烙印を押し、縄で縛り上げ束にまとめて一つの狭い箱の中に押し込めようとします。ハーフという言葉は、私達がそれぞれ見てきた世界をハーフであるかないかに関わらず別の人々が私達の視界を通して見ようとする意志を阻害し、あなたが考えることを止めるよう促す言葉です。私達が誰であるか示すだけの言葉が、実は障壁のように立ちはだかり、私達がお互いの世界に来ることを難しくしていると思うのです。たった数文字でも自分を言い表す言葉があるのは素晴らしいことですが、だからといってその利便性や簡単さに逃げるのは、今はやめておきましょう。我々は一人一人非常に複雑なのに、わざわざ簡単にすることはありません。複雑なことについて時間をかけて知ろうとして、それについてじっくり考えてみることは、悪いことだと思いますか?複雑なことは、実はこれ以上ないほど人間らしいことだとは思いませんか。ハーフという言葉そのものが問題であるというよりは、ハーフという言葉に含まれる意図やハーフでない人々におけるこの言葉への認識が問題であるというのが私達の現在の見解です。

私達が今回「外国人風」という変更にも抗議をしたのは、外国人とは実際には日本国内の移民から全世界の人口比率まで鑑みてもコケージアンと呼ばれる人々の中の更に一部である「金髪碧眼で色白」的人々では明らかにないのにも関わらず、そのような認識の上で使っていることが明白だからです。またアフリカ系や中東系の人々、日本人の中にも明るい色の目を持つ人たちは存在しますが、なぜ私達は彼女達ではなく「白人」と呼ばれる人達ばかりを広告や雑誌の中で見かけるのでしょうか。なぜ自分達の利便性と売り上げのために、人種という現代では否定されている上に誕生した時から問題のある概念を持ち出し、更にそれを踏まえて他人の身体的特徴を挙げて外国人と商品名をつけ、あまつさえそれに値札を貼り付けるようなことが平然と行われているのでしょうか。言葉はきついでしょうが、それが現在この社会の中で平然と行われていることであり現実なのです。たとえばナザニンの父は黒髪で目の色も暗い茶色ですが外国人ですし、私達の親もまた外国人ですから、この「外国人」という言葉をもって私達の親に価値がつけられ値札を貼られるようでもあり、見ていて気分がいいものではありません。「白人」の方が色素が薄くてみんなモデルのように美しいのは事実だ、と思うのであれば、一度「マークザッカーバーグ」で画像検索をかけてみてもらいたいと思います。いずれにしても、外国人やハーフであるからこのような顔つきだ、といったようなことは言えず、白人に限っても特定の顔つきをしているわけではないのですから、この「外国人風」という言葉が偏見に基づいて使用されておりいることに変わりはありません。

その他に重要であるのは、「こうであらねばならない」「これが美しい」「見た目が美しくあらねば価値がない」という強迫観念を作り出し、東アジア人が白人のような見た目になるという不可能作業を個人に推奨しているということです。東アジア人に生まれた以上は実現不可能であるため、それを推奨する時点で実行した個人にとって行き止まりになるのは確実です。私はこうはなれない、だから私は美しくない、美しくないのだから私に価値はない、と個人を追い詰めるのが目的であろうがなかろうが最初からやるべきでありませんし、その劣等感や強迫観念を利用して売り上げに繋がったとしてそれは最低のことです。個人を強迫する以外の売り方を、売る側は探すべきです。売り上げを伸ばすという目的のために非常に狭い美の定義を作り出し、個人の持つ美を唾棄し型に押し込めようとしながら、その実現不可能な型にはまることを推奨することで利益を得るという一連の動きを美容系メディアがやるのは顧客の信頼を裏切ることと同じであり、またメディアの性質を鑑みると非常に悪質です。

現在、ファッション業界でも美容業界でも、上から下まで「白人」と呼ばれる人々によって彼らのような人々を前提において生み出されています。世界的に有名なデザイナーやメイクアップアーティスト、雑誌の編集者達の中でも東アジア人やアフリカ、中東、中央アジア、南米や中米から来た人々は比較すると非常に少ないのが現状です。その文脈の中でルールに沿うことも、東アジアの世界や人々が発言力を強めるにあたっては必要でありましょう。しかし、それを東アジアや日本という文脈に落とし込めたり、欧州や北米の文脈を正確に分析する思考に基づいてその美を読み取ったり、それを反映させるさせないに関わらずこの地域で生まれ育った人間達だから作れる新しい美に昇華したりはせず、そのまま輸入しそのまま垂れ流しそのまま消費させるというのは怠惰であり単なるコピーに他なりません。単なる見た目の美しさだけを取り上げているのですから、更に粗悪であろうと考えます。東アジア人のデザイナーやメイクアップアーティスト達もその文脈の中で戦うことを強いられており、その文脈の中で東アジア人が東アジア人として東アジアの感覚から美を表現することはまだ容易ではないのです。欧州や北米における東アジア人のモデルが、東アジアで美しいとされている容姿からかけ離れており、つり目で黒髪直毛の女性ばかりであるのは、現在の東アジア人などには興味が持たれず、彼らの思う東アジア人でなければ受け入れられないからです。東アジア人が美しさという価値観を作り上げていくには、あるいはその中で戦っている東アジア人のアーティスト達を応援するには、まずは個人が自ら東アジアの美を肯定的に捉え、観察と分析を重ね、見た目だけの話からは遠ざかり、それを体現していくことが重要だと思います。

私達はあなたに、青いカラコンや日焼け止めの使用をやめろと言っているのではありません。あなたにはあなたの思う美を体現する権利があります。あなたの身体はあなた以外の誰のものでもありません。しかし、一度考えていただきたいのは、それは本当にあなたの思う美なのか、そう思うように刷り込まれてきたのか、ということです。美しくならなければならないという強迫観念によるものなのか、あなたが美しくありたいと思う人なのか、一度腰を据えて考えてみてほしいのです。あなたが白人のモデルを頭に思い浮かべながら鏡を見て自分と彼女達を比較しているのなら、そんなことはする必要がありません。そもそも彼女達は白人の中でも遺伝子の宝くじにたまたま当たった人々なのですから。あなたが日本や他の東アジアで活動しているモデルや女優を目指しているのなら、彼女達は見られることが仕事であるがあなたの仕事はあなた自身として生きることだと思ってほしいのです。彼女達は容姿を整え維持するために莫大な時間とお金をかけなければなりませんが、私達はそんなことをしなくて良いのです。あなたの外見がどう他人の視点から見えているのかではなく、あなたがあなたの視点からあなたという人間を見て満足いくかどうかが大切なのですから。

日本人女性は、髪の毛を焦げ茶色(必ずしも焦げ茶色だけではないかなと思ったので…→明るい色はどうでしょう??)に染めたり、二重まぶたになろうとしたりしますが、それは日本固有の価値観であろうと思います。Monolids(一重)と呼ばれる身体的特徴を持つ人々が東アジアの外で二重幅を大きくしたいために何かすることは、あまりないように思うからです。)(日中韓に共通する悩みかも…ただ、もしかしたら日本ではそれをコンプレックスに思う事に対する疑問がより少ない??)「美白」信仰も元々は白人至上主義的価値観ではなくアジア全体に見られる貴人信仰が発端であったと考えられます(貴人信仰というもの自体もまたアジア人にとって真摯に向き合うべき精神性であろうと思います)。自分が持つものをどうにか変えて自分ではない何者かになるよりも、自分が持つものを磨き上げて美しくすることの方が、見た目の美しさだけが全てではないという前提のもとでその方法を提案することが、今の日本のメディアには必要なのではないでしょうか。

じゃあ、「ハーフ風」や「外国人風」以外にどんな言葉を使ったらいいの?と思われるかもしれません。それだけ多様性があるなら、じゃあ何と言ったらいいの?と思いますよね。実は簡単なんです。その文章の中で、ある特定の人に多い身体的特徴を挙げないことと、人種や国籍に関することには触れないことです。上記の抗議の内容の中でも私達がそれぞれ例を挙げて言及したとおり、「ヘーゼルカラーのカラコン」「明るい茶色」「顔のメリハリを強調するメイク」と言うだけです。

更にもう1つ別の方法があります。文章を書く時に、テニスの大阪なおみ選手とモデルのローラさんと蓮舫議員と芸能人のベッキーさんを同時に思い浮かべてみてください。この4人全員に当てはまることを考えてみて、もし1人でも当てはまらないようであれば、それは「ハーフ風」ではなく個人の持ち物であり他人が口を出せるものではありません。すごく難しいことではありませんよね。

私達個人がそれぞれ、見た目や生まれ持ったものを無理にどうこうしなければならないのではないかと怯えるよりも、それらに感謝しお互いのものを尊重するように、少しずつでも行動に移していくだけで社会は変わります。ハーフ風、外国人風、という表記を見かけた時に短文であろうと個人個人が意見を掲載元に伝えることにはとても大きな意味があります。このサイトがその際の参考になれば、それ以上に私達にとって嬉しいことはありません。もし意見を掲載元のサイトや雑誌に伝えることが躊躇われるのであれば、ぜひそのページを私達に教えてください。私達が掲載元に意見を送ります。お互いに助け合いながら、私達が生きる社会を変えていきましょう。私達はあなたを頼りにしています。