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自打球の判断は、どうしたら良いのか。

__________________________________自打球の判断は、どうしたら良いのか。
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自打球の判断は、球審にとって厄介は判断となりますね。

目視出来た場合は、即座に判定できると思いますが、目視できない場合は、何とかして正しい判定をしなければいけません。

球審としてのすべての感覚を研ぎ澄ませる事で、この判断を正しいものにしなければいけません。

目視出来なかったから判定しないという事は、審判としてあり得ないのですからね。

自打球に関しては、打者の動きと捕手の反応をつぶさに観察する必要があります。

その前に「打者に触れた音」の判断がありますね。

音で判断できない場合も当然ありますので、次は「打球の跳ね返り方」を眼で確認しますね。

通常の打球であれば、それほどの変化はない筈です。
自打球だとすれば、あらぬ方向へ打球が変化する筈です。

その変化を判断するわけですが、変化したからといって、確実に自打球かと言えば、違う場合も往々にしてあります。

軟式のボールの場合は、こすったような打球の場合には、打者の触れなくても変化した動き方をしますので、判断は難しいかと思いますが、難しくても判断しなければいけないのは当然ですよね。

打者の動きも眼で確認するべきですね。

貴方が思っているよりも、打者というものは正直な反応をするものです。
当たった場合は、「当たった!」というように表情や声にでるのです。

球審自身が目視出来ないからと言って慌てないで、打者の反応を確かめるぐらいの余裕があれば、打者の反応を見逃さないで、自打球を判断出来るのではないでしょうか。

つまり判断は「音と打球の変化、捕手と打者の動き」を感じる事だけなのです。
私が解説してきた方法ですが、これが最良の方法です。

100%の正しい判定を求める気持ちは大事ですが、球審として最大限の努力をもって、「そのプレイ」を判断する気持ちが最も大事だという事も理解して欲しいと思います。

自打球を判断するのは、厄介な判断ですが、すべての情報をつぶさに感じる「審判としての感覚」を養う努力をする事が、大切ではないでしょうか。

野球審判をしてる限りは、このような難しい判断を求められます。

でも、それに立ち向かう強い気持ちがある限りは、正しい判断をする事が出来るようになるのではないかと思います。

すべてのプレイは同じものがありません。

ですからそのプレイを「見る努力」をする事は、審判にとって必要な努力であろうと考えます。

また、判断したら躊躇なく「判定する」という事を実践して頂ければと思います。
躊躇なく「判定」する事が、そのプレイの判断の信憑性を高めるのです。

確信がない場合は、宣告のタイミングを逸しますね。
それが「判定の信憑性を失くしている」のです。

判定にはすべて「判定するタイミングが存在」しますね。

その「判定するタイミング」が、審判の判定の生命線と言っても良いかもしれません。

判定は早くもなく遅くもなくなのですから、一瞬たりとも考えてから宣告しないようにしなければいけませんね。

判定は考えるものではないのです。
身体全体で「感じる」ものなのですね。

私が言いたい事を理解して頂けるとすれば、貴方は実践審判であると言えますね。

頭だけでこの状態を何とかしようとしても、それは無理があるのです。
人間の眼というものは、「いい加減」なものなのですよね。

ですから「身体全体」でそのプレイを判断する事が大事なわけです。
それはすべてのプレイでも言える事です。

ですから審判としての感覚を磨かなければいけないのです。

自打球を判断しやすいためにも、球審の構え方に意味があるのです。

従いまして、球審の構え方が基本通りになっているかどうかも、重要な判断要素のうちに入りますよ。

貴方の球審の構え方は、基本通りになっていますか?
再度構え方を点検してみてください。

また、投球とバットの接点を確認出来ているかも、自打球を判断するうえでは重要なポイントとなります。

つまり、打球がどのような動きをするかを眼で追う場合は、その接点から追うわけですから、接点を見逃しているとすれば、当然自打球に関しては判断が難しいという事になります。

自打球の判断を誤る一つの問題は、「投球がバットに触れる瞬間に目を閉じる」という現象が最大のミスを誘発する原因だと思いますね。

目を閉じた瞬間が最も判断しやすい状態に打球はあるのですね。
その瞬間を見逃すのは最大の失点であるとも言えます。

判断には「眼」が最大の武器だというのは、審判をやっている方であれば当然知っているのですが、その「目を閉じる」という事に気が付いていない方もいるのは事実です。

プレイの瞬間を見逃してるのは、その理由もあるかもしれませんね。

投球を見るためのトラッキングの技術は、何も投球の判定をするためだけに有効なのではありません。

「投球から打球に変化した瞬間を見定めるため」に、トラッキングをしてると言っても良いかもしれません。

つまり、投球であれば捕手が捕球するまでその投球を最後まで見る必要がありますが、投球から打球に変化した後は、その打球の動きを追うのが球審の仕事になるからですね。
その瞬間に全身を使ってそのプレイを判断するしかないのですよ。

球審の立場ではこのような文章になります。


では塁審の立場ではどうなるかと言いますと、自打球だと判断した瞬間に「ファウルボール」と宣告して、プレイを止めます。

宜しいですよね?

多くの審判の方は、これが出来ないのですね。

自打球だと分かっていながら、球審の宣告を待つ。

球審は自打球だと判断していないから、プレイがそのまま進行する。
抗議されて、結果的に球審は不安になり「協議」する。
塁審は自打球だと判断してるから、協議によって「ファウルボール」に判定を変更する。

最終的には「抗議を認めて判定の変更」となる。
最悪の状態ですね。

この最悪の状態を回避するのは、塁審の素早い判定をする事なのです。

塁審が自打球だと判断出来れば、その場で素早く宣告する事が、球審を助ける事にもなるわけです。

本来であれば「球審の判定」ですが、塁審が判定してあげる事で、あとの処置がスムーズに行くのですよ。

この塁審の素早い判定は、とても勇気があります。
しかし、すべての判定には同じように勇気がいるのですね。

塁審が勇気ある判定をする事で、球審を窮地から救う事が出来るとすれば、その勇気は意味のある勇気となるでしょう。

インプレイと判断するよりも、ボールデッドにするのは難しいですね。

でも、その判断は審判としての任務なのですから、勇気をもって宣告をして欲しいですね。

その勇気が貴方になるのなら、試合がスムーズに進行する事は間違いのない事実となります。

この塁審からの判定は、越権行為とは違いますね。

球審が本塁周辺の判定をカバーできるとは限らないのですよ。
それは何故かと言えば、球審の位置は「制限」されているからです。

意味は分かりますよね。

球審の前には捕手がいますね。
脇には打者がいます。

打球の動きは一瞬ですので、見失う事があります。
でも球審は一生懸命に判断しようとしてるのです。

その球審が困っている時に、塁審が何もできないわけがありません。

塁審はこのようなケースでは、進んで判定するのは、仲間の審判を助ける事になるのです。
越権行為とはまったく違う次元の判定であるという事が言えますね。

しかし、1秒の何分の1かは、球審の反応を見る余裕が欲しいのですね。

球審は自打球ではないと確信ある行動をしている可能性があるのです。

その確信ある行動を無視した判定は、それは越権行為になるのですよ。
この境目は、その場にいた審判しか分からないのです。

相手の動きをつぶさに観察し感じるのは、選手の動きを見るよりも大事なケースは多いですよ。

塁審が「瞬時に判定」するためには、すべての判定を自分でやるつもりであれば、瞬時に判定できるはずですね。

1塁審判・3塁審判だからと言って本塁周辺のプレイに関しては責任がないという考え方であれば、自打球に関しての判断も瞬時には出来ないでしょう

ハーフスイングの判定と同じように、何時でも判定するのだという気持ちでプレイを待つという「判定に対しての攻撃的な精神」をもって頂ければ、難しいプレイに関しては、何とかなるものなのです。

上手く文章で伝わったかどうか分かりませんが、ご理解頂きまして、次の試合に生かして頂ければと思います。

今回の記事はこれまです。
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