筑駒文化祭、6年後(日本語訳、18禁)

おそらくこのイベントに参加するのは今年が最後になるでしょう。
若い人たちから「あなたは私の青春だった」と言われたことを誇りに思います。

誰もが信じるべきものを探しています。だから私は信じる価値のあるものの役を演じました。
私に託された祈りが、私を舞台の中央に立たせてくれた。
年長者は年少者に希望がないなどと言ってはなりません。
唯一の真実は、18歳のあの日、私たちが怒り、中傷、そしてあらゆる方向からの期待に対して正々堂々と戦って勝利したということだ。

国家も地域社会も家族も私たちを尊重することはできません。 現実には、男性と女性は孤独な個人として「過剰につながった」世界を漂流します。
だから私たちは自分たちで自分たちの物語、自分たちの世界を作らなければなりません。
命令は暴力的かつ単純でなければならず、命令する者は美しい理想を体現しなければなりません。
他者の感情、意志、夢、快楽を無視するに値する圧倒的な強さと理想。
正直に言うと、皆、私のために貴重な青春を使ってくれました。 私には今でもその責任があります。 そして、私の後に同じ舞台に立つ人たちも同様です。

運命と戦い続けてください。
私たちの理想を実現するために、どれだけの犠牲を払い、どれだけの批判に立ち向かったかを記憶していれば、経験は自信を与えてくれます。
自己保身は周囲の模倣であり、自分がいる場所の外に出ることはできませんが、自己犠牲は自己創造であり、外に出ることができます。
外の世界に出るために必要なのは、内なる世界で自分の代わりを作ることだけです。
そうしない人は、実際には存在しない刑務所に閉じ込められ、犠牲者として人生を生きることになります。

幸いなことに、今日では冒険は誰からでも始めることができます(少なくとも理想上は)。
他人の決断で鎖を断ち切る悲劇か、自分の決断で鎖を断ち切る喜劇か…それが問題だ (that is the question) 。

And damn’d be him that first cries, ‘Hold, enough!’

(Macbeth, Act Ⅴ, Sc.8)

そのとき私たちは最高の景色を眺めることができました。 だから、もしすべてを失っても、また最初から登り続けられると思う。
後輩たちが私の意志を継いでくれるのを嬉しく思います。

第一幕が終わった。
第二幕をはじめよう。
良い仕事が永遠に続きますように。
ごきげんよう。



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