「どうしたらいいのか分からない」時期を過ごす力
人間、生きていれば「どうしたらいいのか分からない」状態になる。予想もしない展開に陥ってしまったり、いろんなものに絡め取られてにっちもさっちもいかなくなってしまったり。
僕がそんな状況になったのは大学2年生の頃だ。ストレートで大学に進学し、順風満帆なキャンパスライフを謳歌していた。
しかし、2年生の後期に「絶対に落としてはならない」必修科目の試験を、あろうことか時間割を間違えて受けることができず、留年することになった。
学事センターに泣きつこうが、教授に土下座する勢いで懇願しにいこうが「留年確定」が覆ることはなかった。
当たり前に3年生に進級すると思っていたし、就活も始まると思っていたが、人生のスケジュールが一気に狂った。
それ以上に親への申し訳なさや、自分のポンコツさにひどいショックを受け、1週間くらい表情を失った。人生、これからどうしたらいいのか分からなかった。
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最近「ネガティブ・ケイパビリティ」という言葉を知った。「不確実なものや未解決のものを受容する能力」という意味で、19世紀初頭に詩人ジョン・キーツが残した言葉だそうだ。
現代では「すぐには答えの出ない事態に耐える力」とも紹介される。目の前の難題に安易に答えを出すことなく、じっと耐えながら、考えや気付きが生まれるまで、その状況に付き合う力だ。
14年前に戻れるなら、あの時の自分にこう伝えてやりたい。「お前はいま、ネガティブ・ケイパビリティを試されている」と。
留年ショックから少し回復した僕は、とにかく日記を書き始めた。その日にやったこと、頭に浮かんできた言葉、大事にしたいことを毎日欠かさず綴った。
しばらく自分の部屋にこもっていたけど、そろそろ外に出ないとまずいと思って、勇気を振り絞って沖縄へのヒッチハイクの旅に出た。高速のサービスエリアで乗せてくれる車を待ち続けるのも、自分と向き合う時間だった。
そんな時期を1年くらい過ごす中で、「社会起業家」という存在に出会い、まったく予期しなかった方面に、その後の人生を歩み始めた。
「ネガティブ・ケイパビリティ」とは長く暗いトンネルの中で、出口の小さな光が見えるまで、静かにじっと過ごす力なのだろう。真っ暗闇の中で変にあがいたり、走り出さずに、自分と向き合う。
僕が、あの時期をなんとか乗り越えられたのも、日記を綴ったり、ヒッチハイクに出たりして、自分に向き合いながら、ただ耐えたことがよかったのかもしれない。
もしも、不安をかき消すためだけに安易な行動を繰り返したり、自分自身から目を逸していたら、いま立っている場所はだいぶ違ったものになっていたと思う。
長い人生やキャリアを過ごしていれば、一度や二度は「すぐには答えの出ない事態」に直面するものだろう。そんな時には「ネガティブ・ケイパビリティ」という言葉を思い出したい。自分と向き合い、新しいページを開くために、必要な力だ。
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