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「なぁ、高校一緒やったやんなぁ」

前回「あ!英検の面接官や!!」から書き出した、社会人学び直し講座、「英検1級、TOEIC900、通訳案内士、これ3つ取って初めてスタートラインやで!」これはK先生が仰った名言中の名言。

1期の試験は敢え無く落ちた。試験はミニTOEIC, 日英・英日訳、そして英語面接であった。

1期の面接では外国人の先生に、なんで日本人はバスや電車で窓を開けないの?と聞かれ。これ、今でも上手く答えられるか謎。しどろもどろで言ったが結果アウト。仕方ない、この地域の英語のできる人がこぞって受けに来た中のtop30。もちろんフルタイムの人などは受けに来れないが、後で蓋を開けて分かるのだが、やはりこの期の方は今通訳者や翻訳者など、かなりprofessionalな方々が多い。

2期も受けたが駄目。この時はK先生から面接の質問を出され、家族問題を聞かれたが、核家族=nuclear family(そのままやん)がその時は答えられず、何か変な答えでアウト。

3,4期は所用で受けられなかった。焦った。何故なら当初5期までの予定だったから。しかし家族の都合で仕方なかった。5期は相当準備して挑んだ。もう2回受けていたので少しは試験にも慣れて。

面接は5人同時に受ける形なので、私はそれまでに計10個の質問を聞いていた。大体一般的な日本の事象の話か、年中行事などであった。ゆえに子どもの日やひな祭りなど、その辺りをさらっていった。食べ物の質問もあったので「しゃぶしゃぶ」なんかも覚えたり。

いつも準1級のおかげで書類は通る、問題はその後。特に面接が他の受験者を見ていて出来不出来を感じたので、そこに注力することに。

しかしこのラスト決戦の5期、七五三の問題を聞かれた。そして何故か自分でも分からないが「七五三」を押さえていなくて。まだあの時は準備無しではその辺りは全く英語で言えず。

多分ラッキーな問題のはずなのに、「なんで用意してへんかったんやろ・・」ばかりが頭に渦巻き英語が出ない。最後の試験やのに、と思うと余計焦る。固まってしまったら、女性の先生が「近くの神社にお子さんの七五三で行かれたりはしていませんか?」と助けてくださる始末。「Yes・・・、」まさかの何も出ない。

すると、英検面接官だった憧れのK先生、じっと私を見る。先生は時にすごく手厳しい、先生、私からすごく見えているのに、私の採点用紙にめっちゃでかく✖!レ点を打たれたのである!!アウト!っていうこと!

あー、もう終わった…。フラフラになりながら電車で帰ったのを覚えている。

もう絶対落ちているし・・、で、次の日大学に「もう本当に5期で終わりなんですか?」と聞く。また今期終了後聞いてください、と。もちろん5期不合格。だから4か月後また聞いた。「今のところ予定は無いんです。」と。でも、諦められずもう一回数日後聞く。

すると、問い合わせが多かったのだろう、「実はご要望が多く、今検討しています。」と。もう絶対やってーーーー!とは言わないが、もう本当にやって欲しいんだ、確か名乗るくらいは平気で名乗った、もう私何回も受けていて、このままでは死ねません!(いつもそう思うタイプ、案外コロっと逝くか粘っこいか)と訴えた。すると結果はまたHPを見てください、と。

すると、きた。
HP、6期からも続ける、とのこと。

もう絶対これは・・・、で再度開かれた説明会へ。

何でだったかあんまり覚えていないが、すごく後ろに座った。前回はりきって前に行ったから今度は逆で?と思ったのか、とにかくだいぶ後ろに座ったのは覚えている。

遠くの教壇で話すK先生がまぶしい。運命の先生やと思ったのに・・。
あれから2年半の時が流れ。先生は私の事なんて勿論覚えていない。最後に見た先生のお顔は鬼のような顔で私の採点用紙にレ点をつけたお顔。もう「お前は嫌いや!」とふられたような気分で、それで前に座れなかったのか・・。

話を聞き終わって帰ろうと通路に出たら、ある女性が私のところに。

「なぁ・・・、高校・・・、一緒やったやんな、誰やったけ??」と。

うん?うーーん、あ、分かった、高3で一緒のクラスやったNちゃんや!!私は硬式、Nちゃんは軟式テニス部だった。お互い真っ黒仲間、人懐っこい表情は昔のままだった。

「あー!Nちゃんやん、私、~~。えらい偶然やん!!」実はこの大学は母校の系列大学で、ほとんど同級生はこの大学か、当時はあった短大に進学していた。だからNちゃんにとってはこの大学、母校だった。

(脱線だが、書きながら思い出し。ほぼ皆内部進学の中、私とある友人だけ無謀に有名大学志願。担任、故人、悪く言えないが、二人とも散々反対され。私は入試開始2週間前まで内部進学に変わりなさい、と。友人はそこまでだったが、大人になって会えば二人で大笑いしてしまう名言を先生が吐かれ。この先生、彼女がその有名大学受験どうしても諦めなかった時の面談で「~さん、月へハシゴでは登れません」と言われ。こんな斬新な表現を使った進路指導、なかなか無いと思う。当時も二人で大爆笑した。先生すみません、これは文字で記録に残したかった・・・。)

戻って、Nちゃんとの話。Nちゃんが「この講座、~~ちゃん初めて受けるん?私は初めてやねん。」と。帰りに駅まで歩きながらこれまでのことを説明、メアドを交換、連絡取り合おう、絶対一緒に受かって一緒に行こう!となり。ひょんなことから一緒に頑張れる友達と再会でき、かなり気持ちは上がった。

メールの中で分かるのだが、Nちゃんは社会人になってから英語を猛勉強、TOEICもはるかに上だったし、かなり本格的にプロを目指すような勉強もしていた。まずいな、落ちるのは私だけか・・・。余計勉強に力が入った。

TOEIC形式のテストの対策もしたが、半年前よりそんなに大きく点を上げられる気はしなかった。訳出もそんな急にうまくならない。私は自分が落ちている原因は、面接にあると考えた。この6期合格に向けては、年中行事や食べ物、出そうな問題は予想してかなり暗記した。20くらいの原稿を暗記。

だが、あれは試験の前日だった。ぼーっとお昼にEテレの英語学習番組を見ていた。ニュースの内容を扱ったもので、少子化の事を題材にしていた。「育児休暇」など、ちょっと用意していないと当時の私では出ない単語なども特集。ふーーんと何も考えず見ていた。

2時ごろ、眠いなー、明日は試験か、もうひと勉強か、と思いながらいつも勉強するダイニングに座り。

その時だった。ふと何かが降りてくるように、ぱっと私の中にある意見が現れ・・・。

「そういや私って、いつもこんなの出るかな、とか予想立てては、七五三みたいに、あっ!ってなって言えない。今回もこんな準備してるけど、まーったく関係ない内容、例えばさっきテレビで見たような、少子化、出生率の話みたいなん、あんなのが急に出たりして・・・。」

本当にぽかーーんと浮かんだ。そして思った、じゃあさっきのEテレの話の事が聞かれたら、私どう答えるやろーって。「少子化」や「育児休暇」、いくつかさっと言えない単語を調べ、自分なりに意見をしゃべってみた。

まぁこれくらいで、後はいつもの勉強に戻った。

そして当日。緊張したのを覚えている。何だかリスニングテストで音声の不具合もあったり。まぁでも筆記は終わり、勝負の面接は昼からだった。

Nちゃんとはたまたま番号が近く、5人グループ試験、一緒かもな、だった。

順番になり呼ばれた。やっぱりNちゃんも一緒だった。右から、おっちゃん、私、Sさん、Nちゃん、もう一人は記憶にない。おっちゃんなんて書いたが超なんでも詳しいFさん、その後の授業で、特に実地では「これって何でなんですか?」「Fさん、これは何ですか?」いつも私の質問攻めを受けた超物知りなおじ様。Sさんはご近所と分かり今も仲良し、超本格的実力の英語強者。

面接が始まった。Fさんは新興住宅街に住まれていて、外国人の先生から、「この辺りは暮らしやすいか?」と。なんやいきなり、何カテゴリーの質問や、みたいなローカルな質問。おじ様はこの段階でもう通訳案内士も持っておられる強者、平気に答えられていた。

次は私、K先生からの質問だった。最初は皆軽い挨拶のような質問が。私、その時に初めて言った。「私は2年前に英検準1級を受けましたが、あなたは面接官だったんですよ。」って。すると先生が「で、合格しましたか?」と。「はい、合格しました。」と私。

あーこれがこの試験でも同じようになればいいのに、そう思った。そして私への質問・・・。

えっ。
耳を疑ったが、疑っている暇はない・・・。先生の口から出た質問の最初の始まりの英語を私は忘れない。

「Birth rate is ・・・.」

全部の内容の英語は覚えていないが、最初の3wordsは絶対に忘れない。

多分内容は「出生率が減少しているが何が原因だと考えますか?」だった。めちゃくちゃびっくりした。
そう、前の日に私に降臨してきた「神の意見」(になるわね)
そう、「少子化」についての質問だったのである!!

法華寺の十一面観音菩薩立像は聖武天皇の奥様、光明皇后の肖像だったのでは?と言われているが、良く知られているように、このお方はお父ちゃんを越さんばかりの勢いの皇后さまで、聖武天皇の病気治癒のために新薬師寺も建てたのでは?や、この法華寺で困窮者救済のため「からふろ」を建立、千人の垢を皇后自らが洗い流したという社会派の皇后さまだったことは有名。

そのお像は右足が少し前に出ている。そう、「LEAN IN」、買って読破していないが、まさしくその右足は lean in, 一歩前に出る感じ。シェリル・サンドバーグよりもっともっと早くに社会進出をバンバンしていた女性。その右足は、女だからって後ろに下がっていないのよ!を天平時代に体現していて。

なんと厚かましい例を出すかだが、「少子化」「Birth rate‥」に対する質問、あの時正直、私も光明皇后様の如く、椅子に座っている右足が前に出た。
「絶対この講座、これで決めてやる!!」そんな思いで準備していた少子化対策の答えを、身を乗り出してしゃべった。

child leave、 maternity leave (育児休暇)、こんな言葉を使い、会社や社会が夫婦がもう一人産もうと思えるようなサポートをしないから、皆本当はもっと子どもが欲しいのに、わーわー、みたいな事をまくしたてるように話した。

「まだ話すんか、言う感じやったで」これは面接終了後のNちゃんの言葉。

そう、英検の頃からK先生は正直者。ふむふむ、と頷きながら私のまくしたてるみたいな英語を聞いてくださり。感触は正直良かった。

あとは筆記さえおかしな点じゃなかったら・・・で。

Nちゃんとわーわーメールとかで連絡取りながら結果を待ったのを覚えている。先にNちゃんに封書が来た。合格だった。私はポストに見に行くのが怖くて、手紙を取ってからも開けず。Nちゃんが「もうはよ開けて~~」と。

合格していた。やっと合格した。

これでK先生に習える・・・。あの時すごく嬉しかったのを覚えている。

今の自分の英語仲間、いやもうそれ以上、の始まりは全てここから。帰国子女で私が日本一好きな発音、日本人なのにネイティブと変わらない英語を話すMMさん、これまでも何度もnoteに登場、プロガイドであり、英語をぼやき合う仲、いや人生を、コロナを、いやもっと老いとか・・・、全てを語り合う仲、Miちゃん。

ガイドとしての仕事が始まる予定だった私、先輩ガイドとして私に道を開けてくれたYさん、他にも英語通のIさん、あの年にガイド試験に受かったKさん、おねーさんみたいにいっぱい英語の話をしてくれたMりん、他にもいっぱい。

そしてものすごいエネルギーでいつも走り回っていたNさん、華道の先生で、英語もよく教えてくださった、駆け抜けるように数年前、まだ還暦すぎてこれからのご人生だったのに、逝ってしまわれた。この話の写真はそのNさんのご主人様のレストラン、よく皆で行った、その時の床の間のお華の写真を飾らせて頂いた。「いやー!載せてくれたん?今度はこの華載せて!」Nさんの声が聞こえてくるような気がする。

講座から10年経った、私はなんと成長していないんだろうと書きながらヒシヒシ思った。もう少し頑張らんとな~。え、noteとちゃうで、英語を!!!

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