前回の続き。
理想と現実の狭間で揺れ動くのが人間というものだろうが、国家にもそういうところはある。
そして『ハル回顧録』は、ハルに限らずアメリカは大体にしてそうだが、国際協調重視であり、その末尾の方でこのような理念を語っている↓
それは、理念としては誠に結構なものだ。しかし、それを実現できるかはまた別の話になるわけで、『ハル回顧録』にもこのような記述がある↓
では、もし「各国の協力の精神」が失われたら、どうなるのか?
第二次世界大戦の頃、侵略戦争を行ったのは、日本・ドイツ・イタリアだけでは無い。ソ連もだ。
そして第二次世界大戦の末期、ソ連は勢力拡大に励み、米ソ対立は始まろうとしていた。
一応、ハルもそのことには触れており、このようなことを記している↓
ハルは婉曲に記しているが、「多くの警察国家の古今の指導者を破滅に導いたと同じような、悲しむべき過ち」とは何か? 「どういう事態にも対処できるだけの力をそなえていなければならない」とはどういうことか?
それは結局、「国際連合は尊重し、外交努力はしなければならない。しかしそれでもソ連は戦争を起こすかもしれない。だからアメリカは十分な軍事力を保持しなければならない」ということではないのか?
それはすなわち、「アメリカは、どうしても必要な時には、ソ連と戦争しなければならない」ではなかったか? および、それがソ連以外のどの国だったとしても。
それはもちろん、文字通りに全ての国家が、本当に国際協調的で平和主義になれば、そんなことも無くなる。めでたく全世界の平和が実現する。
しかしそれは、『ハル回顧録』が執筆された時点では、実現するとしても遙か遠い未来の、現実から乖離した希望でしかなかった。
だからハルは、そのような希望への道と同時に、厳しい現実への備えを、すなわちそれは戦争への備えに他ならないのだが、婉曲に唱えた。
と、そういうことだろう。
そして結局、国際連合設立から約80年が経過したが、ハルが記したような理想は実現していない。
それはもちろん、これから実現する可能性はあるだろう。なのだが、80年がかりで駄目なものならば、800年がかりで実現させていく覚悟が必要になるはずだ。
平和、あるいは理想への道は、それほどまでに険しい。と、筆者的には思う。