見出し画像

【訂正あり】「弔いと生活 ~死をめぐる現在をとらえる」 日本生活学会公開シンポジウムより


〇はじめに

日本生活学会公開シンポジウム

「弔いと生活 ~死をめぐる現在をとらえる~」

先々週末に、都内の大学で開かれたシンポジウムを聴講してきました。登壇されたのは以下の方々

・「無葬社会」の慣れの果て(鵜飼秀徳さん/浄土宗総合研究所嘱託研究員・佛教大学・東京農業大学非常勤講師)
・「伝統的」葬墓制の近代性について(土居浩さん/ものつくり大学准教授)
・海洋散骨の現状と広まっている背景(村田ますみさん/株式会社ハウスボートクラブ代表取締役社長)
・歌と弔いーひとを偲ぶ音楽の現在(佐藤壮広さん/立教大学兼任講師)

宗教家、墓制の研究者、海洋散骨の事業者、そして宗教人類学の方と、やや異種格闘技的な組み合わせでしたが。「弔い」と「生活」との関わりについて、いろいろな視点でのご意見を聞くことができました

簡単ですが、当日のメモよりみなさんの発言をご紹介させていただきます

〇鵜飼秀徳さんのお話

・死がオープンにされなくなったことで、忌引き休暇もとりにくくなっているのではないか
・多死社会とともに、葬式は「薄葬」の時代へ。その分、遺体の安置施設が増えている
・青山墓地ですら会葬よりもお別れ会が増えてきている
・団塊世代は薄葬指向。その次の世代の動向はまだ分からない
・その時にお寺さんとの関係がどうなっているか?

鵜飼さん、もはや安定の域にあるお話ぶりでした。冒頭面白い視点だと感じたのが、忌引き休暇のお話です。いまの時代、忌引きで休んだことすら、後から知ることが珍しくなくなりました

こうしたことも、他人に迷惑をかけたくない。「死」は他人に迷惑をかける出来事の一つ。そうした意識が広まった結果なのだろうなと、わたしも思いました

〇土居浩さんのお話

・この20~30年間で葬送や墓制は全国で一律化してきている
・この変化にはライフスタイルの変化が反映されている
・このように変わってきたものは、将来も自分たちで変え得る
・この変化を支えるのは、団塊世代とその死

もうちょっと時間軸を拡げると、日本の葬送墓制は近代化の進んだここ150年くらいで大きく変わった、と言えるのではないかと土居さんのお話を聞きながら思いました。火葬、葬送、埋葬方法など。その中でも特に、ここ20~30年の変化が劇的なのでしょう。ここは葬送墓制を考える上で、とても大事なポイントだと最近強く感じています

〇村田ますみさんのお話

年間の海洋散骨件数は1万件程度
ここ数年は「墓じまい」の影響も見られる
散骨=墓標がない。手元供養やメモリアルクルーズなどを通じたアフターフォローも大事
粉骨にするためのお手伝いもしている

海洋散骨について、わたしは実は、積極的に賛成する立場ではありません。もし海洋散骨はどうか?と聞かれたら、お墓を作らなかったことで後悔される方もいます。そうしたお話も踏まえて、散骨がより良い選択がどうか考えられてみて下さい、とお伝えするようにしています

一方で村田さんのお話からは、海洋散骨を希望される方は着実に増えているご説明がありました。その選択に善し悪しはありません。それを選んだ方々が長期に渡ってその選択をどう捉えていくのか。わたしはその点にとても関心があります

村田さんの会社ではそうしたお墓を作らないご遺族への対応のひとつとして、回忌法要に変わるメモリアルクルーズなどをご遺族に提供されています(6/20追記)

なお、登壇された村田さんは都内で海洋散骨の事業を営まれているだけでなく、ブルーオーシャンカフェというリアル店舗を通じて、終活を中心とした地域の場づくりもされています。ご興味や関心のある方がいましたら、ぜひカフェにも足を運ばれてみて下さい。場所は東京の「住吉」です

※ブルーオーシャンカフェさんの場所は清澄白河ではなく、住吉、でした。大変失礼いたしました。訂正をさせていただきます(6/20追記)

〇佐藤壮広さんのお話

音楽は故人と生者を繋ぐスイッチとなり得る
また音楽は昔から弔いを彩るものだった
歌うことで不在の他者とのコミュニケーションを取ることも出来る(故人の好きだった歌など)
音楽療法など、歌にはケアの力がある

お葬式の時に何を流して欲しいか。そして実際に流した音楽は、参列した方に故人の思い出として遺っていくのだろうと思います。その意味でも、歌、そして音楽と弔いは切っても切れない関係にあるのだと、改めて認識させられるお話でした

〇最後に

最後にシンポジウムの質疑応答で気になった、二つのコメントについて触れておこうと思います

・生活の延長に死がある。タブー視しないで欲しい(村田さん)
・死をイメージする際に故郷や土地はひとつのキーワードになる(佐藤さん)

村田さんのお話、本来なら当たり前過ぎることですが。現実には、日々これを感じれているのは、終活やエンディング、看取りの現場にいるなど限られた方々なのが現実です

この現実が、団塊世代の「看取り」や「死」を通じて変わっていくのかどうか。もしかしたらわたし達の死生観にってのターニングポイントがこれからやって来るのかもしれません

また佐藤さんのお話は、非常に心情に訴えるものだと思います。以前に鵜飼さんが、帰省とはつまり「墓参り」であるといったことを書かれていました

お墓やお寺さんとは多くの方が無縁だ、関係ないんだと言いつつも、実はまだまだ多くの方がお墓のある土地や地域と結びついている現実があります(それが無ければ帰省や帰省渋滞などとっくに廃れています)。それも今後大きく変わっていくのか。またもし本格的に始まるなら、今後より一層多くのお寺さんが無くなり。それに伴って大量のお墓が「終い」を迎えていくはずです

そしてそうしたことは周りまわって、わたし達の「生活」を大きく変えていくものになると思います。その行方がどうなるのかは、わたし達の選択次第、ということになるのだろうと思います。。

デス・カフェ@東京主催。ヒトやペットの区別をしない、死別・喪失のサポート、グリーフケアのお話をしています