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閑話休題:言語や文字について

人という存在を考える上で「言語」という要素を抜きにして考えることはできません。


コミュニケーションの道具というだけではなく、頭の中で、思考を巡らすだけであっても、それは「言語」を使っていることがほとんどではないでしょうか。

一時期、「言語」というものに非常に興味を持ち、本や論文を読み込んだ時期があります(気づいたら大学院にいました)

色々な言葉を覚えよう、話せるようになりたい、ということではなく「言語」を人間が、なぜ、どのように獲得できるのか?という部分への興味からです。

このあたりは、詳しくは、「生成文法」「ノーム・チョムスキー」「理論言語学」といったワードで検索をかけると詳しい情報にたどり着くと思います。

思考や感情を言葉で認識し、さらにはそれを言葉を使い、外に伝えることができるようになるのです。そして「文字」が発明されると、それは自分の外に残り続けることが可能になりました。

急に身近な例になりますが、業務の前任者の引継が書面で残っているかどうかは、立ち上がりのスピードに大きな差を生みます。

他者の経験が引き継がれることによって、後任者は途中からスタートができるのです。ゲームのセーブ機能と同じですね。

また、GTDのStep1「書き出す」についてが、ここに関連してきます。言葉と文字があるからこそ「書き出す」ができるのです。そして、書き出すということを行うことで、人間は初めて「安心して忘れられる」「忘れてもいい」という環境を手にしたことになります。

言葉以外では、地図も同じ効果をもたらすかな?

今後脳科学の発展によって、「言語」の仕組みがわかってくると、人間そのものについてより分かることにつながります。それは単に知的好奇心を満たすだけではなく、社会にも色々なインパクトがあるかもしれませんね。

ひっそりと期待しています。

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