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社会人研修で感じた違和感。悪意。涙頂戴話は泣けない。辟易。シャニマスではめっちゃ泣く。快感。

今日の研修では「仕事は選ばない」「どんな仕事でも学べることはある」「やりたい仕事はやるけど、やりたくない仕事はやらないというのではいつまでも成長できない」「続けてみることが大切」というような賛否が分かれるかもしれない話が堂々とされていた

(弊社の社長は前職での仕事が自分のためになっていると思えなかったから業界を移動したという方であるため、自分としては複雑な気持ちではあった)

アイドルマスターシャイニーカラーズの市川雛菜さんは、このような意見を述べている

「言いたくないことを言わなくてよくて、やりたくないことをやらなくていいのも大事」、当たり前のことのようだが、意外と見落とされていると言うか、個人的にはそんなことを考えもせずに割り切っている人が多いと思うし、凄い着眼点だなと感心した

やりたいことをやって、やりたくないことをやらない
それが理想だとは思うが、理想と現実は違う

市川雛菜さんの考えは社会では甘えだと切り捨てられてしまうものなのだろうか

やってみたら意外とやりがいを見出せたり、学びがあって自分のためになったりする場合もあるだろうし、最初の印象だけでやらないというのは、成長のチャンスを捨ててしまうもったいないことなのかもしれないとも思う

ここまでは、どちらの意見にもわかる部分はある、といったところだが、ここから明確に違和感を覚えることがあった

ある実話を基にした本の内容が紹介された
俺が覚えている範囲であらすじを説明すると

なにをやっても長続きしない女性がいた。仕事もすぐに辞めてしまい、何度も仕事を辞めているうちに職歴に傷がつき、正社員として雇ってもらえなくなった。派遣社員となってもすぐに仕事を辞めてしまい、次にスーパーのレジ打ちの仕事をしていたが、また辞めたくなった。田舎の実家に住む母にもう実家に帰ってきてもいいと言われ、悔しくて泣きながら荷物をまとめていたところ、自分が子どもの頃に書いた手紙が見つかる。そこにはピアニストになりたいという将来の夢が書いてあった。そうして彼女は、ピアノだけは長く続けていられたということを思い出す。もう一度頑張ってみたい。ピアノを続けられたように。練習しているうちに鍵盤を見なくても弾けるようになったように、レジ打ちだって練習すれば極められる。そうして彼女はレジ打ちを極めた。レジ打ちを極めたことでお客さんと会話する余裕が生まれ、お客さんと仲良くなり、気に入られるようになった。ある日、他のレジは空いているのに、彼女のレジだけ長蛇の列ができていた。他の列にお並びくださいと声をかけても、お客さんたちは「彼女と話すために来ている」と言うのだった。彼女は嬉しくて泣いてしまった。




しゃ、しゃらくせ〜〜〜〜〜!!!!!





いや、話自体はいい話なんですよ?
彼女の努力が報われたのは紛れもない事実ですし。

でもなんか、語り方が、「ほら、泣けるでしょ?」みたいな感じが見え見えでまったく泣けね〜のよ、むしろ笑っちゃった

練習しているうちに鍵盤を見なくても弾けるようになったように、レジ打ちだって練習すれば極められる。 

何かの練習を続けていたら上手くなったように、他の何かでも練習を続けていれば上手くなるって話なんだけど、ピアノとレジ打ちという絶妙に似ているようで全然似ていないものの対比でダメだった

語り方が「似ているでしょ?」感を出していたのが問題だと思う。似てなくて笑っちゃう。かといって指で押したり、押す場所を覚えたりって部分は共通していて、うーん、、、って感じだ

性格悪いですかね?

そして、もう一つ実話をもとにしたある本の話を聞いた
その本の内容も俺の覚えている範囲であらすじを説明する

先ほどの話は長くなってしまったので要約の練習も兼ねて短く説明してみる

駐車場で働いているおじさんがいた。おじさんは毎日笑顔で働いていてお客さんに傘を貸したり荷物を運ぶのを手伝ったりとても親切にしている方だった。おじさんは「何の仕事であっても自分の今の仕事を楽しむようにしている」と言っていた。ところがある日、おじさんが笑顔ではなかった。事情を聞くと、仕事をやめるようだ。おじさんが仕事をする最後の日に今までのお礼として手土産を持っていったら、たくさんの他の人たちもおじさんに土産や花束を持ってきていて、おじさんの前に人が溢れかえり、土産や花束が積み上がっていた。今までおじさんが仕事で積み上げてきたことが、土産や花束といった目に見える形で現れた




いや、だからね?
いい話なんだけど、、

みんな違和感に気づいたかな?

一つ目の話はまとめると、辞めようと思った仕事でも続けていればいいことがあるって話で

二つ目の話は、どんな仕事でも前向きに続けていればいいことがあるって話で

要は、どんな仕事でも素晴らしくて、続けていればいいことがあるんだよって、伝えたいんだろうな〜〜〜〜〜って、見えっっっ見えで泣けないんだけど

言ってることはわかるんですよ、たしかにどんな仕事でも頑張っている人は素晴らしいと思いますし、続けていればいいことが起きるかもしれないとも思います

でもさぁ、それを新社会人に伝える側のあなたが、仕事に優劣をつけていないか????????

どうしてレジ打ちと駐車場ってチョイスにしたんだ?

レジ打ちと駐車場が舐められやすい仕事だと思ったからじゃないか?

俺はべつに舐めてないですよ?
それなのにあなたが舐められやすい仕事だと思って選んだのだととしたらあなたが優劣をつけているってことじゃないですか??

違和感の正体はこれだよ

チョイスに悪意を感じるんだよ

話自体はいい話なんだけど、新社会人に「どんな仕事でも素晴らしい」というメッセージを伝えたいという状況でする話としては不適切だと思うんだよ

なんかさ、、

ある子どもがいたとして、その子には他の子のようにうまくできないことがあって、それでも周りに他の子と区別しないで同じように接してほしいと思っていたとして、

先生が、この子は他の子のようにうまくできないからみんな配慮してあげてね!

っていうのは優しさじゃなくて、本人の意思も知らないくせに余計なお世話だよな

配慮してあげてねって言っている先生が1番その子のことを下に見ている

これと似た違和感を感じるんだよな

レジ打ちだって駐車場だって舐められるような仕事じゃないよ!って、あえて特定の仕事をチョイスして言っているあなたこそが、1番その仕事のことを舐めているんじゃないか?

と思ってしまった

いい話で泣けなかったり、誰も深く考えないようなことを考えてしまうような自分の性格の悪さに辟易する

そんな自分が嫌になるが、先ほどの市川雛菜さんも登場するアイドルマスターシャイニーカラーズのシナリオではめっちゃ泣く

綺麗な話で綺麗な涙を流す
こんなに気持ちの良いことはない

綺麗な話で感動しているときの自分だけは肯定してあげることができる

みんなもアイドルマスターシャイニーカラーズ涙を流して気持ちよくなろう

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