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「アフリカの風土」なぜアフリカはアジアより発展が遅れているのか?「その1」

以下『地図で見るアフリカハンドブック』も参考にしつつ、なぜアフリカはアジアよりも発展が遅れてしまったか、考えてみました。

⒈最も経済が遅れた大陸「アフリカ」

まずは、データでアフリカとアジアの経済発展状況を比較。

グローバルノート - 国際統計・国別統計専門サイトによると、年の一人当たりGDPワースト20は、すべてアフリカ諸国(ワースト21位に中央アジアのタジキスタン)。

ワースト50でも、35カ国はアフリカ諸国が占めていて、地域別では圧倒的にその数が多いのがアフリカ。

逆に一人当たりGDPベスト50にはアフリカ諸国は皆無で、最も順位が高いのが中央アフリカのガボン81位(9,771ドル)。なお、私が今回訪問した西アフリカのコートジボワールは、同143位(2,473ドル)。

ちなみにアジアは、一人当たりGDPワースト50に10カ国(中央アジア、南アジア)、同ベスト50に11カ国(東アジアと中東資源国)。

アフリカ上位国は、先ほどのガボン81位と赤道ギニア87位(7,854ドル)ですが、この数値は、おおよそ東南アジアのタイ(7,070ドル)と同等レベル。なお人口の多いエジプト(4,587ドル)は、インドネシア相当(4,798ドル)で、アフリカ上位国に限ると総じて東南アジア水準になります。

とはいえ、総体的には2022年の直近の数値を改めて確認しても、アフリカ諸国の経済力は突出して低いといえます。特にサハラ以南アフリカ(サブサハラアフリカ)。

『新版 地図で見るアフリカハンドブック』77頁

⒉仮説その1:アフリカがアジアよりも発展が遅いのは、まだ国が若いから

中東などの資源国は例外としても、多くのアジアの国は農産物の二次加工含めた工業製品もアフリカと比較するとある程度自国で生産する割合が多い。

一方で、多くのアフリカ諸国は農産品・鉱物資源などの一次産品は豊富ですが、まだまだ工業化については、アジアよりも大きく遅れをとっています。

私もネット含め、各種書籍を調べてみてさまざまな仮説があることは理解したものの、現時点での私の仮説は、第一の要因として

まだ独立して時間が十分に立っておらず、近代国家としての機能がまだ弱いから

ではないか、ということ。

第二次世界大戦後、日本やタイなどの戦前からの独立国や、英国のスエズ以東の撤退で独立が遅れた中東諸国(1970年代に独立)を除けば、東アジア、東南アジア、南アジアもおおよそは1940年代までに独立を果たしています。

一方で、アフリカの場合は、戦前から独立していた南アフリカやエチオピアなどを除くと、戦後も西洋列強が自分たちの利権を維持すべく植民地を死守したこともあって独立が遅れ、1960年代に多くの国が独立を果たします。

つまり、アフリカ諸国はアジア諸国よりも、15ー20年ほど建国が遅れたのです。過去にも紹介したように、今のアフリカは、50年前の日本(1960年代)、25年前の中国(1990年代)、10年前のインド(2010年代)と同じ発展度合いです。

『超加速経済アフリカ』より

つまり、独立した年からのその発展度合いに鑑みれば、それほどインドや中国などと変わらないのです。したがって、決してアフリカがその経済発展の度合いに関して、アジアに劣っているわけではないと思われます。

【アフリカ・アジアの年代別独立国数】

自作

⑴アジアにおける国の発展段階

①中国の事例

例えば、中国の場合、中国共産党(中共)と国民党の内戦に勝利した中共は、1949年に「中華人民共和国」を建国します(負けた国民党は「台湾」になる)。

1950年代は、実質毛沢東の独裁体制のもと、彼が理想と考えた社会主義政策を展開しますが、大失敗したことから現実派の劉少奇・鄧小平との権力闘争が始まり、国は混乱。

1960年代以降も、毛沢東は文化大革命を展開して経済そっちのけで権力闘争を再加速させ、またまた国は大混乱となります。

1975年以降、毛沢東が亡くなってのち、鄧小平が復権、実権を握って経済重心に舵を切り、今に至るわけですが、政治が安定して経済に舵を切るまで建国から25年かかっています。

②東アジア・東南アジアの事例

他のアジア諸国・地域も、アフリカ同様、独立時はほとんどが独裁国家・地域です。韓国の朴正煕、マレーシアのスカルノ、インドネシアのスハルノ、フィリピンのマルコス(現大統領の父親)、共産党独裁のベトナム(今も継続)、そして台湾の蒋介石。

これらアジア諸国・地域も、建国から25年ぐらいで、おおよそ体制は安定します(民主主義か権威主義かは別にして)。

大韓民国:朴正煕の開発独裁による経済発展(1970年代:平均経済成長率10%)
インドネシア:スハルトの開発独裁による経済発展
マレーシア :マハティールの開発独裁によるルックイースト政策
フィリピン :マルコスの開発独裁による1970年代の経済成長

そして80年代の東西冷戦終了を迎えつつある国際情勢下、つまり建国から40年ぐらいで、韓国(1987年)、台湾(1987年)、フィリピン(1986年)、などで民主化が実現。

以上整理すると

建国から25年まで:開発独裁体制に基づく国づくりと混乱の時代
建国から25年以降:政治の安定化と経済の発展
建国から40年以降:国によっては民主化実現
建国から60年以降:一部先進国並みの経済力達成(韓国、台湾、シンガポールなど)

という発展段階。

⑵アフリカにおける発展段階

一方、1960年代に独立したアフリカ諸国は、アジア同様、地元既存支配層による中央集権的な独裁体制のもと、支配層の私利私欲(=アフリカの宿痾)や東西冷戦の影響を受けて、経済よりも「支配層の富の独占」や「イデオロギー」による政治の混乱を経験。

整理すると、

建国から20年まで:独裁体制に基づく国づくり
建国から40年まで:自然災害と一次産品価格低迷による混乱(アフリカの死)
建国から40年以降:政治と一次産品価格安定化、人口爆発による経済成長

ということで、若干、アジアよりはそのスピードは遅いものの、紆余曲折はありながらも、特に2000年代以降は確実に経済成長しています。

さらにマンデラ大統領を輩出した南アフリカ(民主主義指数66位)や、南アフリカから独立したナミビア(77位)、ボツワナ(同82位)などは民主主義指数も、一部の国家に限っては、そこそこ高い。

今後は中国資本やロシアのワグネル台頭などで、ニジェールやセネガルなど、中国・ロシアに親和性の高い権威主義体制を強化する方向に逆戻りしそうな国家もありますが、大きな政変が起きない限り、人口ボーナスの効果もあって経済的には順調に成長していくのでは、と思われます。


次回はの別の仮説「歴史上、国家政治体制の経験がなかったから」について紹介します。

*写真:コートジボワール アビジャン「セント・ポール・カテドラル」

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