見出し画像

行きつけの蕎麦屋が欲しい

かつて私には行きつけの蕎麦屋があった。

私の実家の辺りは住宅街で、飲食店は全く根付かない。たまに思い出したようにポツポツとお店が出来て、気がつくと消えている。ファミリーレストランすら数年で潰れてしまった。
そんな住宅街の中に、ある日ひっそりと蕎麦屋が出来ていた。

その頃の私は、長いこと追いかけていた夢がダメになって、東京にいる意味がわからなくなって、何故か出たくて出たくて仕方がなかった実家に舞い戻ってきていた。やりたくないもない仕事を生きるためにやっていて、とにかく考えることを放棄してダラダラ毎日を過ごしていた。

その蕎麦屋を見つけた時、躊躇なく店に入ったのは、東京にいた頃、よく蕎麦屋で友達とお酒を飲んだことを思い出したからかもしれない。
私の地元は美味しい蕎麦屋を見つけるのが本当に難しくて(うどん屋さんは美味しいとこいっぱいあるんだけど)、だからあんまり期待しないで入ったと思う。
でもその店の蕎麦は美味しかった。とっても。
切れそうなほどの細麺で、でも食感も良くて。蕎麦湯がとろりと甘くて。
使っている器も水が入ってる切子のグラスもとっても可愛かった。
そして何より、脱サラをしてお店を始めたという店主さんとその奥さんの雰囲気がとても良かった。


お店を見つけてからは、しょっちゅう足を運んだ気がする。友達や家族を誘うこともあったけど、大抵は一人で通った。
いつも蕎麦以外に食べきれないほどおでんをサービスしてくれて、お店を出るときには「いつもありがとうございます」と奥さんがにっこり笑ってくださって、店主さんもわざわざ厨房から出てきてくださった。
とにかく居心地のいいお店だった。


はじめの頃は、いつ行っても私しかお客がいなかったけれど、段々とお客さんが増えてくるようになった。他のテーブルにお客さんがいると、とてもホッとしたし、こんな場所だけど長く続いてほしいと思った。
行きつけの蕎麦屋がある生活ってとってもいい。
ちょっと歩いたら、美味しい蕎麦が食べられるってすごい安心感だ。そう思った。


だから、食べログにそのお店のひどいレビューが書かれているのを見つけた時はひどく胸がザワザワした。
もちろん人の感じ方はそれぞれ自由であるべきだけれど、薄々感じていた不安の色が濃くなるような、そっと目の前に暗い幕が降りるような、そんな気持ちになった。


そして、ある日いつものように蕎麦を食べていると、店主さんがそっと厨房から出てきてこう言った。
「開店当時から来ていただいてありがとうございます。実は来月、店を閉めることになりまして…」
びっくりして咄嗟に、
「一旦閉めるだけですよね!?また他のところで続けてください!」とか言ってしまった気がする。
店主さんは、笑って首を振った。


お店が閉まってから数ヶ月後、私は結婚して地元を離れた。
色んなところで蕎麦を食べたけれど、まだあのお店より好きな味には出会えていない。
あんなに繊細に細い蕎麦にも甘い蕎麦湯にもなかなか巡り会えない。
またいつの日か、家から歩いて行ける距離に、行きつけの蕎麦屋がある生活をしてみたいと思う。
でも本当は、もう一度あの蕎麦屋の蕎麦が食べたいのだ。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?