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内向的直観って何さ?

抽象的すぎてイマイチわかりにくい内向的直観という機能。
私はそれをメイン機能として使って生きている(らしい)。

ググってみるとこんな感じで説明されています。
・自分の内側に向かう可能性
・内的イメージの変化を観察する
・集合的無意識と結びついている

なんだかよくわかんないですね。自分が普段使いしている機能がなんだかよくわかんないというのもアレなんで、自分なりに補完してみました。
これを主機能に持つINFJ、INTJ、また補助機能に持つENFJ、ENTJの人も参考にどうぞ。

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目次
・「こうなったらいいのに」
・危機回避能力
・物事の「背景」って?
・直観の波
・まとめ
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●「こうなったらいいのに」
「自分の内側に向かう可能性」という言葉を、すごく乱暴にわかりやすく言い直すと「こうなったらいいのに。こうしたほうがいいのに」なんじゃないかなあ、と思います。
内向的直観という機能は、ぼんやりと全体を見るでもなく見て得た情報を、自分の内側に反響させてみて生まれた……というより“残った”イメージを蓄積して、判断材料に使おうとする、そういう機能です。これにより、イメージの世界と現実世界とのあいだにはギャップが生じるため、その差を認知して、「こうすればいいのになあ。こうなってほしい」と日々感じて生きることになります。
ただし、それは主観的な願望(I wish)のようでいて、そうではありません。
たとえば、高い木のリンゴを取ろうとジャンプしている人と、ハシゴを担いで歩いている人を、たまたま別々の場所で見かけたら、「二人が手を組めばいいのになあ」と思う。おそらく直観とはそういうものです。ですが、本当に二人に手を組んでほしいと思っているのかというと、別にどうでもいい部分と半々です。そこはあくまで客観的で無責任、しかし同時に本気で確信しており、「果たされるべき」という熱意と「どうせ果たされない」という諦観の入り混じった「こうなったらいいのに」なのです。

●危機回避能力
内向的直観はおそらく、己の人生に自信をもたらしてくれる機能です。この機能のおかげで、自分の進むべき道、自分の人生について、救いがたい悩みのるつぼに突入する心配はありません。内向的直観を主機能や補助機能に使って生きている人たちは、ヘンテコな道を歩き、ヘンテコな人生を送っているにもかかわらず、妙に自信家ですよね。
なぜかというと、内向的直観が危機回避能力のようなものだからだと思います。
「進むべき道」がわかるというより「進んではいけない道」がわかります。
苦しい思いをするぞ、イヤな目に遭うぞ、落とし穴があるぞ、という「なんとなくヤな感じ」。
要するにただの「カン」ですが、このカンに関して異様に確信的なのです。
この確信はどこから来るのか。
外向的直観が「拡散する可能性を見る機能」だとすると、内向的直観は「収束する可能性を見る機能」です。
換言して、
外向的直観の人が世界を見て「なんで? そうなるとどうなる? じゃああれもそうじゃない? 以前はどうだった? ほかに似たものは?」と拡散する方向に考えるのに対し、内向的直観の人は世界を見て「まずそれはありえない。ならばこれもない。これはあれと同じことだから考えない。そうなれば残るのは?」と収束する方向に考えます。
この思考性向が、危機回避という概念と親和性が高いのだと思います。
「自分はいつでも将来の危機を回避できるだろう」と思っているからこそ、人生に自信たっぷりなんですね。
INFJやENFJに「将来が不安じゃないんですか?」と尋ねてみても「そうねえ、でも、そんなこと考えても仕方ないから明るく楽しく生きるしかないよ」と返ってくるだけです。

●物事の「背景」って?
直観は物事の背景を見る、とよく表現されますが、ではその「背景」って具体的になんなんでしょう?

例)

・街でスーツを着たマネキンを見てこう思う。
>なんでみんなスーツなんか着るんだろう、なんで社会人の格好=スーツってことになったんだろう。大して機能的でも着心地がいいわけでもないのに。ジャージでいいじゃん。

・真夏の太陽を見上げてこう思う。
>アレって巨大な原子力発電所だよなあ……。

・高層マンションを見て思う。
>壁とか床とかがこの瞬間一気にシースルーになったら、あの場所ってめちゃくちゃ不気味な空間だよね。

・朝起きて思う。
>俯瞰で見たら太陽の照射の動きに連動して人類がもぞもぞ起き出す光景ってなんか虫っぽい。

要するにこれは、五感を通して得た情報(すなわち、直観の反対の感覚)が、しっかり固定されないことによって生じる、ブレなんだと思います。感覚がしっかりしていないからこそ、入力時にブレが起きて、たとえば目の前で激しく口論している人たちがいたら、なんだか滑稽な風刺画に見えてしまい思わず笑いそうになるなど、ぜんぜん関係ない違う何かと混じったり重なったり、とにかく五感を通して得られた情報がそのまま反映されない。
それは、ただ「不安定」と表現することもできるし、別の何かと結び付ける力=「発想力」と表現することもできる。
その「ブレ」こそがつまり、物事の背景ということなんだと思います。たぶん、それ以上でもそれ以下でもなく。

●直観の波
主機能やら補助機能やらをアレコレ学んで、自分で自分の主機能を意識するようになったことで、内向的直観が働く時期と働かない時期のサイクルを自覚できるようになった。
それは、いつも発動しているわけではなく、強まったり弱まったりするようです。
内向的直観が強まっているときには、物事がそうなっている理由とか、なんで動いているのかわからなかったシステムの仕組みとかが、閃きという形で次々もたらされます。逆に弱まっているときには、むしろ普段より地に足がついて生きている感じがします。
加えて、内向的直観がMAXで活性化しているときには、なぜか周囲の人間は決まって不機嫌になります。そういう状態のときには極力誰かと会わないようにしています。コレは、なんなんでしょう。単なる気のせいかもしれないし、内向的直観が絶好調のときには相手を不快にさせる何かを発しているのかもしれません(笑) だから閃きをその場で共感してもらえることは滅多にないです、残念ながら。
でも逆に、相手が不機嫌になればなるほどこちらのカンが冴え渡るという、この法則を上手く利用すれば、ポーカーとか麻雀とか対人のゲームでは有利に立ち回れるかもしれませんね。

ところで、可能性というのもまた、拡散と収束という、ある一定のサイクルを繰り返していると思います。
物事の流れに影響を及ぼす諸要素が分離していき、「さてこれからどうなるのかまったくわからないぞ」というのが拡散期で、諸要素がある一点に向かって集合していき、「そうなった以上こうなるしかないだろう」というのが収束期です。
外向的直観は、拡散期に数限りない可能性の芽を抽出するのが得意で、内向的直観は、収束期に可能性の芽を厳選するのが得意です。
おそらく、内向的直観が働かないときは、可能性の拡散期とリンクしているときで、内向的直観がよく働くときは、可能性の収束期とリンクしているときなのでしょう。

●まとめ
結局、抽象的すぎてわかりにくいのはどうしようもない気がする。
というか一番の問題は、この機能を現実にどう役立てればいいのか、ですが、残念ながら内向的直観を直接活かせる仕事、というのはあまり多くないです。ググってみても、芸術家とか、シャーマンとか。いずれあまりメジャーなものではありません。
当然といえば当然ですね。所詮は「カン」や「気のせい」なので、信じすぎるのも、信じられすぎるのも危ないんですよね。
面接で「得意なものはなんですか?」と聞かれて「あの……カンが、たまによく働くんです……」と言ってもヘンな顔をされるだけでしょう。
「コレが得意です!」と言えば一発で通じる外向的感情タイプとか内向的感覚タイプとかが羨ましいなあ……。

内向的直観をどう役立てればいいのか。今後の課題です。

それにしても、なんでユング氏は「感覚」の反対を「直観」なんてふうに設定したんだろう?


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