ホワイト企業でも過労死するかもしれないのでブラック個人という概念を導入してみる

悪条件とわかっていて仕事を続けてしまうのは、仕事を辞めた先がないからなのは自明なのですが、本当にそのような泥沼にハマってしまう労働環境・生活環境とはどのようなものか考えてみましょう。

ボーダー(境界)を定めることで、もしかすると不味いとか、もうこれ死んだも同然だな、という条件が見えてくるかもしれません。

ブラック企業の定義

ブラック企業はかなり一般的な言葉となりましたが、みなさまそれぞれ認識が異なると思うので、認識をすり合わせるために従業員の人権を無視する企業のことにします。

具体的に人権とは憲法第25条に「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」と書かれています。いわゆる生存権ですが、区別しておきたいのは最低の生活最低限度の生活は全く違うものです。人間は雑草と土を食べてればバクテリアと共存できるものですが、これは最低の生活です。

最低限度の生活とは、他の人とだいたい同じように生活できる時間的・金銭的余裕があるということです。なので、5000兆円持っていても24時間コントロールされていては1円も使えないわけですね。お金があり、そのお金を使う余裕、この2つが両立して他の人と同じように生活できる、というのが最低限度の生活です。

つまるところブラック企業とは、生存権を脅かす就労形態になっている企業のことです。

時間は命と同じぐらい重い

三六協定を結んで労基法を遵守しているからと言って、必ずしもホワイトとは限りません。

最低限度の生活とは、時間的・金銭的余裕があることです。通勤に往復6時間かかってしまっていたら、たとえホワイト企業でも生存権を脅かされます。考えてみてください。往復6時間、8時間勤務、1時間休憩、これらを足し合わせると15時間です。残り9時間で最低限度の生活を営んでください、ということです。

私の場合は最低でも8時間は寝たいです。すると残り1時間で家事をしなければなりません。

朝は飛び起きてスーツに着替え髭を剃って車に乗る。開始早々20分使いました。3時間かけて山に登り、帰りは3時間かけて山を下る。スーツをぶち破る勢いで服を脱いで風呂に入る、長風呂派なので30分入りましょう。10分で歯を磨いて寝ます。これで1時間です。何もかも忘れていますね。

例えば、食事です。朝食と夕食が省かれています。会社で1日分の食事を摂るつもりでしょうか。血圧や血糖値が急激に上昇下降しますので、糖尿病や脳卒中などの生活習慣病まっしぐらですね。よほど透析したいのでしょうか。

炊事洗濯掃除もしていませんね。家事の一切を土日にぶん投げたら遊んでる余裕がありません。趣味がなく、土日に家事だけやって休養に使うのが果たして文化的と言えるでしょうか? お部屋に貝塚があれば文化的と言えなくはないですが、洗濯している余裕がなければパンツと靴下の山を作るのが関の山でしょうか。教科書に載りたくないですね。

諸悪の根源は何でしょうか? 三六協定を守っているホワイト企業でしょうか? 言うまでもなく6時間の通勤時間ですね。引っ越すとしたら山買って家建てるしかなさそうです。

では、わざわざ会社に往復6時間かけて通勤する人は転職できるのでしょうか? たぶん、この人は体を壊すまでずっと同じ会社で働くと思います。

時間的な余裕がないと逃げ出す余裕もない

逃げ出す余裕というのは、逃げるためのプランを考える余裕です。1日1時間だけ自由時間があり、その中に睡眠までの家事を突っ込んだら考える余裕なんてありません。かろうじて休みの日が家事がてら考えられる程度です。

でも、それが1週間に2日しか時間的チャンスがない。私はエンジニアなので5日も時間が経ったソースコードはすぐに思い出せないことを知っています。考えをまとめたり、プランを考えたりするにも、思い出すのに何時間か使うわけです。

また、考えるだけなら無料ですが、家事と一緒に調べものはなかなか難しいです。風呂を洗いながら物件を探せるでしょうか? 転職活動用のプロフィールの文章を書けるでしょうか?

このように、時間的な余裕がなければ逃げ出す(転職)のための準備ができなくなります。

仕事を選ぶのは贅沢なのか?

仕事を選ばなければ経済上向きなので比較的かんたんに転職できる、という見方もあると思います。実際に、そのように主張する人は少なくありません。それが望んだ転職であれば全く問題はありません。すごくハッピーなことだと思います。

しかしながら、それが望んだ転職先でなければどうでしょう? 憲法では職業選択の自由が認められています。日本国憲法22条では、「居住・移転・職業選択の自由」が明記されています。住むところ、移るところ、働くところが自由であるということです。

一方で、日本国憲法27条には「すべての国民は勤労の権利を有し、義務を負う」と書かれています。よく、労働は義務だから働かなければならない、と言う人がいますが、憲法27条では労働の権利と義務が併記されているんですよね。しかも、22条でも似たようなことが書かれているわけです。

労働が義務であるならば、現在望んだ職業に就けない状態というのは憲法で認められているわけです。これが職業選択の自由です。一方で、仕事をしていないからと言って勤労の義務を果たしていないとして望まない労働をするのは個人の精神として憲法に反しています。

もし、このような個人の意思を尊重しない労働を義務を建前にさせることができるなら、強制労働は憲法違反ではないことになってしまいます。無職を集めて無理やり炭鉱に送り込んでしまえばいいのです。働いてないんでしょ、義務を果たしてないじゃない、炭鉱で穴掘りの仕事があるよ、義務を果たしてから文句言いなと。こういう資本家の無茶が祟らないように、権利と義務の両方が果たせるような制度設計になっているわけですね。

例えば、精神やみやみの無職がいたとして、その無職は現在やむにやまれず就労できない状態であり、義務を果たしていない状態であります。しかしながら、やむにやまれず就労できない状態(働きたくない)などは職業選択の自由の範疇になります。YouTuberになってキッズのおもちゃになるのも、いわば職業選択の自由です。

文化的な状態と言えるボーダー

実は、職業選択の自由であったり生存権を俯瞰して見ると、文化的な状態というのは自分で物事を決められる、という状態になります。いわゆる自由権です。

自由権とは、自分が自分で自分の物事を自分で決められることです。誰かに働けと言われて働くようでは自由権が守られているとはとても言えません。

と言っても、自由権が認められるようになったのはつい最近(17世紀頃)のことです。それまでは、他人を暴力でねじ伏せて強制労働させても良かった時代になります。黒人の奴隷とかいいお手本ですね。

さて、5000兆円もらえる山奥までの通勤が往復6時間の会社では、個人の自由権が守られている状態でしょうか? たったの1時間で自分で物事を決められる状態でしょうか? とても決められる状態ではないと思います。

どんなにホワイトであったとしても、個人の自由権が尊重されていない状態は人としての権利を主張できていません。人が人としての権利を行使できるというのは、人間が文化的である証です。

したいと思うことができない、決めたいことが決められない。これだけで文化的でないと言えますのでブラックな状態であると考えられます。

ホワイト企業というのはそもそも労務管理きちんと法令通りにやっているので何ら人権侵害はしていません。しかしながら、ホワイト企業であっても続けていたらいずれ死ぬだろう、と先ほどから山奥に通っているサラリーマンの例を取り上げています。すなわち、企業がホワイトかどうかよりも、個人がブラックになっているかどうかのほうが重要なわけです。

個人がブラックな状態になるのは自己責任だという見方もあるかもしれません。自由権の結果としてブラックになったのだから甘んじて受け入れろという見方です。

しかしながら、人権を含め自由権というのは永続的な権利なので、1秒でも侵害されていればたとえ法律でも無効になります。憲法はトラップで破壊できないぐらい強いカードなのですね。

なので、個人がブラックな状態になっていれば、政府が積極的に救済するべきです。5000兆円貰ってるのに近隣が国有地で山が買えない、というのはなかなかのパワーワードですが、そこまで自由権が侵害されている状態であれば移住転居の自由を盾に国有地買収の裁判を起こしてもなんら不自然ではなさそうです。最高裁までもつれ込みそうですね。

まとめ

ブラック企業であるか、というより個人がブラックな状態である、というところにボーダーを引きました。個人がブラックな状態であるというのは、人権(自由権)が侵害されている状態です。

個人がブラックな状態に陥っていると、何ら自分で判断できなくなります。金銭的・時間的な余裕がなくなるからです。特に、時間的な余裕がないと考えたり計画を立てられなくなるので転職もおぼつかなくなります。

当然ながらブラックな状態になっている人たちは自分で決められなくなっているので放っておけば勝手に精神を病むか死んでしまうでしょう。自己決定権がないので仕方ないですね。

身も蓋もありませんが積極的にブラック個人を救済するような社会になれたらいいのですが、今は老人介護問題のほうで予算がないと思うので日本人が1億2000万人から5000万人ぐらいまで減った頃に考え直すことにしましょう。ソ連の大粛清と同じ規模と考えるととんでもない爆弾を日本は抱えていますね。おわり。

普段は研究していて生活が厳しいのでサポートしてくれる方がいるととても嬉しいです.生活的な余裕が出ると神が僕の脳に落書きを残してくれるようになります.