「世界」の見え方は違う。学生時代にドグラ・マグラを読んで感じていたこと
詳しい小説の内容には触れないようにします。
夏の蒸し暑さがこの記憶を呼び起こす。
「ドグラマグラ」は夢野久作の小説で、戦前の作品です。この小説を読んだのは大学1年生の夏休みでした。
当時の私は、大学生になったからには、とにかく本を読む、ということで哲学書でも、小説でも、とにかく本を読むということを自分に課していました。
これ自体はとても有益なことでした。自分の「引き出し」を豊かにする。今思うと考えるベースは、この時読んだ本の影響を色濃く受けています。
その中に夢野久作の短編(短編も良い!)と長編のドグラ・マグラがあります。
その「ドグラ・マグラ」ですが、ドストエフスキーの「罪と罰」を読んでいる時の感覚は似ていた、という感覚を覚えています。
両者とも、常に、風邪で熱っぽいような気持ちになり、もやもやしたような、心が晴れないような・・・そんな気持ちを持って読み進めていました。
ただ、二作品の「読後感」は全然違ったものに変わりました。これは面白い点です。
社会人になってからこの両作品を真剣に読み直す、というのは正直パワーと時間が足りないように感じます。そのため、じっと本棚の一角を占めて、定位置に鎮座しています。
さて、「ドグラ・マグラ」という作品に、感じた「ずっと心が晴れないような感覚」というのが、どこからくるのか、と考えると、この作品の「定点がないような感覚」から来るように感じました。
これは、視点が変わる、ということではなく、何がこの小説内で正しいことなのか、それが、ずっと不安定なのです。またその不安定に主人公の苦悩が重なる感じです。
当時は漠然と、もやもやして、不安定な感じを受けただけでしたけど。
今思うと、正しいものがない、という「正しい」感覚、に触れた貴重な瞬間だったのだと思うのです。
そう思うのは、現在コーチングに取り組み始めて「ものの見方は人それぞれである」ということを感じる体験をしたからかもしれません。これは、興味深いものですが、自分の見方や考え方が絶対ではない、という非常に不安定にもなる体験だったと思います。
どうしても人と関わるということが、相手の考え方や基準といったものに触れて、色々な影響を受けることで、不安定にならざるを得ないのです。
そういった不安定さをまだ人生経験も希薄な学生の私に、かなり生々しく感じさせたドグラ・マグラという小説。
夏の蒸し暑さを感じると、いまだにあの感覚を思い出す。やはり凄い作品であったわけです。
まだ読んでない人で、興味ある方は時間と体力があるときに一読してみてください。
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