「サードプレイス」に私は何を求めていたのか。私にとっての「スナック」の存在(自分の行動習慣と向き合う・セルフコーチング)
表題の通りです。
私はよくスナックに顔を出すのです。かっこよく言うと職場でも、家でもない「サードプレイス」を持っている、ということになるのかもしれません。
同世代はあまり誘っても一緒に行くことはない場所です。
私より若い世代は、、、言わずもがな。
「見ず知らずの人の前でカラオケするのが、なんで楽しいの?」
「別に料理やお酒もコスパ悪いじゃん」
「おごってくれるなら行きます」
うーん。皆さんハッキリ断ってこられる 笑
コーチングやら、GTDに取り組むまでは、特に気にもせず、ただ私にとって居心地の良い場所、という感じでスナックに立ち寄っていました。そのことに特に理由なんて考えたこともなかったです。
さて、その後コーチングやGTDと出会って、取り組むと、
「自分の「行動」はなぜ起きるのか?」
「なぜそんなことを感じるのだろうか?」
ということに興味が湧いてきて、止まらなくなってきました。
そこで、「スナックに行くこと」も自分の標的になってきました。
そこに何を求めているのか?
お酒でもない、料理でもない、女性でもありませんでした。
かろうじて、歌を歌うという要素は残りますが、歌がそもそも好きであることと、スナックで歌うことでは意味合いが違うように思います。
歌を歌うであれば、友達や同僚とカラオケに行けばよいでしょうし。
要素を分解してしまうと、スナックに行く理由がみつからないのに、スナックに行くことになってしまいそうです。
ちょっと自分の感情に目を向けてみます。
スナックに行くことで自分が感じるのは、
「心地よさ」です。
それは、その空間においては、のんびりと、空間になんとなく自分を委ねてしまうことができる感覚です。
それができる条件というのは自分にとっては、
職場でも家でもない「サードプレイス」であることのようです。
私は、昼の空間とは「つながりのない空間」を無意識に求めていたのかもしれません。
そこでカラオケなど自己開放をしている、というのは実は無意識に昼の空間で、ストップをかけていたり、周囲に合わせていたり、という気を張るという感じに対する弛緩を意味していたのかと思います。だからある意味、スナックでの私は、とても「自分らしい」姿でいたともいえます。
さて、そこから考えてみると、昼の空間の自分(職場や家)というのは、真に「自分らしい」というわけでもなさそうです。
ただ、「自分らしい」ということだけでは、社会生活はやっていけませんよね。
職場にも家にも、義務や責任がありますから、そういったことを意識的に行動や目標へと具体化して過ごしたり、私はそんな感じ。それに疲れる時があるわけです。
今回わかったことは、おそらく私が「スナックに行きたい!」と強く感じ出したら、それは職場や家において「自分らしさ」が足りていない時だ、ということです。
皆さんもよくやる習慣的な行動を紐解くことで、何かが見えるかも?
あと、ご興味ある方は一度スナックに行ってみましょう 笑
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