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【セクシー田中さん騒動】原作の脚色はどこまで許されるのか!?ー池袋ウエストゲートパークという成功例

今回はセクシー田中さん騒動に関して、原作の脚色はどこまで許されるのかというテーマで語っていきたいです。

今回の騒動では、脚本家の相沢友子さんが、SNSの立ち振る舞いの悪さもあって、批判対象となっています。
相沢友子さんを批判する言説の中には、原作クラッシャーという表現で、彼女の過去の脚本を取り上げて、脚色の度合いが大きく、原作へのリスペクトがないといった批判が散見されます。

確かに、相沢友子さんは、大胆な脚色を行うことがありました。
一例を挙げますと、プリンセストヨトミという映画の脚本では、主人公を男性から女性に変更するということを行っています。

ただし、ここで釘を刺しておきたいのは、脚色そのものは悪いものではないということです。
というか、漫画や小説といった2次元の創作物を映像という3次元ではそのまま表現することはできないため、脚色というプロセスは必ず必要となります。問題はどこまで脚色が許されるかということです。

そのことを考える上で、池袋ウエストゲートパークという今から24年も前にテレビドラマが良い示唆を与えてくれます。
池袋ウエストゲートパークの原作は石田衣良さんで、脚本家はあの宮藤官九郎さんです。同作は大幅な脚色を行ったにも関わらず、原作以上に高い評価を得ました。

脚色がどれくらい大幅だったのか。

ストーリーもところどころ違っていますが、何より違うのが作品のテイストとキャラの造形です。

作品のテイストは原作がハードボイルドで、スタイリッシュな文体なのに対して、クドカンということで察しはつくと思いますが、テレビドラマはクドカン節のコメディ要素が非常に強いです。

キャラの造形は、ほとんどの登場人物が異なっています。ここでは主人公のマコトとメインキャラクターの1人であるキングことタカシを取り上げます。

主人公のマコトは原作ではクールで頭脳派であるが、テレビドラマでは単細胞の熱血漢となっています。キ
ングことタカシは原作では「氷の王様」と呼ばれ私生活はベールに包まれているのに対して、テレビドラマでは風呂屋の息子という親しみあるバックボーンを持つ上、クールさとは程遠いモンスターのような異彩を放つキャラクターとなっているます。
ただし、タカシに関しては、クドカンの脚色以上にタカシを演じた窪塚洋介のアドリブが大きかったようです。監督の堤幸彦の反対を押し切って演じたと窪塚洋介が後のインタビューで語っています。

さて、このように池袋ウエストゲートパークは大幅な脚色は行われたものの、高視聴率という商業的な大成功を収めるとともに視聴者から熱狂的な支持を得ました。原作の石田衣良さんも当時メディアに多く顔を出していましたが、テレビドラマについて文句を言われたことは私が知る限り無く、納得されていたものと思います。

以上見てきたように、池袋ウエストゲートパークの原作と脚本の関係から考えると、脚色の度合い云々についてはケースバイケースになるのかなというのが結論です。

脚色の度合いがいかに大きかろうと、原作者が納得しており、視聴者から支持を得ていれば問題ないということです。
今回のセクシー田中さんについては、脚色の度合い云々というよりは、原作者が納得していなかったことが問題だったわけです。
今回の結論は以上です。

蛇足とはなりますが、原作者が納得しない脚本を推し進めたことについて脚本家に責任を押し付けるのは、テレビ制作の体制から考えると無理があるように思います。
その第一の責任は体制上からはテレビ局のプロデューサーにあると思われます。第二の責任はテレビ局側と直接相対していた小学館の編集者なのではないかと思います。

以上

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