ハルノートはアメリカの譲歩案だったとも考えられる。ただし一応の。

 筆者は実は病人で、体調が良かったり悪かったりする。良い時には良いのだが、ここしばらく具合が悪かった。なので記事を書くのもしばらくぶりで、今回はハルノートについて。


 ハルノートも色々と七面倒くさい話になるのだが、今回の記事は全文では無くこの部分↓についてだけで、これは実は、一応ではあるもののアメリカの譲歩だったと解釈できる、という話。(ただしこれ、筆者はそう考える、というだけで、確かな証拠は無い。念のため)。

The Government of Japan will withdraw all military, naval, air and police forces from China and from Indochina.
日本国政府ハ支那及印度支那ヨリ一切ノ陸、海、空軍兵力及警察力ヲ撤収スヘシ


 最初に注記だが、ハルノートについても、色々と間違った俗説が流布されている。そのひとつが、「アメリカは日本に対して、即時かつ無条件の撤兵を求めた」というもの。

 ところがこれ、単純な事実誤認だ。ハルノートの原文を見れば、そうであることに疑問の余地は無い。

 事実としては、ハルノートでアメリカが求めたのは「完全撤兵」だけ。その時期や条件について言及は無い。
 ということは、それは「完全撤兵を約束してくれるなら、その実行は後回しで良い」の婉曲表現に他ならない。すなわちそれは、アメリカ側が日本に示したごく僅かな譲歩と考えられる。


 では、アメリカは何故そうしたのか?

 以前も記したことなのでここでの説明は省くが、第二次世界大戦におけるアメリカの戦争目的は、当初はドイツ打倒だけだった。アメリカ自身の安全保障上の理由からドイツのヨーロッパ支配を阻止しなければならなかった、ということ。

 なのだが、その後に日本がドイツと同盟してしまう。これでアメリカは、ドイツ打倒のためには、ついでに日本も打倒しなければならなくなる。

 とはいえ、アメリカにとって日本との戦争は無駄手間。
 ということはつまり、何か日本に譲歩して日本との戦争を回避した方が、アメリカにとって戦略的に賢明。これは自明の理だろう。


 なのだが、ここで大問題にぶつかるわけだ。
 いったいアメリカは、日本に何が譲歩できるだろうか?という大問題。

 まず、アメリカはドイツとの戦争は決定している以上、日独伊三国同盟の破棄または死文化は譲歩できない。

 また、アメリカが対独参戦した後、イギリス・オランダはアメリカの同盟国となるので、日本の東南アジア方面への侵攻も、容認できない。

 さらに、日中戦争関連の日本の要求も受諾できない。要するに「日本の侵略は認めない」は満洲事変以来の一貫したアメリカの方針なので、いまさらそれを覆すのは政治的に不可能。

 つまり、当時のアメリカには戦略的および政略的に大きな制約があった。その中で日本に譲歩できるとすれば、「完全撤兵を約束してくれるなら、その実行は後回しで良い」ぐらいしかなかった。


 そしてアメリカは、ハルノートでそれを日本に示した。
 だから理屈としては、ハルノートは当時のアメリカに出来る限りの譲歩を日本に示したものだったことにはなる。

 なのだが、それはごく僅かな譲歩でしかなかった。そんなもので日本は納得すると、当時のアメリカに考えられただろうか?

 少なくとも国務長官コーデル・ハルは、その当時の言動からして、そんなこと思っていなかった。


 それでは、今回の話は以上。

 要するに、日本がそうであったのと同様、アメリカも日本との戦争は回避したいと思っていた。なのだが、これまた日本と同様、自らの国策を曲げてまで、そうするつもりはなかった。
 全体的な話としては、そういうことになる。


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