SNSの時代に本を書くということ・・・新書「ヒトラーの時代」に思う

中央公論新社から新書『物語オーストリアの歴史』を上梓してからほぼ一ヶ月半が経過した。私にとって四冊目の単著であるが、今回の本は、オーストリアの歴史を、各州の地方史の視野に降り立ちながら、通史としてもある程度フォローできるようにという大変高いハードルを課されたという意味で、これまでのように、自分の専門領域のストライクゾーンの範囲内で構想し、執筆するパターンとは全く違った作業だった。そして、ウィーン文化史を専門とする私にとって、地方史の細部を掘り起こすのは、気が遠くなるような根気を要しもした。これらの事情で、気がつけば14年もの年月をこの仕事につぎ込むことになってしまった。

このように飛び抜けて苦労が多い仕事だったわけだが、終わってみて、これまでの単著ほどの達成感は感じることができずにいる。さらに出版後1週間ほどで、むしろどうしようもない恐れと悲しみの感情に取り憑かれた。原因は、インターネットである。幸いにも(と言っていいのだろうと思う)、『物語オーストリアの歴史』には、出版直後からamazonで好意的なレヴューがつき始めた。ただし、それらのレヴューの多くには、書き手の見識を疑わせるような棘が確実に仕込まれていた。「自分はアンシュルス(1938年、ドイツによるオーストリア併合)以降の問題に関心があるが、その点を詳述していないので星マイナス一つ」(←そういうテーマの本じゃないですよ!) とか、「『弱冠18歳』という用法は間違いだ。『弱冠』は『礼記』で20歳のことをいうので、これは誤用。ノリで言葉を使うな!」(←国語辞典引いてください。もとは『礼記』の「二十を弱と曰いて冠す」からきた言葉だけど、現代語では一般に年が若いことを指すために用いられていますよ!) とか、しまいには「調べたことを全部書きました、という本。内容を整理しろ」(←調べたこと全部じゃないよ、知ってることの一部だよ!) という暴言まで。ひとつの世界観を形にした書物という商品が、コーヒーメーカーや猫のトイレと何の変わりもなく星で評価されることに、なんともいえないやるせなさを感じた。

同時にツィッターでも、本の中で、「オスマン帝国」とせず、あえて「オスマントルコ」という表記をしたために、「オスマントルコとかって、今どき女子大生かよ?」と食いつかれた。この古い表現を使ったのには実は理由があって、14-16世紀当時、オスマン軍の攻撃を受け続けたハプスブルク君主国側の人々が、攻めてくるのはトルコ人だとばかり確信していたこと、年代記などの史料に使われる用語も”Türken“しか見当たらないこと、など、史料的な判断も大きかった。なので、TL上ではこのあたりを説明させてもらった。

この段階で、心理的にはかなり疲弊しきっていた。自分の本が、ワクワクした読書の楽しみをもって人々の手に取られているという感覚が全くない。むしろ、市場に出た途端に心ない人びとの手で公開処刑されるかのような恐ればかりが湧いてきた。この「オスマントルコ」のようなツィートが炎上したら、という不安から定期的にエゴサーチもするのだが、これが精神的にさらに良くなかった。

そうこうしているうちに、中公新書では七月の新刊が発売された。その中に、池内紀さんによる『ヒトラーの時代』があった。ツィッターをご覧の方は、おそらくこの本について多少は目にされているのではないだろうか。池内さんは著名なドイツ文学者で、カフカやギュンター・グラスの翻訳でも知られている。ただ、文学研究者ゆえ、一次史料を見るわけもなく、どちらかといえばエッセイ的な著作になることは、刊行前から私ですらある程度予想はついていた。ところが、蓋を開けてみると状況はさらに酷いものだったようだ。ヒトラーが「ナチス」を自称したという事実誤認にはじまって(「ナチス」はのち時代による蔑称)、年代、人名表記、雑誌タイトルなど、ウィキペディアで探しても見つかるレベルの誤りが満載である。

恐ろしかったのは、発売後一日経つか経たないかのうちに、ツィッターのドイツ現代史クラスタで爆発的な炎上が始まったことだ。最初のきっかけは、このクラスタにいる高名なドイツ現代史研究者、特にナチス期を専門とする先生方が「この本はひどい」とジャッジし、すぐにウェブ上で誤記訂正を始めたことだった。そして、その後はツィッターのお定まりの展開で、匿名アカウントがガンガン尻馬に乗って行き、ついに「池内紀『ヒトラーの時代』がひどいらしい」というTogetterまでできるほどの騒ぎになっている。

この経過を、実に複雑な思いを抱いて眺めていた。最初にツィッター上でこの本の正当性に警鐘を鳴らし、誤記訂正を始めたドイツ史研究者の良心には、強く共感する。大学の教員である限りは、メジャーな新書レーベルでとんでもない間違った内容の本が広く流布したとなると、学生への影響が気になるし、当然、卒論指導などにも支障が出るだろう。専門家としての義務感からこのような発言と作業をされたことは疑う余地もない。ただ、ほんの数日のうちに、この方たちは正誤表を仕上げて中央公論新社に送付したという話で、このことには実に我が目を疑った。

たまたま中央公論新社で直近に新書を作ってみての感想なのだが、こちらの会社の校閲は、これまで他社では経験したことがないほどハイレベルだった。校閲部には外国語を解する専門家が控えていて、私の原稿についても、ドイツ語のウェブレキシコンのようなものまできっちりチェックして、年代や、人物のファーストネームなど、当然起こりうるケアレスミスを徹底的に洗い出してくれた。同社の校閲部Fさんには、いまも深い感謝の気持ちを抱いている。では、そんな中公新書で、なぜ池内さんの本を巡ってこのようなことが起こったのか。考えうる答えは一つしかない。著者である池内さんが校閲を拒否したからであろう。差別的な表現などを除いていえば、校閲者が「間違いです」「これはこうした方がいいです」といったところで、著者が承諾しなければ勝手に直すことはできない。そしてこのことは、実は、本を作るという営みの本質に関わることでもあるということを強調しておきたい。著者が原稿を書く。その内容を出版社がチェックして好き勝手に修正する。こんなことがまかり通れば、それは容易に検閲や発禁処分という、言論・出版の自由を決定的に損なう方向に進んでいくだろう。ドイツ現代史の先生方の研究者としての良心と正義感には敬意を表したいが、もしも修正要求をするのであれば、それは出版社ではなく、著者の池内さんに向けてするべきだと思う。

池内紀さんには、2000年前後にウィーン関係の展覧会準備作業などで何度かお目にかかったことがある。とても優しく温厚な人柄を感じたが、他方、彼の翻訳を担当した編集者から伝え聞いたところによると、ご自身の文体や、原稿については、ある意味確固たる独自の美学のようなものを強く抱いておられ、明らかな間違いであっても、指摘や修正要求には頑として応じず、ときには編集者に土下座させるような場面もあったらしい。人づての話でしかないが、もし事実だとすれば、今回の騒動に無関係ではないだろう。

この炎上は止むところを知らず、結局は、ご子息でイスラム研究者の池内恵さんまでが、父・池内紀の仕事に関して連続ツィートするという事態に発展している。このツィートが本当に胸に響いた。父への思いや微かな反発など、いろいろな心の襞がそこには読み取れるのであるが、特に、父である池内紀がインターネットにいっさい手を触れたことはなく(このことは、かつて同氏による翻訳、ギュンター・グラス『蟹の横歩き』で、ネット上の「チャット」を「チャート」と訳されていたことからある程度予想はついていた)、テレビさえも持たなかったこと、あの世代の研究者が、一生に何度か海外を訪れ、そのときに仕入れた情報を糧に生涯研究を組み立てていくのが常態だったこと、そのような仕事の「世代差」が確実に存在することを示唆しているのが、直接でないにしろ、問題の本質に触れていると思った。現在、日本の外国研究者は、年に何回も現地に出かけ、最新の文献情報をアップデートし、現地の学会とも足並みを揃えるのが当然とされている。しかし、それにどんな意味があるのか、と、池内恵さんは疑問を投げかける。現地の学会の最前線は、本当にそれほど意味があるのか。実際、人文研究が欧米でもそれほど理想的な環境にあるとはいえないいま、ヨーロッパの学会のトレンドにしても、本当に重要な問題を緻密に洗い出していくというよりは、例えばボローニャシステムとの関連で予算が取りやすいとか、そのような動機に左右される部分も当然多いのだ。そんななかで、日本人研究者が西欧研究を手がけるとき、あえて最前線が捨て置いた分野を拾い直すことにもそれなりの意味がある、という指摘は実に正しいと思った。そして、池内紀さんのお仕事も、もともとは、ドイツ文学の中で王道とは言い難い分野を拾い上げ、日本に紹介したことに大きな意味があると言えるだろう。いま、オーストリアと日本の修好150周年でにわかにウィーンブームが訪れているが、もともと日本で「世紀末ウィーン」という概念を掘り起こしたのが池内紀であったことも忘れずにおきたい。

誤解しないでいただきたいのだが、間違いだらけの池内本を擁護するつもりは全くない。いい加減な本が多数、世にはばかれば、特定のテーマについて間違った情報が広く受容されることになる。その意味でいえば、文化史の分野でも、ハプスブルク家の肖像画を「怖い絵」と同じ価値観でくくってしまったかのベストセラーなどは、いま思っても罪は大きいと思う。専門家でない人が軽く書いた本が、専門書を凌駕してスタンダードとして読まれる状況は危険だし、今回の批判をスタートしたドイツ史研究者が抱いた最大の危惧も、おそらくはこの点にあるのだと思う。

しかし、SNSというツールを通してのディスカッションが危険なのは、アカウントさえ持っていれば、誰しもが、これらの専門家、研究者と同レベルで発言できるという点である。もう今回は気持ちが翳りながらもめちゃくちゃに気になって関連ツィートをほぼフォローしていたのだが、匿名のアカウントから、ほとんど暴言、人格否定とも言えるようなツィートも目立った。著者としては、専門家や真剣な読者から寄せられた指摘には真摯に向き合わなくてはならないと思うが、しかし、これら、ツィッターを発散手段にしているような人々の暴言にまで、書物の著者は耐えなければならないのだろうか。その点にはただ深い疑問しか感じない。

ツィッターをあまり好まないため、どういう感情レベルで「つぶやく」のか、その心境すらよくわからないのだが、思ったことを全部言葉にする、それも140字で、というシステムは、扇情的な言葉遣いが良識を駆逐するような部分があるように思われてならない。文章を書くとき、脈略やつながり、前後の状況を考えて組み立てていくのが普通だが、浮かんだアイデアや感情をそのまま文字で呟いて公開してしまうことで、それを読んだ人がどのように受け取るかまでは考えられていないような気がするのだ。人間のレアな感情はそもそも他人の目からすればある意味ショッキングな部分を含むだろうし、それをじかに不特定多数に向かって発信してしまうのは、あまり健全だとは思えない。もちろん、こうした考え方がもはや古いということを承知した上の感想に過ぎないのだが。

いずれにしても、こうした発話とコミュニケーションが主流になった現在、書物を書く営みにおいて、少なくとも私のような古い世代の書き手のがわで、「書く」喜びが著しく目減りしてしまっていることはたしかなことであろう。そもそも『物語オーストリアの歴史』を執筆しているときに、もうこれがおそらく自分にとって最後の本になるかもしれない、という感覚はあったのだが、また本を作ろう、という前向きな感情は、書きあがったいまも、現在のところ全く湧いてこない。


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