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「大阪アースダイバー」中沢新一著 書評

<概要>

アースダイバーと称して、地域ごとの地質・自然環境と時間軸に基づいた人間社会の変容を思想(主に宗教)をベースに紹介した書籍の大阪編。

<コメント>

春の奈良県に続き、秋(10月)は大阪府に2週間ほど実地検分にいく予定のため、本書を図書館で借りてきました。

関西地方に関して、みるべきものは京都・奈良・神戸ということになっていますが、大阪は考えてみれば奈良と同じタイミングで文明化された土地なわけで、神戸はもちろん京都よりもずっと歴史ある地域。そして、海につながる水の都として実は多くのみるべきものがあり、実地検分するのが大変楽しみな地域でもあります。本書でもその魅力がたっぷり詰まった様子が実感できます。

■プロト大阪(原大阪)

大阪は、3つのトポロジー(位相)によって形成されているといいます。このうち①上町台地の南北の軸を権力=文明を象徴するアポロン軸、②河内→①上町台地→③河内、の東西軸をディオニソス軸として生と死の自然が支配する軸としました。

①上町台地
古代の大阪は、南北に走る上町台地だけが陸地。権力者は、生駒山麓を避けて対岸の台地に権力を象徴する施設を北の突端に難波宮として設置(そのあと、石山本願寺→大阪城)。南北に走る台地に道を造成し、その南端に四天王寺を配置して、大和へと続く交差点としました。

四天王寺は、聖徳太子が蘇我氏と結託して滅ぼした物部氏の首領、物部守屋の霊を鎮魂するために建立した寺。物部氏は河内一帯を支配する豪族としてヤマト政権よりもはやく畿内に住み着きましたが遅れてやってきたヤマト&蘇我氏との権力闘争に敗退。当初四天王寺は、森之宮あたりにありましたが、守屋の血を吸ったキツツキが寺を破壊したので、アポロン軸に新たに建立されたのが今の四天王寺(ここは伝説?)。大阪は四天王寺と大阪城をアポロン軸に配することによって秩序付けられたのです。

②河内
古代は河内湾とその湾岸エリア。淀川・大和川(江戸時代の付け替え工事までは河内湾に流入)の土砂によって徐々に陸地化。生駒山麓は河内湾の魚介類と生駒山地の獣類の恩恵を受け、縄文人が古くから根付き、弥生人が(朝鮮)半島から渡来して住みついて稲作文化を持ち込み、共生しました。この辺りは内田樹の「日本習合論」でいう雑種文化のルーツともいえる時代かもしれません。

特に縄文人はインドや古代ギリシア同様、生と死を円環ととらえ、日が一番長い夏至と一番短い冬至を死者が生の世界に舞い戻る日として生と死が円環をなしていることを確かめたといいます。これが盆と正月の起源(クリスマスも、もともと冬至を祝う祭)。

科学的には時間軸は一方通行ですが、宗教・思想的には時間軸は「円環」と認識する文化が多かったのです。なぜなら人間は、毎日昼(生)と夜(死)のサイクル(地球の自転)、1年の昼と夜の時間の長短のサイクル(地球の公転)を体感しており、これが時間軸(=円環≒輪廻転生)の思想を生んだから。

河内音頭も「死の感覚」に鋭敏だった河内の住民が大切にしてきた葬送儀礼のひとつで日の一番長い季節=盆の季節の踊りが発祥。
 
③ナニワ
主に淀川の土砂によって島(八十島という)を形成後、陸地化→海民出身の商人の拠点として発展。海民は、瀬戸内海を通って上町大地西岸の付け根あたりに漂着。このあたりはちょうど住吉大社のあったあたり。

■雑種アイデンティティの象徴たる聖徳太子の和の思想

ここも内田樹の日本習合論に通じます。日本は元来遺伝的にも文化的にも雑種ですが、四天王寺を建立した聖徳太子がその象徴。

聖徳太子は、世界が強者だけで支配されてはならないと考える。世界は、合理的な思考と大地の豊かさが、一つに結びついた「和」の中にあるとき、はじめて潜在的な力を開花させる。秩序が作られなければならないとき、戦いを通じて敗者となるものたちが出てくる。そうした敗者や弱者を排除しないで、自分の中に組み入れる度量を持った政治をおこなうこと。そういう世界を作り出すことが「聖徳太子」という名前を使って表現された、日本人がめざしていた政治の理想なのだった(63頁)。

また、聖徳太子は、各地で子供神として崇拝されましたが、これは通天閣にあるビリケンと同じ思想だといいます。

子供の姿をした神に、昔の日本人はこの世と異界との間の媒介者をみていたのである。生まれたばかりの子供は柔らかくグニャグニャと定まらない身体をしている。半分はまだカオスのなかにつかっていながら、もう半分の自分は、人間の世界に顔を出して、ニコニコと笑っている。そのために子供には霊的な世界の波動を、まだよく感じとる能力が残されている。子供に対するこういう認識をもとにして、子供神の像が作られた(156頁)。

■生と死の円環たるディオニソス軸

ディオニソス軸としての生と死の円環は、大阪のそこかしこにみられます。そして死の周りには、性が生まれ、演芸が生まれ、穢れ(=差別)が生まれる。

つまり「性→生→死」の円環 です。

中でも、大阪にとって火が沈む先はミナミの地、つまりミナミは「死」を象徴するエリア。古い日本語の語感では、死は自然と同義であり、悪と同義であるという。なぜなら自然のあるがままは死であり、自然は欲望(性欲、物欲、権力欲など)そのものであり、欲望は悪だから。

欲望は悪だというのは、ギリシア哲学もカント哲学も仏教も皆同じで、なぜか人間は古今東西「欲望は悪」という立ち位置。

例えば千日前は、

千日前と呼ばれているあたりこそ、文字通りの悪所、死と自然がむきだしのままに晒されている地帯として大阪一の「ネクロポリス(死者の国)」であったのだ(122頁)。

だとし、千日前は元々墓地であり、火葬場であり、処刑場。これらを生業とするのは、非人や聖。非人(黒不浄)とは、もともとは古代の墓守の系譜に属する由緒正しい人々。古代は聖なる人々だったのが、中世以降の穢れを忌避する習慣によって卑しい人々とみなされるようになってしまったのです。

墓地(過去も含む)とラブホテル街(生魂神社裏など)&風俗街(飛田新地)が隣り合っている、墓地とお笑い(最初の落語「彦八はなし」「吉本喜劇」)が隣り合っている、部落(穢れ)と墓地が隣り合っている、

などなど「死」と「性」と「穢れ」は、連関しあってミナミのありようを形成しているというのです。

特に穢れについて、著者はあとがきで、一般に西日本は、狩猟採集が主で日頃から「死」が日常だった東日本と違い、「死」は非日常として扱われ、これが「穢れ=差別」につながったのではないかとしています。

■大阪商人の思想史

著者の解釈が学問的に真っ当かどうか、は検証したいところですが、真っ当だとしたら、こんなに面白い解釈はなかなかないのではと思います。著者の解釈では、

*古代人
 ヒト・モノコトがすべて縁でつながる社会

*商人
 ヒトとモノコトの縁を断ち切った社会
。ヒトとモノコトのつながりを縁からカネに変えた人

となります。

古代人は、どんなモノコトでも、必ずそれを生み出した土地やその土地の所有者が持つ霊力=タマが宿っていると考えていました。なので他者へのモノの移動は、タマも一緒に移動。交換の概念よりも贈与の概念に近かった

ところが、神へのお供物だけは、もはや人間の所有には属さなくなって贈与社会から切り離されました。有縁だったモノが無縁になったのです。これが商品のルーツ。商品はお供物から始まり、無縁商品の交換によってそれを生業とする商人が生まれたといいます。これを著者は「無縁の原理」と呼びました。

中世に至っても、封建主義は領主と農奴との土地をめぐる有縁社会で無縁社会たる商人の世界はマイナーな世界だったのですが、近代以降、無縁社会は隆盛し、無縁の権化たる資本主義へと変容。

ただ、無縁社会の中でも、ナニワの商人は商人の無縁社会を超縁社会に変えたといいます。これを著者は「ミトコンドリア戦略」と呼ぶ。

生物の細胞にはミトコンドリアという小さな生命部品が埋め込まれていて、細胞にとってミトコンドリアは異物ではあるが、ミトコンドリアなしではエネルギーが得られず、これを取り込んだまま生きていかざるを得ない。そんな存在がミトコンドリア。

ナニワの商人はミトコンドリアそのものだとして、有縁社会の中でも、商人の世界をミトコンドリアのように、自分の内部に部品として取り込んで、利用しようとしたのです。上町台地を支配する有縁社会(石山本願寺・豊臣大坂城・徳川大坂城)は、御用商人としての無縁社会を取り込むことで、ミトコンドリアから細胞が享受するエネルギーのように、その甘い蜜(カネ)を享受していたのです。

そしてナニワの商人が卓越しているのは、彼らが独自の有縁社会=コミュニティを築いたこと。無縁の原理の上に立って、それを乗り越える別のタイプの社会を作り出そうとしたのです。それが「暖簾」が象徴する「信用」であり、「座」という「秘密結社」。これらを称して著者は「超縁社会」と名づけました。

以上、他にも紹介しきれないほど興味深いエピソード満載で、ぜひ通読をおすすめしたい著作です。

*写真:2016年5月 大阪 天満天神 繁昌亭(また行きたいな)

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