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街は生きている、人のように。

「この街がすき」という言葉を聞いて思い出す場所は、やはり沖縄。

私は沖縄出身ではないし、親戚に沖縄出身者がいるわけでもない。
もはや知り合いや友達にもいない。
そんな私が沖縄の街をすきになった訳。

それは、単純に「ここすきかも」という感覚から始まったんですねー。

私が一番すきな城跡、勝連城跡

初めて沖縄へ行ったのは、17歳。高校の修学旅行。
スタンダートな観光地へ行き、修学旅行だから現地の人たちとの交流もあった。その何気ないひとつひとつの行った先や会った人が、わたしをなぜか「なんかここすきかも」にさせたんです。

今考えてみるとよく話に出てこなくもないフレーズ↓
結婚したカップルにインタビューアーが聞いて、返答にあること。
「いやー、出会った時からなんかこの人と僕結婚するんじゃないかなぁと思っていたんですよ。」

そうまさにこれ。この感覚。
「初めて行った時から、なんかこの街をずっとすきでいる気がしてたんですよー。」

曇っててもキミがすき

まぁ無条件に愛せる場所というと語弊があるのですが。
これまで私は計20回以上沖縄を訪れました。その中でできれば知りたくなかったことや、ドンびいたことも少なからずあります。
でもこれもさっきの話じゃないけど、似てるものがあるんですねー。
「欠点を知って、それでも愛せたら真実の愛。」的な。

本土では見ることのできない、花にちょっと歩くだけで出会えることもよいところ

私、モノや土地を擬人化することが得意ですが、まさに沖縄という街を擬人化しちゃっています(笑)
沖縄の良いところを知って好きになって、どんどん知っていくうちに、あれ?っと思うところやむしろ嫌だなと思うところも当然出てきた。でも、それでも、沖縄が好きでこの街の魅力から抜け出すことは到底できそうにない。

これって恋愛じゃん。

改めて文章にしてみて、ほんま恋愛じゃんって思いました。
街って人なの?(違う)

コロナ前は沖縄で年越しもしました

多分違うと思うんだけど、私は思いますね、
街って生きてる、人のように。
でも街って人が集まってできているというか回っているんだから、人みたいなもんやん。ってのもまた一理では?(笑)

みんながそうではないと思うけど、私は自分が住んでいる街も結構すきです。
でも自分が住んでいる街から遠く離れた街にもすきな街があるなんて、なんて人生を豊かにするんだろうと、この文章を書いていて思いました。

なんだか、遠く離れた恋人を恋しく思うよう。
遠く離れた両親を心配する、子供のよう。
遠く離れた友人へ、私も頑張るからあなたも頑張ってねと言うよう。

私にとって「この街がすき」な街はそんな存在。

#この街がすき

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