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デジタル遺品がわたし達に問いかけるもの

巷がコロナウイルス、新型肺炎の話題ばっかりのこの時期だからこそ…
というわけでも無いのですが、下書きにしまったままの記事を掘り起こしております。

今回のテーマは『デジタル遺品』です

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デジタル遺品

という言葉をみなさんはご存知ですか?
そう言えば、先日 note で取り上げた深夜ドラマ『dele』も、デジタル遺品を扱っていましたね

このところこの言葉を、新聞などのメディアで見かける機会がありました。わたしの理解ではこれらは

・SNSやブログなどオンライン上に遺された故人のアカウントや書き込みのこと
・例えばブログページ、ツィッターや facebook、Instagram のアカウントやそこで行った書き込みや投稿、コメントなど
・広くはスマホやパソコンなどの機材を指す場合もある
・これらがアカウントの持ち主が亡くなった後もネット上に残ったままの状態であること

を指していると思います

わたしにとってはこの note も、もひろん、デジタル遺品になるだろうものの一つです

さてみなさんは自分が突然死ぬとして、こうしたアカウントをどうするかもう決めていますか?

誰かに削除や管理を依頼しているでしょうか?

またこうしたアカウントや自分の書き込みが自分の死後どう扱われるかまで気にかけていますか?

そんなこと、まったく考えたことも無かった…
という方がほとんどだと思います。かく言うわたしも、こうした note を書きながら「オンライン上のデジタル遺品」についてはノータッチの状態です

実はこの記事を書こうと思ったきっかけは、最近になり、ツィッターや facebook などでアカウントの持ち主が亡くなったお知らせを見かけるようになったことです

当然ながらそれらは故人が書き込んでいるものではく。そのご遺族や生前に個人の意思を託された方が、お知らせとしてアップをされたものです

こうしたお知らせを載せる(ことを託した)方はもともと、SNS 上で自分のの病気のことや。余命や闘病の状態などを事前に書き込んでいることもあり。最後に自分がどうなったかをお知らせし。自分を応援なり、心を寄せて下さった方々に感謝の意を伝えることが目的に行われているようです

ようです、というのは、本当にそうした意思に基づいて書き込みがされているのか?

わたしには判別できないからでもあります

当然ながらこうした書き込みには多くのいいねやメッセージが付きます。故人に対してだけでなく、遺された家族に対するものも少なくありません。わたしはあまりそうした書き込みをしたいとは思いませんが、それでも、いいねぐらいは押します

でも本当のところ、こうしたデジタル遺品や亡くなりましたのお知らせはどう扱うべきなのでしょうか

送り手として永遠に遺しておくべきものなのか

受け手ととしてどのように受け止めるべきものなのか

そんなの、故人(もしくは個人)のやりたいようにすればいいじゃないか。生前にその人がそうしたいと思ってやっているのだから、周囲がとやかく注文を付けることでもないだろう

そんな意見もあると思います。それはそれで正しいですね

ただそうしたメッセージにいいねを押したわたしやあなたは、本当に、その方やご遺族が綴る内容をただ消費しているだけではない、と言えるのでしょうか。残されたご家族のその後のことまで考えて「いいね」やコメントをしていると言えるのか

もしそうでない可能性があるならばそれは、もしかしたら、感動ポルノとして遺品を消費しているだけではないか…

と、ふと、そんなことを感じる瞬間があります

これに関係するお話を先日ツィートしたところ、あるお医者さまから、故人のアカウントから未だにその人の誕生日になるとお祝いメッセージを促す表示が出るんですよね、とリプがありました

そうなんですよね

アカウントに誕生日を登録しておくと、このメッセージが届くときがあるのです。生死に関係なく。それに対して、時々、その方の知り合いと思思われる方。しかもその方の死を知らない方が「おめでとう」のメッセージを書き込んでいる時もあります

でもそれに対して積極的にレスをする方もいません。そういうことを指摘するのも野暮だしなぁ…と思ってやり過ごしてしまうことは、過去、わたしにもありました

こうしたことまでを想定して、生前、SNS に物事を書き込み。そしてそれを残したままにしている方はまだ少ないと思います。ただ現実には、そうしたデジタル遺品がネットには残り。誰かの目に永遠と触れてしまうままになっている…

みなさんが意図して書いたわけでもなく。残したわけでもない書き込みや文章。そして創作物が、死後、思わぬ形で脚光を浴び。評価され。持て囃され。そして消費されていく

そのようなことが今後起こり得るのかもしれません
それが本当に良いことなのかどうか…

一方でそうした遺品は、その人が生きた証でもあります。それを他人の意志で消してしまったりすることも同じように良いことなのかどうか…

将来技術がより発達したら、脈や鼓動が止まり、それが確認されたと同時に、指定したネット上のデータが一斉に消去され。亡くなったことが表示や通知されるようなサービスも今後登場しそうです

そうなったら全てが解決するのでしょうか?

こうした悩みは今後、きっと、増えていきそうですね。。

デス・カフェ@東京主催。ヒトやペットの区別をしない、死別・喪失のサポート、グリーフケアのお話をしています