知るということ

認知症サポーター養成講座という、約2時間のお話を聞いてきた。

「認知症」という言葉のインパクトは
本人にも、家族にも、あまりにも大きい。

よく理解しないまま、うろたえ、思い込み、絶望する。

そこから先は、周りのサポート次第だと。
初期で軽度であるがゆえに、本人のもどかしさと不安と、やるせなさと。
家族の苛立ちと、不安と、やるせなさと。

知識や技術よりも、第一に確認すべきは、
周りの人間の考え方・態度・心構え。

受け入れ難い現実が目の前で起こっているのに
為す術もなく時間が流れていくのは嫌だ。

親のことなど、子どもは少しも分かっていないと思う。
これまでの人生、親としての覚悟、苦労、喜び、
葛藤、挫折、プライド、思いやり…

親の気持ちを少しだけ知るのさえ、いつもずいぶん後になってからだ。

私も子の親になるタイミングで、自分の親のことを、今まで以上に考えるきっかけを与えられた。

決して簡単ではないし、次から次へとやって来る
試練というかなんというか。
本当なら自分の子のことに専念したいところだが、
そうは問屋が卸さない。

根っこが大切。
脳の病気ということを、周りが忘れていてはいけない。
何もかもできなくなり、わからなくなるわけではない。
言葉のちから。
本人のこの先と、最期は、周りのサポート次第で
いかようにも変わるということ。

この歳でこんなことを考えることになろうとは。
想像だにしていなかったけど。
いずれ役に立つでしょう。

限りない愛情を注ぎ続けてくれた両親へ
私にできることから、していこう。