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祝・紅白! 藤井風さんのアルバムが素晴らしい3つの理由

祝・紅白初出場! おめでとうございます! このタイミングで、コツコツ書きためてきた長~いこの文章をアップできることが、すごくうれしいです。藤井風さんのファンの方々に読んでいただけたら、そして楽しんでいただけたら幸いです。

さてタイトルについてですが、今さら何を分かりきったことを、と思われるかもしれません。

藤井風さんのファーストアルバム「HELP EVER HURT NEVER」は、昨年発表されたアルバムですからね。

ただ私は遅れてきたファンなのです。
今年9月4日、ニッサンスタジアムでの ”FREE” LIVE を遅れて見て、藤井さんの存在を知りました。
そしてアルバムを聴いて大感動、まさにいまリピートしている最中なのです。

本当はこの感動と感謝の気持ちさえ表現できれば十分なのかもしれません。

しかし、ネットで見聞きする評価にいささか納得いかない点もあり、私なりの感想を記しておこうと思いました。

・ぱくゆうさんの評価

私はユーチューブにおける、ぱくゆうさんの「ぱくゆうチャンネル」を(すべてではありませんが)楽しみに視聴させていただいている者です。
ぱくゆうさんは私みたいな「にわか」ではない本物の藤井ファンで、愛情をだだ漏れさせつつも(やや)厳しい評価をアルバムに対して下しています。

ご覧になりたい方はこちらから。↓

ぱくゆうさんの評価は、五つ星満点で星四つ、というものです。
すぐれたアルバムだが惜しい点がある、という評価だと思います。

評価のポイントは、冒頭4曲と後半の曲とに断層があるのではないか、という点です。
①「何なんw」
②「もうええわ」
③「優しさ」
④「キリがないから」
の4曲がかなり「攻めた」アレンジでブラックミュージック風に料理していて、やる気を感じるが、そこから後の曲がふつうの歌謡曲みたいである。それはそれで素晴らしいのだが、「今」を感じさせるかどうか、という点ではやや物足りない。
ということでした。

・で、私の感想

私はギター弾き語りのまねごとをしてはいますが、40の手習いというやつで、まったくの素人です。音楽のアレンジメントについて、詳しいことはわかりません。

だから専門家であるぱくゆうさんから「5曲目からがらりと変わる」と言われたら、「そうなんですか」としか言いようがないのですが・・。

あらためて聞き直したところ、「そう言われれば、そうなのかも・・」ぐらいには感じました。冒頭の4曲はなんというか、オシャレ。スタイリッシュ。そんな印象です。
それに比べると後の曲は、自然な出来栄えといった印象。⑤「罪の香り」からホーンが入っています。これはすごくカッコいいのですが、「売れ筋」なのかと言われると、そうではないのかもしれません。
このように見てくると、ぱくゆうさんの見立てについて、否定することはできないように思います。

ただ、私とぱくゆうさんとでは評価が異なる点があります。ぱくゆうさんは、冒頭4曲を「外向きの風さん」、他の曲を「おうちの風さん」と呼び、「くつろいだ風さんも悪くないが、スペシャルだとはいえない」と評価しています。

私の考えは違っていて、冒頭4曲は「サウンド・プロダクション志向」、他の曲は「うた志向」だと思っています。そして、「緻密に作り込んだ風さんもすばらしいが、本当にスペシャルなのは歌に向き合った風さんだ」と感じます。

こう感じるのは、実のところ私が流行にうとい男だからです。ふだんから時代など関係なしにカントリーだのフォークだのポピュラーだのを聴いているような男ですから、何が「今」っぽいかも分からないし、「今」っぽいことをそんなに尊重しなきゃいけないのか、というあたりも疑問に思っています。最新の音楽をつねにリサーチしているタイプの方とは、感覚がちがうようです。

ぱくゆうさんは、藤井さんをなんとか売れる歌手にするために、プロデューサーの Yaffle さんが頑張った、と強調しています。それはそうなんでしょうが、藤井さんのファンのすそ野って、もっと広い気がするんですよね。
ユーチューブのコメント欄を見ると、70代、80代の年齢の方が本当にすごくたくさん、藤井さんに惹きつけられています。それは、流行りすたりと関係ない、藤井さんの歌の力だと私は思うのです。

その意味では、⑤「罪の香り」から後、美メロと艶っぽい声とで聴き手に訴えてくる、アルバムの後半のほうに、歌手としての藤井さんの魅力がつまっています。私としては、全曲が「何なんw」のような凝ったアレンジで押し通されてしまったら、たぶん聞き疲れてしまっただろうと思います。

だからこのアルバムは、ぱくゆうさんのような耳の肥えたリスナーを惹きつけると共に、私のようなごく素朴なファンをもグッとつかむために、あえて2段構成にしているのではないでしょうか。そう思いました。

うまいたとえではないかもしれませんが、プリンスのアルバムでいえば、「サイン・オブ・ザ・タイムズ」は超絶名作かもしれませんが、聞くと体力が奪われるところもあるんですよね。
「1999」や「パープル・レイン」は、バラエティに富んでいて、とにかく聴いて楽しいアルバムです。評論家は辛く評価するかもしれませんが、私はこっちのほうが好きです。

⑩「さよならべいべ」は、いかにも80年代ポップロック的な、ちょっとださいアレンジが最高です。藤井さんの声もいい感じの効果がかかっている。歌謡曲だと言われればそれまでですが、この曲はそういうアレンジじゃないと生きない。その意味では、プロデューサーのYaffle さんは、すばらしい仕事をしていると私は思います。

そもそも、私の大好きな、あの⑪「帰ろう」が、変に「攻めた」アレンジなんかにされてしまったら、ぶち壊しだと思います。あまりにも普遍的で、歴史に残るであろうこの名曲には、その「格」にあったオーソドックスなピアノとストリングスのアレンジこそがふさわしい。だからこの曲のアレンジもドンピシャなのです。

で、感想をまとめますと。
藤井風さんのアルバム「HELP EVER HURT NEVER」は、幅広い層のリスナーに訴えかける懐の深い音楽性を志向したアルバムであり、「時代」を超えて聴き継がれるだけの普遍性を持つ名作である。

と、思うのです。いかがでしょう?

・で、3つの理由とは?

さて、「藤井風さんのアルバムが素晴らしい3つの理由」というタイトルをつけたくせに、その3つについてなんの説明もないじゃないか、と思われたでしょう。

はいはい、ちゃんと説明しますよ。でも、私が考えた理由なんて、みなさんが思っているのとまったく同じですよ。藤井さんの素晴らしさはルックスやお人柄など、さまざまなところにまで及びますが、話をアルバムに限定すればとくにこの3つです。

①声
②曲のメロディ
③歌詞(メッセージ)

私はピアノにくわしくないので、そちらには触れません。

・藤井さんの声

藤井さんはかなり高音まで出せるようですが、基本的にはわりと一般的な男性の音域で歌っています。男の色気を感じる声です。

正直いって、最近の男性歌手はみんな声が高すぎて、あまり馴染めないと思っています。そりゃハイトーンボイスのほうが耳には刺さりますが、私も若くはないので、刺さることが必ずしもよいとは思えなくなりました。藤井さんの声には自然な響きがあって、耳と心にすっと入ってきます。

個人的見解ですが、郷ひろみさんに似た響きがあるように思います。
私の意見では、郷さんは唯一無二の男性ボーカリストなのです。だって、一瞬耳にしただけで、「あ、郷ひろみだ」とわかる歌手なんて、そんなにいないですよ。
ただ最近の郷さんは、全力投球のし過ぎというか、声を張り上げすぎではないのかと感じます。声を張ると、柔軟性やメリハリが犠牲になります。

藤井さんの声は郷さんよりも、じゃっかん息もれがありますね。そのせいか、柔らかさがあります。唱法としても、ファルセットを多用していて、郷さんのようにぐいぐい押してくる感じは少ない。
⑧「死ぬのがいいわ」は低音でささやくように歌うパートと、オクターブ上がって声を張り上げるパートがあります。まさに藤井さんの真骨頂で、このメリハリがたまりません。

80年代って、玉置浩二さんや藤井フミヤさん、尾崎豊さんなど、声の高さはふつうだけど、すごくいい声をした歌手がたくさんいましたよね。藤井風さんは歌手としてそちらの系譜であろうと私はにらんでいます。
私のような中高年を惹きつけるのは、そこに理由があるのかも。

・メロディの良さ

アルバムを聴いた方ならお分かりのとおり、「HELP EVER HURT NEVER」には捨て曲がありません。弱さを感じるところがない。

ぱくゆうさんは、先に挙げたアルバム評のなかで、「藤井さんが即興的につくった曲の断片をつなぎ合わせて、プロデューサーの Yaffle さんがずいぶん頑張って作り上げた」と言っていましたが、私は全然そんなふうには感じませんでした。どの曲も断片的な印象はなく、曲としてのトータリティがあると感じます。
むしろどうしてぱくゆうさんがそう考えたのか、理由を知りたいです。

自分でも歌謡曲っぽい曲を作ったりするから分かるつもりですが、藤井さんの曲はもっと多彩で、R & B 風、ジャズ風、歌謡曲風、ポピュラー風、などなど、ちゃんと狙ったところに寄せて作っている。しかも、どれも水準をはるかに超えたレベルで完成しています。1曲1曲が世界観を持っている。

そして、それを支えているのが卓越したメロディ・センスです。
①「何なんw」、③「優しさ」、⑩「さよならべいべ」などはものすごくキャッチーなメロディラインを持っています。
⑦「特にない」、⑨「風よ」はジャズソングっぽいメロディラインですね。とりわけ力をぬいて、自然体で歌うことに気をつけているようです。
⑤「罪の香り」、⑪「帰ろう」はAメロ、Bメロ、サビというJポップに多い三部構成を持つ曲で、とりわけ私たちの耳になじみやすい。
⑥「調子のっちゃって」、⑩「さよならべいべ」は、洋楽に多いAメロにサビ、ブリッジがあって次にサビ、という構成。

どの曲もメロディが耳について離れがたい良さがあります。が、よくよく聴いていくと、細かい計算も見えて、驚きも感じます。
たとえば、⑥「調子のっちゃって」。大好きな曲なのですが、とりわけ最高なのが決め台詞の「調、子、のっ、ちゃっ、て」のところ。ここのメロディは、最初に出てくる
「行き違って 行き違って 調子のっちゃって」の発展形として聞くことができます。
最初の「調子のっちゃって」は、突き放す感じのさらっとしたメロディラインです。
ところが、サビの「調、子、のっ、ちゃっ、て」は似たメロディながら、テンポを引き延ばし、より感情をこめて、憐れみを感じさせるような雰囲気(「憫笑」の雰囲気?)にアレンジされている。

本人は深く考えず自然にやっているのかもしれませんが、聴く側としては、発見がいろいろあって飽きません。

・歌詞(メッセージ)のすばらしさ

先にふれたぱくゆうさんは、藤井さんのメッセージ性には特にふれませんでした。プロデュースの話ばかりでした。藤井さんの話より、(プロデューサーの)Yaffle さんの話をしたいのかなーと思ったぐらい。音楽のプロって、そういう聴き方をするのかもしれません。それはそれで大切なのでしょう。
でも、一般の音楽ファンにとっては、曲のメッセージは重要です。

「帰ろう」のPVに対するコメント欄をみれば、この曲のメッセージがどれだけ人の心を動かしたかがわかります。歌詞の一部をあげてみましょう。(本当は全部あげたいぐらいですが)

それじゃ それじゃ またね
国道沿い前で別れ
続く町の喧騒 後目に一人行く
ください ください ばっかで
何も あげられなかったね
生きてきた 意味なんか 分からないまま

ああ 全て与えて帰ろう
ああ 何も持たずに帰ろう
与えれらるものこそ 与えられたもの
ありがとう、って胸をはろう
待ってるからさ、もう帰ろう
幸せ絶えぬ場所、帰ろう
去り際の時に 何が持っていけるの
一つ一つ 荷物 手放そう

日本古来の死生観、ともいえますが、もっと世界に通じる普遍的なものでしょう。
自分と周囲の人を愛することができたら、「生きる」ということがどういうことなのか、なんとなく分かってきます。何も持っていなかった自分が、ひとから与えてもらって、なんとか生き延びる。そして自分もいつかまた、もらったものを返さなければならない。むしろ、返すことに喜びをおぼえるようになる。そうすると、「死ぬ」ということが「生きる」ことの延長線上に、自然にあるものだということが受け入れられるようになる。

そういうことを歌っているように、私には思われます。

会田綱雄という詩人(故人)に、「伝説」という詩があります。むかし国語の教科書にも載っていたので、ご存じのかたも多いでしょう。こんな詩です(後半部を紹介します)。

わたくしたちはやがてまた
わたくしたちのちちははのように
痩せほそったちいさなからだを
かるく
かるく
湖にすてにゆくだろう
そしてわたくしたちのぬけがらを
蟹はあとかたもなく食いつくすだろう
むかし
わたくしたちのちちははのぬけがらを
あとかたもなく食いつくしたように

それはわたくしたちのねがいである

こどもたちが寝いると
わたくしたちは小屋をぬけだし
湖に舟をうかべる
湖の上はうすらあかるく
わたくしたちはふるえながら
やさしく
くるしく
むつびあう

会田綱雄はやはり同じテーマで「帰郷」というすばらしい詩を書いています。こちらはとりわけ「帰ろう」に通じる点があるので、全編紹介します。

ぼくはやっとかえってきた
あれはてたふるさとに
かえってきた
焼けうせたぼくの家のあたりには
麦がのびてる
その麦は
灰をたべたのだ
そこにさいごのうんこをして
ぬけがらみたいに
ぼくはたおれた
ぼろ靴は
犬がくわえていくだろう
ぼくは
ぼろぼろにくずれていくだろう
麦は
こんどはぼくをたべるだろう
みのった麦は
粉にひきたまえ

会田綱雄の詩にあって、藤井風さんの「帰ろう」にないものは、枯れた味わいというか、突き放したユーモアとでもいうべきものです(ただし藤井さんの他の曲の歌詞にはそれがあると思いますが)。もちろんそれは、優劣を意味しません。狙っているものが異なるというだけのことです。藤井さんのまっすぐなメッセージのほうがダイレクトに伝わる、と感じるひともたくさんいるはずです。

会田綱雄の詩は、宮澤賢治の詩に匹敵するような、日本語の宝といえると私は思っています。藤井さんの詩は、その詩とほぼ同質の深い死生観を表現することができている。つまり、メッセージのすばらしさはもちろん、言語表現としても卓越している。

藤井さんの言語感覚の繊細さを、例をあげて説明してみます。
先にあげた⑪「帰ろう」の歌詞のなかに、

与えられるものこそ 与えられたもの

という一節があります。これは、「られ」の意味の多義性を利用した表現です。ぎごちないパラフレーズをしてみるなら、

(私が人に)与えることができるものは、(もともと人に)与えられたもの

という意味です。「られ」には可能と受身の意味があるのですが、それを利用して簡潔で印象深いメッセージに仕立てています。

もう一例あげましょう。②「もうええわ」では、「もうええわ」というフレーズが何度も繰り返されますが、ことばは同じなのに、少しずつ意味が変わってきています。

もうええわ 言われる前に先に言わして

の「もうええわ」は、ご本人の英訳によると「 It's over now.(もうお終いよ)」の意味です。そして、

もうええわ やれるだけやって後は任して

の「もうええわ」は、「 That's enough.(もう十分よ)」の意味です。さらに、

もうええわ 自由になるわ

の「もうええわ」は、「 Alright then.(もう大丈夫よ)」の意味なのです。

この調子でぜんぶやると長くなるので、あとは藤井さんの英訳をご覧ください。すべての「もうええわ」に、微妙なニュアンスの違いがこめられていることがわかります。
言い方を変えれば、この歌は、「もうええわ」という言葉が持ち得るだけの、すべてのニュアンスを引き出しているのです。

・アルバムタイトルについて、ひとこと

拙文もいささか長くなりすぎたので、「もうええわ」状態かと思いますが、もう1点だけ。
アルバムのタイトルが、本当にすばらしい。というか、感動します。

「 HELP EVER HURT NEVER (常に助け、決して傷つけない)」

藤井さんの父君の教えと聞きましたが、なんと厳しい方でしょうか。このことばは、口にする者に覚悟を要求します。そんじょそこらのきれいごとではない。
私たちのうち、ほぼすべての者が「常には助けておらず、ややもすれば傷つけてしまう」という人生を送っているし、神ならぬ身として、それを受け入れざるを得ないとあきらめています。

上に書いた「あきらめ」をテーマにした曲を作りました。藤井さんの話とは何の関係もないのに挿入するなんて強引な話ですが、お許しください。もしよかったら聞いていただけたら、うれしいです。興味ない方はスルーしてください。

藤井さん自身も、もしかしたらうまく助けられず、意図しなくても傷つけてしまうことがあるかもしれません。いや、きっとあるでしょう。それでも、このメッセージをあえて口にし、ファーストアルバムのタイトルに冠している。このことは、音楽家としての覚悟を示したものと、私には受け取れます。

「自分の音楽は、常に人を助け、決して傷つけたりはしない」

ふりかえってみれば、新型コロナウイルス感染症の流行のために、社会はどれほど傷ついてしまったでしょうか。社会が傷ついたのなら、私たちの心も無傷ではいられません。

傷ついた動物はどうするのでしょうか。毛を逆立て、攻撃的に威嚇するか。隅にかくれて、傷をなめるか。そのどちらかになるのではないでしょうか。私たちもまた、例外ではないように思います。
過度に攻撃的になる人。過度に防衛的になる人。周囲はそんなひとたちばかり。

そんな世相のなか、藤井さんは表舞台に出てきた。自分も傷つきながら、
「こわがらなくてもええんやで。仲良くやりましょうや」
と世界中のひとびとに伝えるために。
そんなことを感じました。

・・・  ・・・  ・・・

むやみやたらとほめちぎってしまいました。
でも、私は藤井さんのファンではあるけれど、彼を神聖な存在としてあがめるつもりはありません。超絶才能あるけれど、それはそれとして、そばにいてくれたら嬉しい友人。むっちゃいいやつ。もちろん私は藤井さんとは知り合いじゃないのですが、きっとそんな人なんじゃないかと思っています。
これからも藤井さんのことを、応援していきたいと思います。

改めまして、第72回紅白歌合戦出場、おめでとうございます! 少なくとも2人の知人および家族に、「今年は藤井風さんってすごい人が、出るかもよ」と予言していたので、ちょっとホッとしました(笑)。

ずいぶん長い文章になってしまいましたが、私の思いのたけをつづりました。読んでいただき、ありがとうございました!




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