生い立ち〜起業への目覚め

はじめに

こんにちは、山口貴史と申します。
2014年に株式会社Candleという会社を仲間と共に創業し、そこから約5年間、同社のCTOをしておりました。
現在は、エンジェル投資家としてスタートアップに十数件ほど関わらせていただいたり、自身でも会社を立ち上げ、新たなチャレンジをしております。
よろしくお願いいたします。

今回は、普段人前では話さないような自分の生い立ちや今までの起業家としての人生を振り返ってみました。

少々長くなってしまったため、お時間のあるときに読んでいただければと思います。

学生時代

小学校は公立の学校に通っており、小4までは受験とは縁のない普通の小学生でした。ゲームをしたり公園で遊ぶのが好きでした。
塾に通うようになったのもきっかけはゲームで、成績優秀者に「シカクいアタマをマルくする。」のゲームボーイソフト欲しさに日能研の模試に受けたことが始まりでした。

昔から負けず嫌いで、褒められるのが好きな性格だったため、勉強にも積極的に取り組むタイプでした。
科目の中では算数が得意で、パズルやIQテストのように柔軟な思考で課題を解決することがもともと好きでした。

中高は栄光学園という神奈川の中高一貫校に進学しました。3人に1人が東京大学に合格するような学校だったので、互いに切磋琢磨する環境としては最高でした。同級生には東大の首席になった人などもいたので、競争していれば目指すべき学力の水準は自然と高くなっていきました。
また、周りに互いに切磋琢磨する仲間がいることの重要性を感じました。

高校時代には科学オリンピックに目覚め、数学、地学、物理、化学のオリンピックに参加しました。
以前は「日本や世界で勝負するのは無理だろう」と決めつけて科学オリンピックに参加するのを避けていたのですが、学校内では理系科目の成績はよかったので、試しに参加してみたところ、優秀賞を受賞したり、日本代表の選考合宿に参加するなどの貴重な経験をすることができました。

その時から、学問はただ大学受験のためのものではなくなり、自分の知的好奇心を満たすためのものにもなりました。大学受験の範囲ではない内容を勉強したり、研究するようになりました。難しい問題でも果敢に挑戦し続ければ難しいと感じなくなるような感覚を手に入れました。また、とりあえず挑戦することで見える世界が変わるのを身をもって感じました。

夢も変わりました。昔から家族から医者になることを勧められていたため、中学までは自分は医者になると思っていました。
しかし、科学オリンピックに目覚めてからは自分にしかできない発明をして世の中を進歩させたいと思うようになりました。ノーベル賞やフィールズ賞を取ることがその目標でした。

2012年、東京大学に無事入学することができました。ノーベル賞やフィールズ賞を取りたいと思っていたので理学部物理学科に進学しようと考えておりましたが、大学1、2年の学生生活のほとんどはサークルに費やしていました。テニスサークルではキャプテンも務め、ストイックさやチームでのコミュニケーション能力などは少しは培われたのかなと思います。

東大では進学振り分けという仕組みがあり、3、4年に進学する学部は1、2年の成績が良い順番で振り分けられます。
学部を選択する判断を迫られたとき、「実社会に大きなインパクトを与えたい」という思いが強くなり、学問を追究したいモチベーションを一旦抑え、起業を志すようになりました。プログラミングやビジネスに関することが学べ、物事に挑戦する時間もある工学部システム創成学科に進学しました。

20歳で起業、2年半でM&A

2014年4月、システム創成学科の同級生と株式会社Candleを創業しました。取締役CTOを務めるも、創業当時はまともにエンジニアリングをした経験はありませんでした。1日でも早く、少しでもいいサービスを提供することができるよう、四六時中コードを書いていた記憶があります。初めはファッション系のアプリを作っておりましたが、そこから約1年後にピボットし、メディア事業に参入しました。

2007年にiPhoneが発売され、ようやくスマホが普及してきた頃でした。
インターネット上のコンテンツの需要が高まる一方で十分な供給量がなかったという時代の波に運良く乗ることができ、メディア事業は順調に伸びていきました。これは自分にとって大きな成功体験となりました。
Google Analyticsでリアルタイムでユーザーが増加しているのを見ることがその頃の楽しみであり、やりがいでした。

事業だけでなく、組織も順調に拡大していきました。代表の金が東大の起業サークルに所属していたことや、採用力が高かったこともあり、起業を志す優秀な仲間が数多くジョインしてくれました。事業や組織が急激に拡大していた時期、そこには熱狂がありました。熱狂が人を巻き込み、人が熱狂を生み出していました。オフィスで寝泊まりする文化までありました。仲間と熱狂し、共に同じ夢を目指す日々はかけがえのないものだと感じました。

2016年10月、株式会社Candleはクルーズ株式会社にM&Aをしました。サービスとしてはまだまだ社会にインパクトを与えたと言えるようなものではありませんでしたが、周りの方からたくさんのお祝いの言葉をいただき、自分たちのトラックレコードとしても十分価値のあるものでしたので、努力が報われたという達成感がありました。一方で、同じ仲間で上場まで駆け抜けたかったという悔しさもありました。

クルーズグループにジョインしたあとも、CandleはCandleとして、今まで通りのオフィス、今まで通りの組織体制でした。新規事業などの裁量権もあることもジョインした決め手のひとつでもありました。Candleではクルーズグループの柱となる事業を創るために数々の挑戦をしました。

新たな目標と人生のミッション

自分には約2年前に打ち立てた目標があります。

「10年以内に時価総額世界一の会社を作る」

途方もない目標ですが、もともとノーベル賞やフィールズ賞を目指していたことを踏まえると、その方向性は違うものの、野望の大きさは高校時代から変わっていないなと感じます。

この目標は、同じく約2年前に定めた人生のミッションからきています。

「すべての人が幸せに生きることができる社会を作る」

現在はこの目標や人生のミッションを達成すべく、新たなチャレンジをはじめました。

これらについては書くとさらに長くなってしまいますので、詳しくは別のノートで書きたいと思います。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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