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『コーランには本当は何が書かれていたか?』 書評


<概要>

フェミニストで啓蒙主義の価値観をもつアメリカ人のジャーナリスト、カーラ・パワーと、インド出身の保守的イスラム学者アクラムの交流を通じて、イスラム教の本質について迫った感動せざるを得ない著作。

イスタンブール:スレイマニエ・モスク。2023年7月撮影(以下同様)

<コメント>

本書を読むと、アッラー(神)とアッラーの預言者だったムハンマドの意図するところを、恐れ多くも本質的な形で理解できたような感じもします。

というのも本書に登場するインド出身のイギリス在住イスラム学者、モハンマド・アクラム・ナドウィー師は、本来の意味でのイスラム原理主義者だから。

ムハンマドがなくなって以降、イスラム教はさまざまな解釈によってさまざまな学派(主に4学派)に分かれましたが、コーランやムハンマドの言行録ハディースを突き詰めつつ、7世紀のアラブ社会の状況を研究すると、本来の神の教えとはどのようなものだったのか、明らかになってくる。

そんな研究をアクラムはしているわけで、アクラムは、まさに本来の意味でのイスラム原理主義者。

日本の仏教学者佐々木閑が、釈迦の元々教えていた教えを「釈迦の仏教」と呼んで、まったく別物とも言える現代に生きる仏教と切り分けました(詳細は以下)。

アクラムの教えるイスラム教はまさにイスラム教版のルーツ・オブ・イスラム教で「ムハンマドのイスラム教」と言ってもいいかもしれません。

それは人によってその理解の仕方は違うにしても、もともとムハンマドが啓示を受けた神は本来的に人間に何を知らせているのか?

本書の中のアクラムの説教をこの1週間ずっと丹念に読み続け、これまでのイスラーム関連の勉強やイスラム国家の体験を通じて「そういうことなんだな」と思ってしまったのです。

それは7世紀のアラブ・中東社会に生きたムハンマド(というか神)が、どんなことを目指していたのか、も垣間見える感じがしたのです。

イスタンブール:アヤ・ソフィア

⒈神の前に人間は平等である

神が創造した世界のうち、人間の世界は、神の前に完全にフラットなんですね。これを完全に体現すると、名誉や権威などの社会的地位はもちろん、すべての人間の属性には序列がないというわけです。

すべての人は神を前にしてはフラットなんです。

もちろん私含めた普通の凡人は偉い人の前に出れば、それなりの緊張するし恐れ多く感じるし、何かしらの落ち着かない感情が湧き出します。

でも本書に登場するアクラムは「神の前に人間は平等である」という信念が完全に内面化されているので、旧皇太子・現王のイギリス国王チャールズと対面した時も、まったく動揺せず、他のイギリス庶民と話す時と同じように会話するのです。

ムハンマドにとって、神のお告げによれば、狭隘で頑固なアラブ社会の慣習は、本来の人間社会の姿ではなく、異教徒含めて、女性・子供含めてすべての人は神の前にまったく同じだ、というのが神のお告げ(=イスラム教の考え)なのです(ただし異教徒は死後、地獄におちる)。

アクラム曰く、

部族社会の文化に対し、イスラム教はまったく新しい概念を持ち込んだ。それは家族や部族を基礎にするのではなく、信仰を基礎にした共同体である。人々を守るのは財産や決闘ではない。信仰のみが彼らを守るのだ。

本書86頁

したがって、女性や子供を弱い立場として保護(=隔離して差別する)するような慣習がUAEやカタールなどのアラブ湾岸諸国にいくと体感できますが、あれは本来アッラーが最も回避したい状況なんです。

アクラム曰く

神が中心とする世界では、何人も、他人を支配する権利を持たない。創造主の前にすべての人は平等だからだ。コーランは人間に、同胞に対する生来の尊厳を付与したのだ。

本書51頁
イスタンブール:スレイマニエ・モスク

⒉女性学者が活躍したイスラム教の形成期

アクラムが世界的に有名なイスラム学者になったのは、イスラム教における女性の活躍を丹念な文献研究によって明らかにしたからです。

アクラムの研究によれば、イスラム教の形成期には9000人もの女性イスラム学者がおり、しかも学者として優れていたという。なぜなら

女性の学者たちはハディース(ムハンマドの言行録)をでっち上げる必要がなかったんですよ」とアクラムは言った。「彼女たちはハディースで生活費を稼いでいたわけじゃなかった。有名になりたくてやっていたわけでもなかった。ハディース学をやったのは、単に学びたかったからなのです。

これに対して男性は生活費を稼いでいた。宮廷で暮らす男性学者は、学問をひけらかして権力に売り込む必要があった。「王宮に仕えるイスラムの学者は、しょっちゅうハディースを創作しました。君主に取り入ったのです」

本書198-199頁

それでは、なぜこのような女性学者の活躍がその後は消え失せてしまったのか?それは、17世紀以降、イスラム社会がキリスト教世界の植民地支配を受けるようになって、イスラム世界が弱体化したからだと言います。政治主体が弱体化するとマドラサ(イスラム学校)の制度が衰退し、家父長的な慣習が幅を利かすようになったからだ、というのがアクラムの考え。

伝統が自信を失うと、宗教的権威のありかを巡る緊張が高まる。一部のウラマーは女性が公共の場で発言するのはハラーム(禁止行為)だと考えた。

本書199頁

こうやってみると、アフガニスタンのタリバンがやってることは真逆=反イスラム的ですね。女性に教育させないんだから。でもタリバンのイスラム教はアフガン南部の部族社会の慣習をそのまま適用しただけなので、違うのは当たり前です(詳細は以下)。

人権先進国、イギリスでは1870年まで「コモンロー」で夫の庇護を採用し、アメリカでは1900年まで女性の財産権を認めていなかった中、イスラム教は7世紀の段階で、女性を「人」として認め、財産権を認めたりしているのです。

アラブ社会の慣習もアラブのルールを守るために女性の財産権を認めていませんでした(今は?)、

もしも、コーランの規定に従って、娘が父親から彼に属する財産の半分を相続することになれば、娘は財産のこの部分を子供たち、つまりよそ者に譲渡することになってしまう。この危険を取り急ぎ解消するために、マグリブの人々は、すべての娘たちを相続から除外すること(すなわちコーラン法に背くことになる)と、娘を制度として父系の親族に嫁がせるという二つの保護の制度を組みわせてきたのである。

『イトコたちの共和国』38頁

最後にアクラム

「どうしてイスラム教徒の男性は女性に不当な扱いをするのかって・・・」それは彼らがコーランを正しく読んでいないからだと言った。「神を恐れていない男たちは女性を虐げます」

本書258頁
イスタンブール:ブルーモスク

⒊まやかしの原理主義とは?コーラン「剣の章句」

「剣の章句」とはイスラム過激派が、自爆テロなどの暴力を正当化するコーランの章句第9章5節。

神聖月が過ぎたならば、多神教徒どもを見つけしだい、殺せ。これを捕えよ。これを抑留せよ。いたるところの通り道で待ち伏せよ。しかし、もし彼らが悔い改めて、礼拝を守り、喜捨を行なうならば、放免してやれ。神は寛容にして慈悲ぶかいお方である。

(中公クラシックス版『コーラン』第9章5節)

この章句をもとに、例えばパキスタン軍のハク少佐は「全世界はアッラーのものなんだから、イスラムの世界を拡大しなければならないのに、アメリカとヨーロッパがイスラムの拡大を止めようとしているので戦争が続く」としています。

ネットが普及して、訓練を積んだ学者に相談ぜず「シェイク(イスラム学者のこと)・グーグル」に相談すれば良い、として過激な自称シェイクが誕生し、(攻撃的な)自分の都合のいいようにコーランを解釈。

この教えに反応した自分たちの境遇に不満を持つ若者が、西洋社会という敵を意識することでカタルシスを感じ、過激派に参戦していく、という構図(日本のイスラム学者「飯山陽」がこれをイスラム2.0といった)。

だから、アクラムは教育が必要だと訴えます。

例えば、ジハードについてもアクラムの見解は明確です。イスラム教徒の共同体が、ちゃんと勝てる見込みがあるという前提で、イスラムの説教や礼拝が妨害されたときだけジハードが許される、という解釈。

つまりどこまでいっても防衛戦争。そして相手が攻撃をやめたらこちらもすぐに攻撃をやめなければいけません。

むしろ本当のジハードとは、以下の通り。いわゆる「大ジハード」と呼ばれるもの。

本当の戦いをやって男をあげたいってなら、裸の女、ミニスカート、カジノ、強盗ばっかの場所のど真ん中で、どこまで良きイスラム教徒をやってられるか頑張ってみることだ。

本書367頁
ブルーモスク

⒋啓蒙主義とほとんど変わらないイスラムの価値観

著者カーラ・パワーが1年間、アクラムにイスラム教の教えを教わった結果、カーラ自身の世界観、啓蒙主義的価値観と、アクラムの教えるイスラム教の違いは、世俗主義だけだった、つまり神を信じるか信じないかだけだったといいます。

啓蒙主義的な価値観、多元主義、個人の自律、民主主義、法の支配、寛容、科学、理性平等、人道主義的倫理、教育、人権と市民的自由の促進と擁護などは、アクラムの教えるイスラム教の価値観とまったく同じ。

確かに神の下に平等な人間にとって、イスラム教の考え方は人間一人ひとりの価値を認めるわけだから、大きな意味で見ればそうかもしれません。

アラブ社会の部族の慣習を排除し、神の前にフラットな価値観を共同体内で共有するために、7世紀のアラブ社会で具現化しうる生活上の取り決めをコーランで取り決めたのがムハンマド(を媒介にした神の教え)。

仮にムハンマドが最後の預言者として今この現代に舞い降りたなら、神の下の啓蒙主義を、教えとして預言したかもしれません。

以下、多元主義を唱えたコーラン

おお、人々よ、われらは、おまえたちを男女に分けて創造した。おまえたちを種族と部族に分けておいたが、これは、おまえたちがたがいに知りあうためである。神にとっておまえたちの中でもっとも尊い者は、もっともよく神を畏れる者である。神は全知なるお方、よく通暁したもうお方である

(中公クラシックス版『コーラン』第49章13節)

もし、神がすべての人間をイスラム教徒にしたかったならできたはずなのに、なぜしなかったのか。アクラムがいうにはそれは、神は人間にものを考えて欲しいから、ということ。

以上のようなアクラムの教えるイスラム教は、数多あるであろうイスラム教の考え方の中で、主流派ではないと思いますが、原理主義的にコーランやハディース、7世紀のアラブ社会の状況に鑑みて、その文脈を紐解けば、このような考え方になるのかもしれません。

トルコ マニサ:スルタン・モスク

最後にアクラムは、毎日礼拝する中で、必ずお祈りすることがあると言います。それは「自分が信者のまま死ぬことができるように」。

信ずるものは確実性の中に安住しているとしばしば考えている。だが謙遜なアクラムが自らの敬虔さの中に安住することはない。だからこそ彼は、いつも礼拝のたびに、祈りをひとつ加える。自分が信者のまま死ぬことができるように、と神に祈るのである。

本書385頁


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