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AIに仕事を奪われるとどうなる?


「AIロボット 仕事 奪われる」みたいなキーワードで検索して出てくるエントリを読んでいるとよく、
「私たちの仕事がAIに奪われる! みんな食ってけなくなるよ!」
みたいな感じで、僕たちの恐怖心を煽るように書かれているものが多いんですけど、本当にそうなるのかな、とふと思いまして。
またAIの普及によって現在の格差がさらに広がってしまうと心配している人もいるみたいですが、その格差は必ずしも「経済」格差なのかな、と。

そういった記事に触発されて、考えてみました。僕的には、AIロボットがふつうに活躍する世界では、人びとの生活は「基本生活パック」になって、「遊び格差」が存在するんじゃなかろうか、という結論に達しましたので、以下それについて書きます。


●AIロボットに仕事を奪われても心配することない
その恐怖っていうのが、世界中でAIロボットが導入されはじめる過渡期に、一時的に訪れる混乱に向けてのものだとしたら、それはたしかにあるかもしれません。AIロボットが入ってきたために別の部署にまわされたり、給料がカットされたり。それはあるかも。

でもね、それはあくまで一時的なもので、イコール人類お先真っ暗とはかぎりませんよね。
AIロボットの普及は、ある時点からけっこう急に、しかもほぼ同時に、世界中のあらゆる分野で起きると思われます。
それこそ、ちょっと前にスマホが一気に同時に世界中に普及したのを思いだしてもらうとイメージしやすいと思いますが、あんな感じで、あらゆる業界のあらゆる企業が、AIロボットの発売と同時に採用を始め、そして一気に普及すると思います。
なぜなら、明らかに人件費よりも安いからです。
利潤を追求する企業である以上、採用しない理由はないわけで。
そうすると、あらゆるモノの値段やサービスの値段は劇的に安くなります。
奇しくも皆さんの人件費がカットされたおかげで、ですね。
たとえばこんな感じでしょうか……

①農業法人でレタスを生産しているAさんの給料は、AIロボットが導入されたことで半分になります。
②レタスの値段は、Aさんの給料が半分になったので、およそ半分になります。
③ところで、レタスを生産するためには人件費のほかにも種、肥料、消毒、マルチ、ダンボール、輸送、等のコストがかかりますが、それらを生産するBさんCさんたちの給料もAIロボットの導入により半分になっているため、結果として、レタスの原価そのものが下がります。

よって、僕たちの給料は下がりますが、同時に食べ物や衣服や建造物の値段も下がるので、あまり心配いらない、ということです。

●基本生活パック
最終的にAIロボットの普及によってモノやサービスの値段がどこまで下がるかはわかりませんが、いかんせん仕事を奪われまくって人間は基本的にやることがありません。
いっぽう、ベーシックインカムという考え方があって、全国民に毎月一定額を支給する代わりに国保を取っ払う、というもので、北欧の先進国あたりで近年注目を集めている、非常に理に適った考え方なんですが、
実現しなかった理由(つまり反対意見)はおよそ、

①そんな財源はない
②人びとの勤労意欲を損なう

というものだったそうです。
「実現してほしいが、現実的には無理だろう」というのが大半の意見だったそうです。
ところがこの制度を、AIロボットが普及した世界に当て嵌めてみるとどうでしょう。
財源はないけど、むしろ財源が必要なほどの多額を国民に支給する必要がないし、勤労意欲があろうがなかろうが仕事はもはやありません。
つまり、実現可能だろうということです。
AIロボットが普及した未来で人びとが選択する生活は、なんとなくそっちの方向なんじゃないかなあ、と思います。
これが「基本生活パック」なわけです。

●遊び格差
全国民に一律で支給される「無料」か「ほぼ無料」の「基本生活パック」があって、おそらくそれは、画一的な住居に画一的な食事、画一的な衣服が保障される、生きていくだけなら不自由のない、基本的な生活ができるお手頃パックなのでしょう。
でもやっぱり人間、そんなんばっかじゃ飽きてしまうので、たまには基本的「じゃない」生活だってしてみたい! って思うに決まっています。
そこで必然的に登場するのが、基本生活パックの上位バージョンである「遊び生活パック」です。
人びとの生活は、おおまかにこの二層で構成されることになると思います。
「基本」か「遊び」か。
ここでいう「遊び」っていうのは、「基本っぽくないこと」つまり「ロボットっぽくないこと」です。
どういうものがあるかというと……

①ロボットにもできるけど、人間がやったほうがあたたかみが感じられたり、ぜいたくに感じられたりするもの
 たとえば介護やカウンセリングや専門的な接客業などは、人間に相手をしてほしいという需要は消えずに残ると思います。ほかにも、ゲーム、ドラマ、アニメなどの創作物や、伝統工芸品、創作料理なんかも、AIが作るより人間が作ったほうが「人間くささ」があっていい、という意見は少なくとも存在するはず。
②ロボットがやっても意味がないこと
 各種スポーツなど「人間がやるから意味のあること」、あるいはフリーダイビングやロッククライミングなど「人間の限界に挑戦するもの」は、ロボットが代わりにおこなうことはできません。
③そもそも意味がないこと
 すなわち「遊び」、ということですが、たとえば今のユーチューバーたちがアップしてる動画みたいに、あくまで遊びであって、そもそも仕事として成立しない類のものは、AIロボットの最も苦手な分野だと思います。

そんなふうに、今ある仕事はほとんどAIロボットに取って代わられますが、そこで大事なのは、それらをちょっとひねった所にある「遊び」の部分を見つけられるかどうかになってくると思います。
今でも、若い人たちのあいだでは、そんな動きが出てきていますよね。
「遊びを仕事にしよう」っていう動きが。
なんだか「これからの仕事形態」の伏線になってる気がしませんか?

●恐怖の所在が変わる
とはいえ、じゃあ、遊びができない人間は食ってけないのか? というと、そうではなく、その未来にはさっき言った「基本生活パック」が存在しているため、別にムリして遊ばなくても生きていくことはできるわけです。ただし、基本的な生活から逸脱できないんです。
「基本的な生活」なんて言うと、なんだか窮屈な生活にも聞こえますが、実際には、現在思い描けるような夢はすべて実現できる、まさに夢のような生活で、いつでもどこでも世界中に旅行できるし、一年中バカンスを満喫したっていいし、毎日美味しいレストランで好きな料理を食べられるし、VRで好きな世界に住めるし、毎日合コンできるし、ラボに入り浸って好きな研究に没頭することもできます。
基本生活パックは、今から考えればはるかにぜいたくな暮らしなんです。なんですが、それらはすべて、あくまで基本的な旅行、基本的なバカンス、基本的な美味しい料理、基本的VR、基本的合コン、基本的知識だということです。未来人たちは、そういうものだけでは微妙に満たされずにいるわけです。そしてその満たされない感じがずっと続くことこそが未来人にとっての恐怖になっているはずです。

実は今でも本当は、仕事を失っても餓死するわけではないですよね。食ってけない、の中身は「望まない生活を強いられる」とか「周囲の人間に迷惑をかける」とか、そういうもの。それがちょっと変わって、「画一的な暮らしに飲み込まれる」とか「人間らしさを失う」とか、そういうものになると思います。


●まとめ
つまり最初の、
「私たちの仕事がAIに奪われる! みんな食ってけなくなるよ!」
という煽りは少し違っていて、正確には
「遊びを見つけられない! それじゃあ画一的な人生しか送れないよ!」
という感じになるんじゃないかと。

……なんていう妄想をね、2017年の「昔の人」がしてましたよ。
どうなんでしょう、未来人さん。
いずれにしても、国同士の利権やらAIの人権やらなんやらで揉めて、グダグダな感じの未来にだけはなっててほしくないですね。

個人的には、AIロボットが活躍する世界の到来、楽しみにしてます。

最後までお読みくださり、ありがとうございました。

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