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老いるということ

ちょうど10日前に母が3ヵ月の入院生活から自宅に戻った。
入院前より歩行も悪くなるし、認知症も進むと医師から言われていたけど、大きく変わることなく、かと言って良くなったわけではなく。
父の負担が大きくなっているのは申し訳ないが、少しでも負担を軽くするため、それぞれ週2回の訪問リハビリとデイサービスは何とか受け入れてもらっている。

昨日は父が出掛けている間に、娘と一緒に母を公園へ連れ出し、シルバーカーデビューした。
入院中に病院の廊下を歩行器に捕まって歩いていた時は、背筋も伸びて歩くスピードも早くなったように見えたけど、退院して自宅で座っていることが多くなったせいか、初めてシルバーカーを使ったせいか、一歩一歩ゆっくり歩き、公園の後に行ったスーパーでも周りの買い物客に申し訳ないぐらいのスピードでゆっくりゆっくり歩いていた。

母は無様で情けない、と何度も言うけれど、周りを見れば杖をついたり同じようにシルバーカーを押して歩いている老人はたくさんいる。

今の母は周りが見えないようで、公園に満開の河津桜を見に行ったのに、なんの印象も残らなかったようだ。

誰もが遅かれ早かれ脳や身体の機能が衰えていく。それが早いうちに現れるかどうか。

母は50歳の時にはもう仕事を辞めて、それからずっと専業主婦だった。
友達付き合いや近所付き合いもどんどん減って、家に閉じこもるようになり、孫達が成長して娘達が実家に来る頻度が減ると、ますます人との交流の機会が減ってしまった。

趣味があったり人との交流の機会が多い父や義母は、衰えも時々感じるけど元気に毎日を過ごしている。

母は反面教師。いろいろなことに対して。
母みたいな母になりたくないといつも思って子供達を育ててきた。もちろん見習うこともたくさんあったけど、私は母のように子供達を抑えつけないよう、子供達の望むことにはできる限り答えてきたつもり。

母のような老い方はしたくないと思う。
でも、母の生き方も受け入れて、幸せな余生を過ごしてもらいたいと思っている。

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