自分の殻に閉じこもる少女の解放を描いた物語
『Fate stay night Heaven's Feel spring song』を見てきました。
涙なしには見ることができない素晴らしい映画でした。
今回は、本作のヒロイン「間桐桜」というキャラクターについて思うところがあったので考察をしていこうと思います。
殻に閉じこもって自分を守るしかなかった11年間。
間桐桜といえば、疑似聖杯になるべく遠坂家から間桐家に養子になった子供です。
養子になった間桐家で待っていたのは、「聖杯の器になるための教育」という名の性的虐待と暴力の日々。
この日々を繰り返していくことで、「桜は自分を助けてくれる存在なんていない。自分で自分を守るしかない」と考え、感情を無くしていきます。
中学生の時の間桐桜の姿は、感情を抑え込むのが日常的になった人をそのまま体現しているなと思います。
虐待加害者を殺したことで失ったもの。
虐待の加害者である間桐臓硯を殺し、桜が放心状態になるシーン。
これは、長年自分を虐げていた恐ろしい存在が簡単に死んだ(と思った)ことによって虚無感が発生したのではないかと思います。
そこからさらに自分が抑えられなくり、暴走をしていたようにも感じます。
凛と向き合うことで知った自分の本音
自分が苦しんでいる間も、遠坂の家で幸せにくらしていた姉が妬ましくて仕方が無かった。
と、初めて凛に本音をさらけだしたことでやっと自分の本音が口に出せるようになったのではないでしょうか。
過去を抱きしめ、自分の人生を歩みだす
ラストの数年後の凛と桜の会話の中で桜が
「少しずつ素直に気持ちを言えるようになってきた」
と話します。
これは聖杯戦争が終わった後の数年間の中で本人が、周りの協力を経て自分と向き合い続けてきた結果得られたものなのではないかと思います。
間桐桜というキャラクターに思うところ
「間桐桜」は自分では抗えない外の圧力によって、自分を守るために殻に閉じこまざる負えなかったキャラクターです。
生きている中で誰一人助けてもらうことができない。
自分で自分を守るしかなかった。
常に上目遣いで誰かの顔色を窺い続けることで、生きていくしか許されなかった。
だから、全てを拒絶して自分の殻に閉じこもった。
間桐桜はイジメや家庭環境などで自分の殻に閉じこもってしまった人と近い存在なのでは?と、感じています。
どうやって人と接すればいいのかわからず、傷つけるしかない。
本音を隠し上辺だけの笑顔で常に人と対峙する。
「臆病な自分を隠して生きている人」をそのまま体現したキャラクターだと思っています。
自分の心の殻を作って閉じこもることは、極端なことを言うと「自分以外の全てを敵として扱う」こともあると思います。
自分が信頼をしていたはずの人の気持ちする傷つけ、踏みにじる行為にもなってしまう。
だけど本人はそれに気づくことができない。
それはあまりにも悲しい人生です。
自分の殻を破り楽しいことも苦しいこともある世界、に素直な心で向き合うようになるまでの解放を間桐桜は表しているのではないかと思いました。
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