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よし!英語の先生になろう!②

英語・国語・社会、何でも良かった。どれも好きな教科だった。でも結局縁があったのは法学部。でも法律の勉強なんて興味無かったから、卒業する時はしんどかった。4年になっても有名観光地辺り外れに位置する大学までよく行った。4年間テニスと教職しか真面目じゃなかったツケ。

ゼミは純粋に法律、ではなく、日本法制史など日本史絡みの先生を選んだ。プレゼミはよくテレビにも出る有名な先生、天皇関連がご専門。他にも近代史専門の先生もいたので、ゼミはそちらに。卒論では明治維新以降の第二次世界大戦に至るまでの日本が変貌していく過程を自分なりに分析した。母校に戻って日本史を教える(テニスを教える)気持ち満々だった。

4回生になり公立校の試験、母校の私立の試験を受けるも、まったく箸にも棒にもかからない。母校は今では随分進学校になり、思えばその頃はとにかく有名国公立卒の先生を高額給料で採用していた。全然無理。公立は受かりたいものの、まず社会の募集自体ががあまり無い。何でだろう?調べていくと、社会は男の先生が多く、皆辞めない・・だから枠が空かない・・。そんなん知らんかったやん。倍率は25倍だった。こんなんずーっと受からない=教師になれない。

取り合えずまさかの就職浪人になってしまった。あの時売り手市場で。でもOLになる気は全然無かった。(OLも楽しかったかな~、と今は思う)

このままじゃあかんやん、秋にすべての試験が終わり、4月からどう生きていこうと寒い季節にテレビを見ながらぼーっと毎日考えていた。その頃テレビでは、実は衝撃的なニュースが流れていた。

アメリカの爆撃機の映像がテレビで流れる。戦争で原爆を落とされた、今でも唯一の被爆国である日本、私たち、いや戦争を体験した世代の方々は、あの時どんな思いであの映像を見ていただろう。そう、湾岸戦争である。

あの時、日本はけっこう世界から叩かれた。何故なら、お金だけ出して自衛隊は派遣しない、などなど。この辺りの政治的話は書きづらいが、一応元社会教師目指しの私的には、そういう外国人へのインタビュー談話を聞くたびに、「仕方ないやん、私らもう戦争したらあかん国やん!ほんまは自衛隊だって、最初は絶対日本に軍隊持たせへん、やったのが警察予備隊とか、日米安保とか、原爆投下した国の良いようにされて!勝手な事言うな!」(ただの私見)とテレビに吠えるしかなく・・・。

そのうちに、「あーもう、英語話せたら、日本の歴史をこの人らににじっくり話してやりたいわ!!」・・ん?英語?・・・。

実は色々調べていた。英語と国語の教科の倍率が社会よりかなり低い。(当時)何故なら席が空くから。どちらも女の先生が占めがちな教科。結婚出産介護他、途中で退職される先生も確かにおられる。どちらかに乗り換えるか、とはうっすら考えていた。片側から登れないなら、反対側とか、梯子持ってくるとか、どうにかして登ればいい。

話を戻す、外国の方、なんで日本が自衛隊派遣しないか?それは戦争をしない!っていう憲法があるから!!(これもcontroversialだからここまで)私、これを英語でめっちゃ説明したい!そうや!英語の教師になろう!!よし、今から英語めっちゃ勉強しよう!!

友人が入社式を終える頃に、出身大学の近くの大学の通信教育で英語課程申し込み。期間は一年、あとの課程はもう履修できている。

きっかけは世界的な悲しいニュースだった。子どもの時に友達の家で読んだ「はだしのゲン」は立ち上がれないくらい心が痛い漫画、いや、作者の実話だった。あの時はアメリカをすごく憎んだ。日本人として話したいことがその後も、多分今も、どちらが悪いとかではなく、いっぱいある。今ならあの時の「言いたいのにーー!」が少しはできる。目指した道は今とは違うけど、やはり繋がっているのかもしれない、今の私と。