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デメトリアーデと石原吉郎が死んだが

(千葉ルーアウトテイクその1!)

 まあ、こんな境遇なもんだから、日本とルーマニアの繋がりだとかには人一倍興味があったりするんだ。
 例えばビートたけしのコマネチってネタは当然前から知っていたんだが、ルーマニアにどっぷり嵌まってから聞くと、それがまた違った響きに聞こえるんだよ。コマネチ、ルーマニアの現代史に翻弄された半生だったからね。
 それから、あの室伏広治のお母さんがハンガリー系ルーマニア人だって知った時には驚いたよな。他にもルーマニアの人が結構日本でお店とか経営してたり、ルーマニアの貴族の末裔が日本に住んでるかもとかさ。
 そういえばバイオハザードのシリーズ最新作がルーマニア舞台で、結構ルーマニア語が出てきたりするんだ。ウリアシュは“uriaș / 巨人”って意味だったり、モロアイカは“moroaică”って吸血鬼の一種が由来だ。
 でもルーマニアって観点から見ると納得行かないところもあんだよ。例えばドミトレスク夫人いるだろ。最初名前見た感じだと、-escuってつく名字は本当ルーマニアに多いし、こいつは多分“Dumitrescu”なんて書くんだろうな、現代音楽家のイヤンク・ドゥミトレスク Iancu Dumitrescuとか、元サッカー選手のイリエ・ドゥミトレスク Ilie Dumitrescuとかいるよ、みたいなことを思った。
 それで綴りを確認したら“Dimitrescu”で、いやじゃあ何で“ディ”じゃなくて“ド”なんだよ?とか思ってしまったんだ、素直に読めよって。しかもドミトレスク夫人の名前が“オルチーナ Alcina”なんだけど惜しいよな。“ci”が“チ”は合ってるけど“a”を素直にアで読まないでオで読んでるのは、何か英語に引きずられてる感じがある。いや何か、こういうの気になっちゃうんだよな。

 で、日本の詩を読んでいる時なんかにも、そんな驚くべき繋がりを見つけて興奮したことがあるんだよ。
 石原吉郎って知ってるかな。俺が最も尊敬する日本の詩人の1人なんだ。
 彼は兵士として第2次世界大戦に送られ、ロシアの捕虜になった後、極寒のシベリアで地獄のような生活を送っていた。日本に帰還後、その経験をもとに詩を書いて、詩を書き続けて死んだってそんな孤高の詩人だった。
 彼の詩を読むと、この石原吉郎って詩人は、他の詩人たちとは全く異なる視点から世界を見ていた、いや見ざるを得なかったって思わされるんだ。
 彼が世界を見る時の解像度はゾッとするほど冷静で明晰すぎて、この冷ややかな目線を他の人間が持っていたとして、果たしてその人間はすぐに自殺せずに居られるのか?と想像してしまう。絶望だとか虚無だとか諦念だとか、そういう言葉は既に突き抜けていて、彼のみが立ちずさむ境地が詩のなかに在るってそんな感じだ。実際、彼自身ですらそれに耐えられず、アルコール依存症になって、酒に酔ったまま風呂に入り急性心不全で死去なんて、半ば自殺だって亡くなり方だ。彼の詩を読んでいると、でもその末路に納得せざるを得ないって気分にもなる。
 こう書くと石原の詩は果てしなく陰鬱なんて思うかもしれないけど、でも読んでるとそこには奇妙なわらいすら宿っているのに気づくんだ。そのわらいっていうのはユーモアって意味の“笑い”と、石原が己の人生をやれやれと自嘲するってそんな“嗤い”なんだ。これが何とも印象に残る。
 彼自身、この捻れた笑いに関しては意識していたらしくて、彼の散文に自分の書いたものを評する言葉として、時々“ユーモア”って言葉がそのまま出てくるんだよ。で、俺は彼の詩を読みながら、ひたすら陰鬱なはずなのに、思わず口角が緩んじゃって時には吹き出しそうになる瞬間すらあるんだよ。陰鬱が極まりすぎてユーモアにまで達しちゃうってそんな時が何度もある。
 時々いるんだよ、同じような感触を抱く作家たちが。俺のなかでは件のシオランに、オーストリアの呪詛吐き散らかし作家トーマス・ベルンハルト、それから石原が並び立っているんだ。いわゆる“ギロチン台のユーモア”ってものを、彼らは持っている。こういうの読んでると不思議と元気が出るっていうかね、明日も生きていかなくちゃなっていう勇気が湧いてくるよ。俺もそういうユーモアが欲しいもんだね。

 さてこっからが本題、石原吉郎とルーマニアにどんな繋がりがあるのかってことだ。
 シベリア拘留時代、石原は様々な国の捕虜たちと苦役をともにしていた。そんななか、彼はデメトリアーデという捕虜が作業中に伐採した木に押し潰され、非業の死を遂げる様を目撃する。その光景を忘れられずにいた石原は帰国後に「デメトリアーデが死んだが」という詩や彼の死にまつわる散文を書くことになる。
 俺はどっちも読んだんだが、散文がかなり生々しく死体の損傷具合や、それがいかに雑に扱われていたかなどを描写するドキュメンタリー的な筆致を持っていたのに対して、詩の方は何というかかなり奇妙だ。デメトリアーデの悲惨な死に様に対して絶望とか虚無感は当然なんだが、俺じゃなくてよかった!って不穏な喜びとかもぬっと現れる。読むたびに感触がころころ変わる詩で、捉えどころがない。だからこそ印象に残って何度も読んでしまうっていうのがある。
 でさ、石原によればそのデメトリアーデがルーマニア人なんだよ。
 最初に読んだ時は驚かざるを得なかったというかね。日本語の詩にルーマニアが出てきた驚愕というか感動というか、でもこの状況を思うと第2次世界大戦時代に日本もルーマニアもどんな末路を辿ったかを考えてしまい、なかなか気が滅入る。ルーマニアなんかはドイツに侵略された後、ソ連軍に解放されて社会主義国家になり、こっからチャウシェスク政権が出てきて未曾有の抑圧時代が幕を開けるわけでね。
 その一方で違和感もあるんだよ。いや、デメトリアーデなんて名前のルーマニア人いないだろって違和感だ。実際、デメトリアーデってギリシャの都市の名前だし、人の名前としちゃDemetriadesって表記でやっぱりギリシャ人に時々いる名字だ。もちろんギリシャ系ルーマニア人って存在はいないでもない、同じバルカン半島に位置する国だからね。でも4000人くらいのルーマニア人にFacebookで友人申請送ったけど、そんな名前を持ってる人は一人も見たことがなかった。
 だから、いやあこの名前はないだろ、まあルーマニア人がどんな名前を持っているかなんて当時の日本人がそう知ってる訳ないよなって、ちょっと面白く感じた。まあ、ルーマニア語が分かる人間としてルーマニア語が分からない人間にマウント取るみたいな感じだし、面白がりすぎるのはアレだが。
 だがそこで不思議な気分になった。
 石原は語学の達人だった。ドイツ語、ロシア語はもちろんだがフランス語、英語、スウェーデン語まで理解し、そしてエスペラント語も堪能だった。
 そして日本語に関しては詩人として凄まじい詩の数々を俺たちに残してくれた。
 彼に比べちゃうと俺なんかはまあ他の人よりは語学にも通じてるくらいになってしまう。それでも俺には彼が解さない言葉、つまりはルーマニア語が理解できた。
 それが不思議でしょうがないんだ。この数奇な運命というやつが、また俺に新たな詩を書かせたんだった。

Au murit Demetriades și Yoshirou Ishihara, dar

Un poet numit
Yoshirou Ishihara
După al doilea război mondial
Capturat așa prizonier de URSS
A văzut iad
La Siberie.
Cu amorțeală pentru durerea severă
Eliberat
Întorcându-se la Japonia
El scria poezii despre iad
Continua să scrie
Și a murit

S-a întâlnit la gulag cu un român
Și l-a numit
În mintea
Demetriades
Probabil veți râde
"Nu există un român cu atât de nume!"

Când era Demetriades
La pădure care ar putea fi deprișată
A căzut un copac și
A fost strivit, mort
Cadavrul
Nu era putred în frigiditate exagerată
Tratat mizerabil
Aruncat în depozit
Ishihara s-a uitat în spațiu
Cadavrul superior și inferior al lui Demetriades
Vedeau într-o direcție diferită
Auzind în amăgire
Sunet de carne care răsucea treptat
A fugit
Dar asta îl bântuia ca coșmar
Forțându-l să scrie
O poezie
Numită
"A murit Demetriades, dar"

Limba germană, limba esperanto, limba rusă, limba franceză, limba engleză, limba suedeză și limba japoneză. Ishihara era geniu de limba, deși ar nega acest fapt. Dar nu putea înțelege limba română, și pot înțelege limba română. De ce?

Demetriades
Înainte să fie zdrovit de copac
Înainte de carnea care a răsucit
Ce ați zis?
Ați stricat ceva
Nu în limba rusă
Dar în limba mama
Dragx românx prietenx,
Când s-ați confruntat cu moarte
Ce ați striga?

デメトリアーデと石原吉郎が死んだが

石原吉郎という
詩人
第2次世界大戦の後
ソ連に捕虜とされ
シベリアで
地獄を見た
激痛にすら無感覚になった
解放され
日本に戻り
地獄についての詩を書き
書き続け
死んだ

彼はラーゲリでルーマニア人と会った
そして彼を
心のなかで
デメトリアーデと名付けた
あなた方は笑うだろう
そんな名前のルーマニア人はいないと

デメトリアーデは
森林伐採場にいた時
木が倒れ
下敷きになり死んだ
極寒で腐らない
死体は
適当に扱われ
倉庫に投げこまれた
石原はドアから中を覗きこむ
デメトリアーデの死体は
上半身と下半身が逆を向く
肉体が捻れ切れる
音を幻に聞き
逃げた
だがそれは悪夢のようにとりつき
彼に書かせたのだ
“デメトリアーデが死んだが”
という名の
詩を

ドイツ語、エスペラント語、ロシア語、フランス語、英語、スウェーデン語、そして日本語。石原は語学の天才だった、彼自身は否定するだろうけどね。しかしルーマニア語は分からなかった。そして俺はルーマニア語を理解することができる。何故なんだ?

デメトリアーデ
木の下敷きになる前
肉体が捻切れる前
あなたは何と言ったのか
ロシア語でなく
あなたの母の言葉で
何か
叫んだのではないか
ルーマニアの友人たちよ
あなた方は死に直面した時
一体何と叫ぶ?

私の文章を読んでくださり感謝します。もし投げ銭でサポートしてくれたら有り難いです、現在闘病中であるクローン病の治療費に当てます。今回ばかりは切実です。声援とかも喜びます、生きる気力になると思います。これからも生きるの頑張ります。