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死んでしまえば、全部ゴミ??

住む人がいなくなった一軒家の、
中身を全部処分したい、、、と依頼があったのが この春のことだった。

70坪の邸宅、3階建て。
あふれんばかりのモノに、当初は多少とまどいを感じた。

親しい友人からの依頼だった。ご両親が相次いで亡くなって、当然のことながら彼女が処分せざるを得なくなった。
自分自身は仕事があり 頻繁に足を運ぶことができない。
断ってくれても もちろん構わないけれど もし許されるなら かわりにお願いできないか?と。(と言いながら、私用の合鍵をちゃんと用意していたんだわ。準備万端)

贅沢に暮らしていらっしゃったのがわかる。
戸棚には高価な食器類が並び、応接間の飾り棚には 海外旅行で集められたのだろう、各国のおみやげがたくさん。
吹き抜けになった広いリビングダイニングの壁には、手の届かない高い場所にまで、絵画が飾られている。いったい何点あるのだろうか、という量。

***

当初は、お手伝いさん2人と協力して 「不要だ」と確信するものの分別、処分を進めていた。きっと「有る」ことさえ忘れられていたのだろう、というモノたちもたくさん出てくる。処分の期限があるわけではないので、丁寧に少しずつ進めた。

相続の手続きが済んだ貴金属類は、彼女が「要らない」というので私が契約している専門業者に査定してもらった。着物やバッグ類、洋服、絵画、装飾品、、、家の中にあるあらゆるモノをできれば現金に換える、ゴミとして捨ててしまうのは簡単だが、それは最後の最後。
査定には複数人で来てもらっても とても時間がかかった。結局1日では終わらず、のべ3回、全部で6時間を要した。
「できるだけ高値で、お願いね」買取業者さんには無理を言ったが、納得する金額で折り合いがついた。

私個人が引き取れる高級食器類は どんどんヤフオクへ出品を繰り返し、こちらも順調に落札されて全国に送っている。なんせ量が多いのでたぶん今年中には終わりそうもない。
何十年と箱に入ったままの漆器の数々、外国のブランドのティーカップやプレートが数えきれないほど。
くすんでいた柄や色は洗って漂白して、、美しい輝きを取り戻してくれた。廃番品やレアなものもあり、そりゃぁ、売れるはずだ。


他人の家なのだが、通ううちに 私の心にも、なんともいえない親近感が日々蓄積されていくのを感じている。
お会いしたこともないんだよ、お名前だけしか知らないんだよ。

毎回、仏壇かわりの机にならんだお二人の遺影に手を合わせてから作業をはじめる。この家の家族でもないのに、生前の生活が見えるようだ。
ダイニングの ここに座ってらしたのは奥様なのかな、などとふと思ったりする。

本当に処分してもいいのかな?と思うものは、一応依頼主の友人の許可をとってから。
趣味のカメラ、ゴルフ用品、
「大切にしてらしたんでしょうね、置いときます??」と尋ねたとき、
返ってきた言葉が印象的だった。
「処分してもらっていいです。もう充分楽しんだのだから」

そうね、きっとこれらのモノはそれこそ存分に使われて、楽しい人生の相棒として立派に役目を終えたのだ。好きなことを楽しむ、このために十分役目を果たしたに違いない。

「〇〇ちゃんが〇才のときに作ってくれたプレゼント」と書かれた小さな箱に、フェルト2枚を大きな縫い目で合わせた袋が入っているのを見つけてしまった!
とたんに『母』としての気持ちが、ぐわ~っと湧き上がってきた。
みんな、お母さんというのは一緒よね。こうやって宝物をしまっておくの。

クールに見える友人、この家の娘だけど、嫁いでからの時期のほうがずっと長くなっていて、理由あってあまり実家にはもどらなかったのだけど、母親の知らなかった面を見つけてしまい、号泣した話もしてくれた。

「家」というもの。
その器にはおさまりきれないほどの、たくさんの人の気持ちを残している。

遺品を整理するということ、残された家族が、思い出をそこで何度でも反芻して、次へ進む儀式のようにも思えた。

『死んでしまえば、全部ゴミ』
ただのゴミではない。
かけがえのない、ゴミ。



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