陰陽師展@国立歴史民俗博物館

美術の講座での西洋中世写本の回が役に立った。
道長の「御堂関白記」1004年
まず500年代(卜筮書)に羊皮紙ではなく紙があるというのがいい。(この前テレビで羊が映った時に真っ先に羊皮紙が頭に浮かんだ)
筆だからとても書きやすかったと思う。西洋の写本より字自体も綺麗。罫線が見えると西洋と同じだ、と思って嬉しくなる。
西洋のものと比べると漢字なので何が書いてあるかが分かるのが嬉しい。
今まで1000年代の日本の書を見て、読めて嬉しいなんて思ったことはなかった。西洋と比べてなかったから。
そして日本のものは読みやすい。もちろん日本でも読みにくいものがあるけど、西洋中世のゴシック体の写本はとても読みにくかった。
日本は西洋みたいに文字自体を装飾したり欄外に動物を描くなどの装飾はしなかったんだな。雲母を散らすなど紙そのものへの工芸としての装飾で、技術重視を感じる。

中世西洋にも陰陽師のような占いや呪術師集団はいたのだろうか?
陰陽師が僧侶姿の場合もあるとは知らなかった。
十二番職人歌合でホロスコープをみてるのは面白かった。
昔の人も未来を知りたいよね、と思った。

渋川春海の屏風(天文図•世界図屏風.1702以前作)
渋川春海(1639生)を知らなかった。
天文図屏風の方はこれ作った人発注した人ヤバイ奴だと思ったけど私もその気持ち分かると思った。
大きな金地の屏風に字だらけなのと、大きな屏風に大きく天文図を書くか、というのにヤバさを感じた。
世界の事を知りたいし宇宙の事も知りたい気持ちが分かる。でもそれを屏風にするのはよっぽどだと思った。
今、飛行機で簡単にヨーロッパに行けるのは本当にいい時代なんだな、と思う。この時代、一般の人は海外に行きたくても行けなかった。

月蝕を気にしてたんだなと思った。
声聞師というのもいることを知った。

平安京では疫病が多かった。貞観地震は869年、晴明誕生は921年。9世紀末から気候変動の影響で河川の氾濫が続いた。
この年代西洋では〜と考えていた。

あれしちゃいけない、これしちゃいけないはユダヤ教みたいだと思った。戒律。より宗教への依存を高めるというか。

陰陽師は都状で伊達政宗を守ったり、家康を守っていた。紙に赤字というのを初めて見た。

ライプニッツが『易経』で2進法を思いついたとは知らなかった。

お守りって何なんだろう?と思った。

年3回祓いをやっていたとのこと。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?