おにいちゃんとぶーちゃん

たーにんぐぽいんと

わたしは無邪気な自分が嫌いだった
そんなわたしは「子どもだな…」っていう、おおよそ子どもが子どもらしいとされる行動のすべてを兼ね備えていたように思う。でも、そんな自分が「まわりに置いていかれている」ようで、とにかく自分じゃない誰かになりたかった。時間が経てばなれる、と思っていた時期もあった。女優でもないのに
だから昔から妄想が激しかったのかもしれない。昔からよく、自分じゃないだれかを妄想しては空想に耽り、自分の世界で遊んだ。それが高じて小説を書いているのだけれど

わたしの子ども時代はとても明るく無邪気で、なにも疑わないまさに無敵なやんちゃ娘…要は、難しいことを考えず思うことを思うままに過ごしていたということ。今考えると、無知だったなと思う
そんな「無邪気」を身に纏った子どもに成長したのには家庭環境も大きく影響していると思われる。わたしは長男長女の両親の間に生まれた長子で、両家にとっても初孫だったということ
幼い頃の人間関係は「子ども同士」というより「大人の中の子ども」であったことが一番影響していると思っている

元気はつらつないたずらっこちゃんは、それはそれは口達者で自由奔放に育ちました。とはいえ我が家は決して裕福なわけでなく「なんでも思い通り」だとか「なんでも手に入る」という環境にあるわけではなかった。ただ、気持ちだけが自由だった…ということ

そんなわたしも小学校の中学年になり「無邪気」だけではまわりと折り合いがつかなくなってきたころ、心の奥がざわついた・・・・
それまでのわたしは、どんなに遠く離れていても友だちをみつけると大きな声で名前を呼び駆け寄っていった。けれど、それをするのはいつもわたしだけで、わたしの方がそれをされることはなかった。そこで余計なことを考えてしまったわたしは、たまにはむこうから声を掛けてくれるのではないか…と淡い期待を抱いた。と同時、友だちは本当は迷惑なのかな?とも考えた。だから、もし自分が名前を呼ばなかったらどうなるのかと試してみようと思ってしまった。友だちはきっと同じようにわたしを見つけ、名前を呼んで駆け寄ってきてくれるものと疑わなかった。でも

結果は…そうではなかった

翌日「昨日~にいたよね」と友だちにいうと、友達は「気づいていた」と返した。「どうして声を掛けてくれなかったのか」と尋ねますと「たゆちゃんが来ると思ったから」と言われた。そりゃそうだよね、だっていつもそうしていたから
でもね、たまにはわたしも声を掛けてほしかったんだよ。そういえばよかった。だけどわたしが声を掛けなければ、わたしが友達に声を掛けてもらえることはないだなんて思いもしなかった。というか、別にどうってことのないことだったのに、当時のわたしは「実は自分は嫌われているのではないか」と直訳した。そうなると次の行動は…当然、

声を掛けられなくなる

この時からわたしの「無邪気」の鎧は薄っぺらになっていく・・・・
心の成長が伴わなかったのだろうか? ただの「無邪気」では済まされない、まわりとの微妙なずれを感じた
当時、そう忘れもしない小学校4年生のわたしは、無邪気で奔放すぎることから担任の先生に嫌われていた。今考えると、方角が悪かったのではないかと思う。そう思いたい

当時わたしが通っていた小学校はひと学年で6クラス、教室には実に45人前後の生徒がすし詰め状態で教室が足りずに、高学年はプレハブ教室だったと記憶している。小さい町にはジャンボな生徒数…結果新しい学校を建設し分散することになった。そしてわたしの住んでいる地域はその分散の対象となり、なにもかも新しいところへ移ることになった。でもきっと、その方角がわたしにとっての凶方位だったのではないかと思うのです。いや、そう思いたい
新しい学校には、知らないひとこそいなかったけれど、それこそ新しい先生がたくさんやって来た。なにがいちばんって、若い先生が少なかった。運悪くわたしの担任の先生は、もう引退してもよさそうなおばあちゃん先生だった。おばあちゃん先生は賢い子や聞き分けのいい子は好きだけど、ガキ大将と言われるような男の子やわたしのような自由奔放で中途半端に言うことを聞かない子は当然のように嫌いだった。そう、子ども心に気が付けるほどわたしはおばあちゃん先生に嫌われていた

おそらくこれが一番の打撃・・・

お友達に嫌われるのはまだわかる。おそらくなにかやらかしたり、調子に乗って行きすぎたりしたからだ。でも「先生」とか「大人」に嫌われるって、それをあからさまにされるのって、謝ってすむものでもない

突然、学校が居心地の悪いところになった。当然やる気もなくなった
自分を嫌っている人の話なんか耳に入ってこないし、当然のように困らせたい。まぁここが子どもなんだろうけど、なにかしないといられなかった
まわりの同級生たちも急に大人になったような気がした。恋をする女の子、口数が減った男の子、隠し事をするようになった女友だち、急によそよそしく苗字で呼ぶようになった男友だち、なにがなんだか解らずにそんな環境についていけなくなった。どんどん「わたし」がいなくなっていった。新しい学校が全部悪いと思った。なにかのせいにしないと自分を保てなかった。自分だけ違う次元に迷い込んだような気にさえなった。妄想が現実を食べたのだ…と思いたかった。そっちが現実ならよかった。けど、妄想なんてわたしの頭の中の逃げの産物「無邪気」は滑稽に早変わり、急に自分が「バカ」になったような気がした。いつまでも「無邪気」なままではいられないのだと知った。でももう「バカ」でもいいやと思った

わたしのまわりに見えない壁ができた

そこからは妙な転落人生を味わった気分だった。それが損だとか、その先の未来のことなんか考える余裕なんてない。ふさぎ込むには充分だった
それは小中学校の卒業アルバムを見ると一目瞭然。小学校の卒業アルバムのわたしは、3年生で笑顔が止まってる。その先は黒く塗りつぶしてあるからよく見えないけれど、もちろん笑顔ではないし、なんだか申し訳なさそうな顔をしているものが多い。病み気、または闇期、そこから先はあまりいい思い出がない。とはいえ毎日朝はやってくるわけで、それなりにどん欲にやり過ごした。なにせ沈黙に耐えられないわたしは「怒り」を持続させることが出来なかった。わたしにとって「怒り」は孤独でしかないからだ。よって端々で、重要なところにはちらちら存在していた。我ながらちゃっかりしていると思う(⇐ きっと、こういうところがムカつくポイントなんだろうな)

あの日、あの時、声を掛けることをためらわなければよかったのか…それは今更な話だけれど、でもどこかでそういう「成長の過程」のようなアクションが必要だったのは確かだ。ただわたしは捉え方を間違った。やり方を間違ったと言った方がいいのかもしれない。よい方向に転換できなかった。どうすればよい方向に向いたのかすら解らないけれど、自分で自分を閉じ込める結果を招いた。それからしばらく「最悪」は続いた。多分、高校1年の夏休みぐらいまで

高校も楽しくなかった。15クラスもあるのに、同じ中学の出身は11人。その中に仲良しは1人だけ…幼馴染のあのコだけ(それも今となってはただの「腐れ縁」だと言われてしまうかもしれない)。だけどクラスは違う。彼女と仲が悪くなったら学校にも行けない。なぜなら電車にひとりで乗ることが出来なかったからだ。近所のスーパーにもひとりで出かけられなくなっていたわたしが電車に乗ること自体無理があったのだ。それほどまでにわたしの「羞恥心」は膨らんでいた。そこから短大まで5年もよく通ったと思う。でも、卒業するころには友達が増えた。相変わらずひとりで電車には乗れなかったけれど、一緒に電車に乗ってくれる友達は増えた。わたしはそれなりに「したたか」を身につけた

「無邪気」は罪だ。少なくとも、わたしには「無邪気」という薄っぺらい鎧ではなく濃厚な「経験」が必要だった。それはおそらく同年代、同級生と比べても同じ時間内での成果ではなかったと思う。高校の担任に「もっと大人になりなさい」と言われ、それがどういう意味なのか理解できるまでにもそこから10年以上「無邪気」をひきづったままだった
体ばかり大人になっても頭の中は「無邪気」なままだった。きっとわたしはとても「平和」なところにいたのだろう。それはある意味「安全」で「しあわせ」なことだったのかもしれないけれど、あまりに狭い世界だった

教えてあげられるのなら、あの頃に戻って声を掛けてあげたい。だけどきっと、わたしにはここまでの「時間」が必要だった。自分で経験しなければ得られないこの「時間」がわたしには必要だったんだろうと思う。それも「今」があるから言えることだけれど
今なら解る。「個人差」とか「自分らしさ」とか「マイペース」…でも、それに直面している時は見えない。周りと同じでないと不安だったあの頃には見えなかった。だれの言葉も響いてこなかった。ぴったりした言葉がなかった。「今」なら説明してあげられるのに…
それでも、わたしがたった今直面していることは、やっぱり見えていないのかもしれない。もう少し先の時間のわたしが「今」を理解することなのかもしれない。人生ってむずかしい







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