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自己分析不要論

友人が「自己分析ってするにしても高校からだよな」と先日言っていた。

この発言は「人格の基礎が作られるのは小学生」という僕の持論に反するものだった。

納得がいかなかったので本人に問いたところ、友人は2つの理由を明示した。

1つは「人には2回人格形成期がある。2回目が高校に入った頃だからこそ、それ以降の自己分析で十分」というものだ。

確かに小中学生の頃と今の自分は大幅に変わっている。その当時は楽しくても今は楽しいと思わないことなんて山程ある。だからこそ「よほど特別な体験をして、今でも鮮烈に覚えている体験以外は特に思い出す必要もない」というその友人の意見はもっともなものだった。

個人的にはなぜ小中〜高校でなぜ変わったのかを深ぼれれば面白いと思ったが、それは高校の分を掘ればいいという意見の応援にもなりうる。そのためこちらの理由は論理的破綻も見られず納得した。

もう一つの理由は「パッと思い出せないことをわざわざ面接で聞くか?」というものだ。

確かに思い出せもしないこととは「あまり自分に影響を与えていないこと、自分が重要だと思わなかったこと」というパターンが殆どだろう。だからこそ、覚えている高校大学のエピソードを深掘りするほうが有効だという意見には賛同した。

しかし個人的には、「小2、5、中2でハマっていたもの、特に映像系、書籍系のコンテンツは再燃しやすい」という研究結果もめている。このことから、当時ハマっていたものは今は興味を持っていなくても、確実確実に今の自分の心に深く刺さっている。そしてこの刺さったコンテンツを深掘りすることには必ず意味があるように感じられる。

以上が友人なりの自己分析不要論とそれに対する僕の意見である。

皆様の意見もお聞かせください。

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