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日本社会教育学会の報告会にお邪魔しました

6/2日曜日に東京大学本郷キャンパスで行われた、日本社会教育学会の六月集会のプロジェクト研究報告会に、ファザーリングジャパンの理事で学会員の東さんに連れて行ってもらいました。

プロジェクト研究内容は「ワークライフバランス時代における社会教育」と言うことで、お三方の大学の先生方(元教授って方もいましたが)のそれぞれの立場からのワークライフバランス論についての報告を聞かせていただきました。

連れて行ってくださった東さんからは「学会のアカデミックな雰囲気もまた刺激的ですよ」と言われておりましたが、講演とかで聞けたりするものとは違った感じで、これはこれでとても面白かったです。

「ワークライフバランス」そのものについては、僕は常に違和感を感じていて、特に僕のような立場だと「ワーク」と「ライフ」の境目も曖昧に感じてしまいますし、言葉的には、それを分けて天秤に乗せてバランスを取るような印象に見受けられてました。今回の報告の中で、特に明治大学教授の大高先生の報告は、僕が感じているものと非常に似た印象の内容でした。

数年前に早稲田大学に留学していた北欧の女性にインタビューを受ける機会をいただいたことがあったのですが、その時にその方も「北欧には日本(アメリカも含むが)で言われているワークライフバランスと言うものは存在しない。強いて言うなら北欧型ワークライフバランス『ライフパズル』と言うのがある」と教えてもらったことの方が僕の中では腑に落ちています。

「ワーク」の定義がしっかりとなされているのか。その上で「ライフ」が定義されていて、バランスを考える?日本的に言うとバランスって言われると「均衡している」イメージじゃないですかね?50:50のイメージ。でも、それはそもそもの「質量」が違うのに、天秤に計っているのはやっぱり無茶なことのように思えるのです。『ライフパズル』なら、自分という枠(額)の中のピースの大きさは自由に変えられる。仕事が自分の中の80%だというなら額にハマるピースの大きさは80%は仕事でいい。残り20%は別のピースで分ければいい。しかもそれを「他人が」評価するものではない。ピースの大きさはその時に自分がいるステージで変えてもいいと思うのです。

偶然、僕は今は妻の扶養の範疇内(しかもお小遣い程度)での仕事しかしてない”専業主夫”ではありますが、今後はそれも変わる可能性もある。いや、実際に変わりつつある。そうすると今までのピースの大きさをどこかで変える必要があるんだろうな、とも感じてます。「ワーク=賃労働」と定義することは短絡的にも思えますが、今日びの社会はこれが前提になってる。そして、”専業主夫”として日頃”無報酬”のワーク(家事・育児)をしている自分が、稼ぐという意味でのワークをするように変わるのなら、バランスはどう変化するのか、しなくてはいけないのか。

何はともあれ、とても面白い学会の報告会でした。こんなところ、今までの自分だったら縁もゆかりもないと思うだろうから、行く機会もなかったはず。東さんには本当に感謝です。そして、もうちょっとだけ勇気を出して、色々なところに顔を出せるようにしていきたいし、それをここで書き出せればと思います。

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