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そんりとたゆの交換日記|8月第3週目の日記

13日の夕刻、娘を迎えに駅に向かっておりますと、どこからともなくお線香のかおりが鼻をかすめてまいりまして・・・・そう言えばいつもより歩行者が多いな…なんて思って側道に目をやりますと、玄関先で「迎え火」を焚いているお宅がそこかしこにΣ(・ω・ノ)ノ!{へえ…
田舎であるわたしの実家の方でもあまり見かけない光景になんだか感動してしまいました。いや、本当はすべきなのでしょうが、我が家の方では迎え火を焚く時間帯(13日の夕方)にお墓参りをするのでおそらく省略しているのかと思われます。今はちゃんとそれ用のセットみたいのが売ってるんですかね? どこのお宅も同じ飾がされているものが並べられていて、お線香片手にご近所を回る住人が行き来しておりました

やっぱりお盆は忙しいのですね。そんりさんのおうちは集まるおうち? うちは分家だったので、午前中少しのお客様を相手したら母親の実家の方へ家族で出掛けて行きました。母親の実家は貧しいながらも一応本家だったので、たくさんの人が集まり、毎晩部屋中にたくさんのお布団を敷くんです。わたしたちいちばん近い身内は、一番奥のトイレに通じる部屋でした

↑ ↑ ↑ こちらの話はフィクションではありますが、だいたいこんな感じの内装だったと思っていただければ想像に難くないかと思われます
わたしの母の実家にも遺影はたくさんあったけれど、写真ではなく手書きだったからそんなに怖くもなかった。それどころか遺影の隣に飾られた家族写真の中には初孫であるわたしだけが生まれて間もない姿ではありましたが、しっかりと額に収められている。天狗になるのも仕方がない (-。-)y-゜゜゜


さて、そんりさんはカラーリングなさらないのですね。でもそれもそれでやっぱり、そんりさんのカッコよさに繋がっているような気がします!
わたし、Babyの頃、ハゲだったんです。キューピーちゃんと呼ばれておりました。とにかくポヤポヤの頭で、その薄毛が黒くもなかったもので・・・・大人になって生えてきた髪は黒かったのですが色素が薄いというか、栗毛…とまではいわないまでも、日本人特有の黒髪ではなく、しかも幼児期のポヤポヤが、大人になるにつれメッシュのように出てきてしまって、中学時代はそれで先輩に目をつけられることもありました。見た目ヤンキーの「ヤ」の字も感じさせないわたしが、くせ毛と赤毛で突かれるとはねΣ(゚Д゚)

そんなことがあり、成人してからはそのメッシュの部分に合わせてカラーリングしていた…というわけです。しかも! 20代後半くらいでしょうか…そのもともとの地毛の薄い部分から白髪が始まり、関口宏氏なみに本気のメッシュになってしまいそうな勢いもあったので、均一化を図るためにも染めてない時はなかったのです(;^_^A
そんりさんの気になるプリンですが、自分の髪色に合わせて極端な濃淡をつけなければ、なんとなく解消できるもので、それでわたしは赤系を好んで使っているというわけでした。今は相当な色遣いを試みていますけどね

今週のそんりさんの日記はこちら ↓ ↓ ↓

「無名人インタビュー」は早い段階でだいぶ気になっていて、最初の頃は申し込みの仕方が解らずにそのままにしていたのですが、なんとなくまた機会が巡って・・・・そしたらそんりさんもやってることを知り、あ~もしかしたら声を掛けていたら、そんりさんにやってもらえたのかしら…でもまぁ、こうしてたくさんお話(?)できているしね。結果オーライ('ω')ノ

今週の出来事

そんりさんはなにかと話題に事欠かないようですね
ドリサカ研究所』なんだか秘密基地のようなわくわく感が否めません。今後の動向に注目したいと思います!

わたしはといえば、相変わらずなにもありませーん
娘の休みに合わせてドッグランにいったくらい (*^^)v

娘も息子も、どちらの職場も夏休みがないみたいなんだよね~。この時期なのに…とも思うけれど、サービス業ってそういう感じ? あとからやってくるって様子も、今のところ感じられないんだけれど、それっていいの?

・・・・な~んて疑問を残しつつ、なにもないのもさみしいので、ちょっと夏休みというか、お盆の思い出話なんかを語ってみようかと思います

東北の夏休みは、暖かい地域と違って8月いっぱいではありません。25日くらいには新学期が始まっていたかと思います。7月下旬に通知表を貰って夏休みに入ると、ラジオ体操をきちんと済ませてからバタバタと家族行事をこなす感じでした。田舎だったから、みんなが出掛けるお盆の頃は、親戚付き合いで出掛けたり迎えたりと家を空けられなかったし、お盆の前に海に行かないとクラゲが出てしまうから…でした

今のラジオ体操は、7月中だけなんだってね。一週間だけ早起きすればいいの?・・・・ってなるよね。それともラジオ体操することもなくなったの?

8月に入ると、毎日が途端に忙しく、駆け足で過ぎていくようでした。お盆が過ぎればもう学校…というイメージがありましたから、本来ならばお盆の前までに宿題を終えていなければなりません。ですが、わたしはそれほど勤勉ではなかったので、学校が始まってから提出日に合わせて片付ける…という感じでした (;^_^A
今ほど宿題は多くなかったかもしれないけれど、自主的に制作する工作やら図画やらにはまったく手を出さず、いつも体育館に並べられた作品を眺めながら「来年はやってみようかな~」って思うばかりで、明日やろうはバカやろうな小学生時代でした。ホント、無気力だった

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そんな夏休みの思い出というと、やはり盆踊りでしょうか。子どもの頃は「盆踊り」っていえてなくて、いつも「ぼんどり」って言ってました。これも略と言えるかどうか(*´ω`*)  
盆の入りには町の踊り流し、お墓参りを済ませれば…あっちの神社、こっちの空き地、あるいは工場や小学校のグラウンドと、あちこちに櫓が上がり提灯が並ぶ・・・・

ほいや~…ぁぁ はぁ、よぉ、ほいや~っとぉ・・・・
やっしょど、やっしょど…
盆が来たどって、やれ~やぁ、雪駄(せきだ)買ってもらったよ~
はぁ、やっしょやっしょ、や~っしょど・・・・

盆歌は、だいたいおばあちゃん?が歌ってましたかねぇ。マイクで歌うのはまだいい方で、櫓に上がって歌う人は柱にまたがってメガホン片手に叫ぶって感じで…( *´艸`) 小学校みたいな大きな会場だとカセットテープに録音した盆歌をスピーカーで流しているところもありました。今は…? さすがにCDにはなってないよねぇ? 口伝だものね

子どもの頃はあの櫓がものすごく高い位置に感じましたし、わざわざ揺らすなんて壊れちまうんじゃないかと、上がってみたいような怖いような…でも近づけない。それに船と一緒で、女の子は乗ってはいけないとかなんとか…面倒臭いこともありましたっけね。今でこそ、女の人も太鼓を叩き(演奏し)ますし、櫓も木造のはめ込みではなく、型枠大工が使うようなパイプ式だったりしますから、それも時代の風情ってやつですかねぇ

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わたしは出店では水ヨーヨーが必須でした! いつも「ひとつだけ」といわれていたので、水ヨーヨーとお面で悩みましたが、結局ヨーヨーでした。子どもの頃子はそれに合わせて毎年ね、その年の好きなカラーを選ぶのですが、黒だったり白だったり、なんだかひねくれた色を選んでたように記憶しております
金魚すくいは、持って帰ってもだいたい死んでしまうので、翌日のお墓づくりが苦でやらなくなりました

だいたい盆踊りは終わりが21~22時頃だったのですが、20時を過ぎると仮装した人たちが紛れてくるんです。3日3晩踊って最終日に入賞者が選出されて、櫓の上から名前を呼ばれる。わたしの印象に残っているのは、ひょっとこのお面をかぶってくねくね踊るひとと、ピンクレディーの格好をしたおじさんふたり! 母親はどこのだれか知っていたけれど、わたしはだれか解らないからただひげとすね毛が怖かった

そんりさんは、なにか夏の思い出ありますか?
コロナワクチン2回目、いろいろ聞いてますが、何事もなく済みますように


今週はこんな感じで~す(^^)/



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