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オリジナルVer. H氏のカオスなデスクに惹かれるのは何故だろう?

 最近、A出版社営業部のH氏のデスクが、大変なカオスになっていることが話題になりました。

 お片付けやミニマリズムが流行する時代なので、「もっと整理整頓された、使い勝手のよいデスクにした方がいいんじゃないの?」なんて思う人が主流と思いきや、なんだかとっても魅力的と思った人が大勢いたのです。

 かく言う私も、このデスクに言いしれない魅力を感じました。その魅力を「美術史上の重要な作品に例える」という方法で伝える努力をしたのですが、その様子はトゥギャッターにまとめてあります

どうして美しいと思うんだろう? 

 しかし、この言葉にしがたい魅力は、一体どこから来るのでしょう?私は普段「美しいってどういうことですか?」と聞かれたら、「秩序です」と答えます。そして、もう少しかみ砕いて「情報量の多さです」と付け加えています。秩序だっていれば、情報が整理され提示できる質・量が増えるし、受け手も味わったり理解しやすくなる。本だって、ちゃんと構成してあって、細かいところを揃えてあるから読めるし、順序だてて理解できます。絵の場合でも、際立たせたいところを強調し、それ以外を弱めるなど、画面内に序列や秩序を構築しています。ただ滅茶滅茶に書いたり、描いたりしても、込み入ったことほとんど何も表現できないのです。

「秩序」と「情報量の多さ」を兼ね備えた代表

ラファエロ作『セディアの聖母』(1513-1514)ピッティ宮 

 すると、H氏のデスクを「美しい」と言ってしまうと、いきなり矛盾していることに気づきます。H氏のデスクは、確かに情報量は多いけど(ほんとに多いかという問題も)秩序はどうなの?と思えますよね。では、美しくないんでしょうか。そう判断するのは、少し早いと思うのです。

「秩序ある美」に対する「破れの美」

 そもそも、私たちはH氏のデスクから何を読み取っているのでしょう?いろいろ茂っている下の方の層に、きちんと整理された本たち、壁にも順序よく並べられた何かが貼られているのが分かりますか?こうしたことを、私たちは意識するしないに関わらず見ています。

 そんな中に、本に詳しい人が見ると「あ、こんな面白いものが」という小さな発見があります。茂みの上にさりげなく置かれた本などから、H氏の「好み」みたいなものが浮かんできます。

 つまり、H氏のデスクは、めちゃめちゃじゃないのです。本への優しい愛のある人格を軸にして、全体としてはちゃんと一貫性を保っているのです。そこに愛があるから、見るほどにこちらに、ふんわり優しく流れ込んでくるようで、優しい気持ちになれるんです。事実、上に茂っているものは、作者の思い入れのある、本の注文書とか、大切なお手紙たちだそうです。

 私はこれを、古代の端正な建築物が時を経て朽ちた上に、草が茂り、自然に溶け込むような姿に例えました。

ルネサンスの巨匠ラファエロも見学したと言われる

朽ちた姿の古代建築『ミネルヴァ・メディカ』

この絵画はパオロ・アネージ(1697-1761)による

 多くの人が似た感覚を覚えたのか、かなりの反響をいただきました。

 それはまるで、掃き清められた庭に、はらはらと花びら、または枯れ葉が落ちた様を愛でるような(若干、多めに堆積してますが)、そんな気持ちにさせてくれます。秩序が壊れるさまを、いとをかし、となる感覚です。私はこの感覚が、日本で、詫びとか、寂びとか、破れの美と表現されているものだと思うのです。

「破れの美」は「秩序の美」の感覚があってこそ発動

 世阿弥の『風姿花伝』に「花と、面白きと、珍しきと、これ三つは、同じ心なり」という一節があります。「いづれの花か散らで残るべき。散る故によりて、咲く比(ころ)あれば、珍しきなり)と続きます。

 冬には、花のない木を見て「春には花が咲くなぁ」と思って見るし、花が咲いているときには「すぐに散るんだよな」と思う気もちがどこかにあります。そのサイクルの中に位置づけて見ているわけですね。「花が咲くとき」という基準があるのです。デスクもそう。理想的に片付いた状態が、エントロピーが低くて、利用価値が最高の状態で、そこが基準になって変化の様相を判断しています。

 人の一生に例えるなら、サイクルというより、幼年から青年、壮年、そして老いという線的な流れの中で捉えるかもしれません。

 サイクルであれ、線的であれ、私たちは、何かを見るとき、それだけを「点」として眺めるのではなくて、時間経過の中での「位相」も重ねて見ているんです。

 デスクを考えるとき、片付いた状態の使い勝手の良い片付いた状態が、頭の中にイメージとしてありますね。そして、使っているときの少し散らかった状態。デスクの空間を、時間軸ごとに想像することができます。片付いた状態のときでも、使っているさまを思い浮かべたりできますね。

 H氏のデスクに、人はそんないろんな相を重ねて見ているのだと思います。だからこそ、今目の前の姿は理想形から外れていようとも、基底にそれがあることがちゃんと重なって見えます。その重なっていく幾層もの思いが、それが素敵だなと思えるものだからこそ、追体験するかのような、共有するかのような気持ちになれることで、多くの人から「なんか好き(このデスクで仕事するのはちょっと勘弁だけど)」という賛同を得たのではないでしょうか。

まとめ

 本と本をめぐる仕事をする人の、時間経過や思いが見える形になっている、それがこのデスクだと思います。そこに、秩序に見る美とは違った美を、秩序を知っているからこそ見える美を、私たちは見ているのではないでしょうか。いやぁ、デスクって本当に面白いですね。

 

 








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