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書かない名文より書く駄文

ぼんやり考えごとが頭の中を通り過ぎていくのに
それを書き留めたり人に話したりしないから、何も残らない。

そんな自分が少しむなしくて寂しいと思ってしまうので、なんでもいいから記録しておこうと思う。

いくら駄文であっても残せるものがあれば、未来の私はきっと悔やまない。


…ということで先日ふと思ったのは己の貧乏性について。
物質的にもやや貧乏性なところはあるが、今触れたいのは精神的というか作品やコンテンツへの向き合い方という意味である。

コンテンツの消費に追いつけない。
たくさんやりたいことがある。見たいものがある。
ゲーム、マンガ、映画、ライブBD、舞台…
ここ数年全然読めていないけどもかつての私は小説だって読めていたのだ。
ゲームだって据え置き型のゲームもスマホゲームもやりたいタイトルが山ほどあるし、現に同時並行でできるものはいくつか遊んでいる。

でも理想からは正直程遠い。
あれも、これも、やりたいのに。見たいのに。楽しみたいのに。

何が足りない?時間?体力?日常を効率よく回す段取り力?
おそらくどれも足りていないのだろうが、ふと気づいた。

子供のころの私は「なんか面白いことない?」と暇を持て余していたのではなかったか。

今とは時代が違う。
スマホはないし、個人で所有するパソコンもない。(家族用というのはあったが)
インターネットは今ほど充実していなかった気がするし、サブスクもなかった。

供給量が圧倒的に少なかったのである。
いや、今ある供給量が異常なほどに多い。多すぎるのである。

娯楽が少ないとどうなるか。
一つの作品を長く楽しみ続けるのが最適解となる。
それが当時としてはコスパが最もよかった。
子供のころ、学生の頃はお金もない。
でも時間は多少ある。
だから何度も何度も何度でも見たり聞いたりして楽しみ、夢想を膨らませて友人と語り合ってはまたスタート地点(n周目)に戻ってぐるぐるぐるぐる大事にしていたのだ。

素材から出た、だしの味だけで数年もたせる…みたいな感覚だったのかもしれない。
ひとつの作品、コンテンツを擦り切れるまで味わい尽くして楽しむ。
そんな向き合い方をかつてはしていたはずだった。

いま?
無理ムリむり無理。
そもそも生きるためにせねばならないことが昔より増えて自由時間が減ったくせに、この世に生み出される作品やコンテンツが無尽蔵にポコポコ転がっているのである。
あれも!これも!見たいのに!聞きたいのに!遊びたいのに!

すると今やっているスマホゲームたちがだんだんノルマみたいになる瞬間がある。
Aのログインボーナス、Bのデイリーミッション、Cのイベント周回…
なんか…重荷というか負担に感じる時があるのがつらい。

選択と集中、取捨選択をしないと逆に楽しめなくなる。
本当はどれもじっくり深く楽しみたいのに…。

結論:無限の時間、体力、気力、そしてお金が欲しい

あらゆる悩みはおそらくどれもここに集約される気がするが、現実それはすぐに叶えられるものではない。

現実に目を向けながら、今日も私はタブレットで好きな音楽を聴いたり動画を見たりしながらスマホのゲームにログインしてパソコンでSNSを開くのであった。
(最近マルチタスクは脳によろしくないと知って頭を抱えた私)

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