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私が「滅びの美学」に惹きつけられるのはなんででしょうか?(セルフコーチング・私に向き合う)

あの、えもいわぬ魅力はなんでしょう。


「負け戦とわかっていながら戦いに赴く」
「仇討ちを果たした後の切腹」
「自己犠牲による献身」

そういった物語や逸話に惹きつけられる傾向がある。なぜなんでしょう。
ここには、「自分」という存在と、その自分の持つ目的というものが関わっているように思えます。

私は「自分は生きている間に、生きた証になるようなものをこの世に残せるのだろうか」「何者か、一角の人物というものになれるだろうか」といったことを昔からよく考えていたように思います。だから本を書く人や、学者で発見などをした人など、自分の生きた証をこの世に残している人をうらやましいな、と感じることもありました。


この考え方が、さらに進んでいって、「もし自分が生きた証がこの世に残るということが自分の生きる目的であれば、命をかけられるかもしれない」ということに思い当たりました。ストイックな考え方でしょうか。でも、結構真剣に考えていたようにも思います。

ただ、その後、色々と人生経験が重なるうちに、最近は、生きた証がこの世に残るかどうか、ということは自分が今を生きることにとっては大事なことではない、というように考えが変わってきたように思います。

生きる意味・目的ということを過剰にとらえることは実は危険なことなのかもしれません。たしかに、生きる意味や目的といったことが、行動の方針や判断に関わってくると思いますから、認識しておくことの重要性はわかります。しかしあまりに「目的」に対して集中しすぎることが、思考や視野の狭さにもつながってしまうのかもしれません。

結局、「滅びの美学」に私は「生きる目的のためには死しても構わない」という思考(思想?)を感じとり、それに魅力を感じていたのでしょう。

だからでしょうか、学生時代に読んだ坂口安吾には結構ショックを受けた記憶があります。詳しい内容はだいぶ忘れましたが、かっこよくなくても、汚れても、とにかく生きろ!そこに価値がある、というメッセージを受けとり、力強くガツンとやられた感じがありました。

生きている価値は、生きていること自体から既に生まれているのかも、なんてね。

(そして、ここまで書いておいて、パーソナリティが自分と似ている部分がある人でないとなかなか、この感覚にピンとは来ないことなんでしょうね・・・なんて思ったり)

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