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「サッカー」の話

 バレンタインデーが終わって二月を折り返した。二月はとってもいそがしい。二月はいつもいそがしい。自分たちのライブにはじまって、撮影をしたり、リハをしたり、ライブを観にいったり、新居の内見にいったりして、今は引っ越しの荷造りをしている。

 どれもとても楽しくて、今となってはあっという間に過ぎていったような気がする。今、少し疲れている。息が吸いにくいし、吐き気もする。

 誰にも褒められないで、何かをやるのはむつかしい。
 人のいいところを探したり、はんたいにあら探しをしたり、アドバイスをしたり、時に厳しい物言いをしたり、そんなことばかりしている気がする。
 誰もぼくのことを見ていないし、ぼく自身も、自分のことを久しく見ていない気がする。自分がどんな顔だったか思い出すのに、少し時間がかかる。人のことばかり気にしている。

 友達に、もっと自分勝手になった方がいいよ、といわれた。その通りだとおもう。
 ぼくが子供の頃、サッカーの日本代表は決定力不足だといわれていた。ぼくもテレビをみながら、なんでそこでシュートしないんだよ、どうしてゴール前でパスするんだ、と、怒るというよりも不思議におもっていた。

 いま、ぼくにはゴール前でパスをするストライカーの気持ちがわかる気がする。目の前にボールがあって、誰もそれを奪いに来ない。ゴールはすぐそこで、遮るものは何もない。
 でもぼくはなにもできずに突っ立っている。

 たとえば歌詞を書こうとしたら、もっとも些末な感覚を描写するのにも、自分のこれまでの人生をすべてたどっていかなくてはならないし、そればかりか、これからの人生、ありうる全ての人生について、ありったけの力をふりしぼって語らなくてはならないとともに、死後の世界についても、同じだけの情熱を持って知る、あるいは作り上げる必要がある。
 それは誰でも生まれながらにして知っているような、当たり前のことであり、そしてまた、これも当たり前のことなのだけれど、それは不可能なことなんだ。

 だから、なにもできずに、こうして突っ立っているというわけ。

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