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『僕たちの嘘と真実 Documentary of 欅坂46』を観終わって 【Part1:初見で感じた事】


公開から一週間後の9月12日土曜日の朝、雨が降る中1人で欅映画を観に行った。コロナ禍にエンタメ施設に行くのも初めてであり、映画館に行くこと自体も5年以上ぶりであった。
この映画を観て、個人的に圧倒された事、感動させられた事、反省した事、疑問に思った事、満足しきれてない事などを織り交ぜて最終的に「欅坂46」について話して行こうと思う。ここから先はあくまでも個人的見解なので、温かい目で読んで欲しい。

なぜ現メンバー28人のインタビューが無い?

これは映画の構成に対してであり、もちろん欅坂46のメンバーに対してでは無い。本作品で「選抜」のようなインタビュー方式が取られたのには不満が残ったのは確かだ。カメラの前で語ったのは、一期生から7名、二期生から3名、さらに新二期生からは0名。さらに卒業メンバーに触れる事はほぼ無かった。自分を含めメンバー全員から当時の気持ちを本人たちの口から聞けるのを期待していたファンにとっては、物足りなさがあったのではないか。
時間軸を語る上で過去のライブ映像などを挟んだ本作品は素晴らしいと思った。班に分かれてCD販売店へ営業回りをしたデビュー時から、有明、アニラ、そして東京ドームの裏舞台を観せてもらえたのは光栄であり脳裏に残るものだった。直近では無観客ライブの誰鐘を違うアングルから再び観れたのは非常に嬉しかった。
しかし7月に行われた欅坂46スペシャルインタビュー特番の「欅坂46 season's 28の欠片」では、少なくとも本作品よりもインタビューを受けているメンバーが多かったはずだ。欅の木をバックにしながら、メンバーが他の子について話している姿、さらにアカペラの二人セゾンは新鮮であり微笑ましいものだった。一方で、主旨や予算、時間などの諸事情や制約があったのかもしれないが、一握りのメンバーの「真実」しか語られなかったかのように思ったのが、本作品鑑賞後の正直な感想だ。
"ドキュメンタリー"の個人的な定義の問題かもしれないが、最初で最後の欅坂としての映画でもあり、せめて数秒でも良いから全メンバーが話している姿を観たかった。

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劇中で見えた平手と欅坂の関係

終盤、ユイポンが「平手の脱退についてどう思うか」の問いに対して他のメンバーが感じた事とは少し自分は違うかもしれないとの回答をしてたのが、印象的でもあり自分も同じような思いだった。彼女の口から平手への労いのような言葉すら口にしてなかったのではないかと感じる(実際にはあったかもしれない)。仮に自分がメンバーの一人であった時、彼女の脱退を快く受け入れらなかったのではないかと思った。それは後述する様々な出来事を見た上での感想だ。
大前提として、平手友梨奈という人間は天才的で絶対的エースであったのは間違いない。彼女の潜在的に持っている表現力や歌唱力のおかげで、欅坂は上ってきた。劇中のセカアイのMVリップシーン、素人目に見ても圧巻の表現力だと感じた。不協和音やガラ割れについては表題通りの雰囲気を醸し出していた。「人格が変わる」とゆっかーは話していたが、それも才能であり平手には今後の人生で存分に活かして欲しい。

センター途中離脱という不測の事態
2017年夏のアリーナツアーで平手は途中離脱をした。それは欅坂にとって初めて、センターがいない状態で公に出る事を意味した。その後の公演では平手無しの状態で行われ、違和感だらけのエキセントリック、その場しのぎの二人セゾンなど、曲を"未完成"のまま進行することを含め、メンバー達にとってはトラウマレベルのライブになってしまった。観客の落胆の表情やため息がメンバー達に伝わっていたことも赤裸々に語られていた。
逆に、平手依存の"副作用"を体験する良い機会になったのは間違いない。フーチャンッが話していた通り、何とかファンを楽しませようと精一杯努力するメンバーもいた一方で、平手不在でやる気を失っていたメンバーもいた。想定外の事が起きた時の対処など、各メンバーが考えるきっかけにもなったと思う。
今になって疑問に思うのは、このアクシデントをきっかけになぜ運営は平手無しの楽曲を作ろうとしなかったのか。彼女の事を信頼していた部分もあったと思うが、既にこの頃から平手を特別扱いし始めたのは確かだったと思う。

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「グループから離れたい」
2017年の紅白の後、メンバーの前で自分の気持ちを正直に漏らしていた当時16歳の決断には非常に感心した。自身の力不足だけでなく「自分が目立ちすぎている」という周りへの配慮を含んでおり、筋が通っていた。あのシーンが無ければ、自分は今でも「突然の脱退発表で混乱を招いたエース」の印象を持っていたと思う。スタッフの口からではなく、自分からその旨をメンバーに伝えられたのは、彼女らを信用し思いやりのある心の持ち主だったからだと思う。
だが、デビューから2年ほどの欅坂にとって、その”告白”は、見えないプレッシャーとして残ってしまったのではないかと思う。その場では何とか引き留める事に成功したが、「辞めたいという思いを平手は持っている」という事実が脳裏にあると、平手への"譲歩"を含めた行動をとらなければいけないと誰しも考えてしまう。極論ではあるが、この一言が今の欅坂の現状を招いた火種になったのではと感じる部分もある。

2018年4月の『2nd YEAR ANNIVERSARY LIVE』
平手と志田が欠席したこのライブツアー、個人的には観に行きたい。劇中で観た限り、さらに最近の無観客ライブを観た限りでは、平手不在でもしっかり完成していた。むしろ一人ひとりのメンバーが自分の得意な部分、才能を前面に出していて、これぞグループのライブという風に感じた。

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ライブ中に起きたステージ落下
2018年9月5日、幕張での全国アリーナツアー最終ライブ序盤の「ガラスを割れ!」で、終盤にアドリブでセンターステージから会場真ん中に向けて走り出した平手が映し出された。自分たちのダンスをしながらもその背中を見つめるメンバー達。曲が終わり暗転し、MC時間になる直前、平手は数歩前進したのち崩れ落ちるようにステージ下に落下した。客席も困惑、イヤモニから平常進行するように指示を受けたメンバー達の様子が映った。タカヒロ先生もその時はケガをする可能性があるとの事で怒ったらしいが、個人的にはメンバーに迷惑をかける行動をとった事についても触れて欲しかった。
作品への思い、彼女なりの解釈がありそれを行動に移すのは良い事だ。アーティストとしての使命を全うしようとしたのは素晴らしいことだ。だが、現場の人間たちに知らせず、勝手にアドリブを挟み事故を起こしたことは個人的に評価できない。

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ソロアーティストならまだ許される。主人公の事故によりライブ中断があっても、その後復帰して観客もその不安をなで下ろすことが出来る。その他の演者やバックダンサー等は、予めファンから注目されない事は知っている。ステージから一旦退けば済む話になる。
一方で欅坂はグループアーティストだ。センターであっても、メンバーの一人であり、全員が主人公である。相手の都合で甲乙つけられるテレビ出演やメディア出演時とは違い、ライブでは全メンバーに光が当たる。実際、平手があのアドリブを挟むまでは、一点に全員が集まっていることにより眩しく明るい光が当たっていた。それが本来のグループアーティストの理想像だとも個人的には思っている。
だが、平手のとった行動により、他のメンバーを照らす光が一瞬にして影となった。ゆっかー含め、多くのメンバーが場を和まそうと喋っていたが、平手への心配に包まれた観客には届いていなかった。
若さ故の行動だったのかもしれないが、盲目的な行動でもあり、その結果メンバー達と平手との間に「溝」ではなく「壁」が生まれ始めたのではないか。もはやメンバー達は、平手が何を思っているのか、どんな表情をしているのか、それすら分からなくなっていた気がする。

黒い羊MVの撮影で見えた厚く高い壁
おそらく多くが気になったのは、黒い羊MVの撮影終了後にうずくまる平手よりも、遠くから佇んで彼女やメンバー達を見ていた鈴本だろう。彼女の性格的な一面もあるかもしれないので、あくまでも個人的見解ではあるが、もはや見通せないほどの高い「壁」が平手と鈴本含めた多くのメンバーとの間に生まれていたのではと感じた。
駆け寄ったメンバー達が平手を囲んで慰めていた事も違和感に感じる。健康面を心配してスタッフを呼ぶメンバーもいなかった。
なぜカットの声がかかっても平手はうずくまっていた?それは確かな疑問でもある。疲労困憊していても顔を上げてメンバー達を安心させる事も出来なかったのか。かまってちゃんに見えても仕方がない。それに鈴本は呆れたのではないか?
あの時、絆というものは皆無だった。

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9thシングル、殺された10プ
選抜制度についての議論はしない。先輩乃木坂の方でも行われていた事であり、人数が多くなれば仕方ない事でもあるからだ。メンバー達は知らされずに落選した者もいたがそれは実力と努力の差であるから、残念と言うしかない。
しかし、9thシングルが「崖から総崩れ」で落ちる最大要因となったのではないかと思う。前述した通り、選考でメンバー同士の差は明瞭化したが、それはいずれ通る道であり、それで分解するグループはそもそも芸能界で残れない。ならば何が原因か。もっと言うと誰のせいか。

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MVの撮影は順調にスタートし、初めての二期生との楽曲でもあり一期生の表情も明るかった。新しい雰囲気の曲で、太陽の下での撮影は久しぶりだと佐藤も言っていた。しかし、海辺での撮影時のメンバー達に対する運営の扱いは酷かった。平手が来ないことを彼女たちには隠しながら撮影をさせた事。運営はあの子達を信用すらしていなかった。
そして、平手不在の場でシングル発売延期を伝えられた。理由は平手が曲の雰囲気や世界観が自分に合わないと言って参加したくないから。つまり平手の「ご意向」で10プは死んだ。他のメンバー達の頑張りには運営は見向きをせずに10プは殺された。二期生にとって初の欅坂としての曲であったのに、目の前で握り潰された。あの時映った菅井の表情、見るに堪えないものだった。

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(9月14日レコメンでの初解禁を聴いて)確かに「10月のプールに飛び込んだ」は前作の「黒い羊」とは色も方向性も正反対の作品であるが、二期生が入ってきたことで新しい風を吹かせるという意味で丁度良い曲だったと感じた。暗い曲続きだった欅に明るさを持ってくるという意味でも。「自分はどうせ除け者だ、仲間外れだ」と後ろ向きになった人間から心機一転、「周りから変に思われても自分らしく生きていく」と前向きにになった。その思考の変化を描いた10プには、欅らしさがしっかり残っている。

そして脱退
平手にとって、最後の欅坂としての表舞台となった2019年紅白歌合戦。不協和音は圧巻の一言だった。反響し悲鳴のようにも聞こえた「僕は嫌だ」、あれは鳥肌モノであった。あれをリアルタイムで観れた事は素直に嬉しかった。曲の終わりでホニョが平手の頭をポンポンした意味。直後に脱退宣言をしたのを考えると、あれは様々な感情が混ざったものだったのではないか。

運営は最後まで平手に甘く、平手に甘え、平手しか見ていなかった。
平手の才能に頼り、他のメンバー達をサポート役の様に扱った。東京ドーム公演の「角を曲がる」で嫌がる平手を半ば強制的に表に出したのは、これの象徴であった。
平手の孤立は本作品のカメラマンでさえ気づいていた。だから独りの平手の後ろ姿を5年に渡って撮っていた。他のメンバーを追っている姿すらなかった。ツアー練習や楽曲撮影でも平手の事情を優先させ、残ったメンバーたちには黙々と仕事をさせる。果たして、彼女たちを運営は褒めた事さえあるのか?悩んでいるメンバーがいると考えたことはあるのか?このような疑問が生まれるほど、平手とメンバー達の扱いの差は歴然だった。

改めて考える欅坂の今後

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新型コロナウイルスも追い打ちをかけた形になったが、「欅坂46活動休止、改名」はいくらオブラートに包んでも、不甲斐ない「負け」の結果だと思う。それに関しては運営、メンバー、ファン全員が招いた事態でもあり責任があると思う。今後、何事も無かったかの様に振る舞うのはおかしいと思う。
プロデューサー、運営会社の種花を含めた大人たちは、グループの船頭役として責任を果たせていたのか、現在進行形で疑問に思う。サイレントマジョリティー大ヒットでデビュー直後から注目とプレッシャーを受ける事になったグループを、運営が混乱させたと感じた。20歳にも満たないメンバーもいる「子どもたち」をただ放置し、彼女たちなりに成長するため一歩踏み出したところで介入し、阻害していた。菅井自身の口から、「自分はキャプテンに向いていないのではないか」とも言わせてしまった運営。改名以降も同じ大人たちが彼女たちをを扱うのであれば、また空中分解することになる。
平手を含めた一期生たちにも責任はある。平手にはもっと明るく振舞って欲しかった。一人が暗いことで周りからは調和性のない、仲の悪いグループとして見られてしまう。テレビで1人不機嫌そうに下を向いていたのは、いくら気持ちを入れていたとしても、傍から見れば単にやる気のない人間にしか見えない。それにより変な噂も出来上がってしまう。それ以外のメンバーたちも、主張をして欲しかった。10プ延期の時も、怒りの声を挙げて欲しかった。言われたことを単にやるだけではなく、もっと自分たちの意志を見せて欲しかった。
二期生に関しては、1番の被害者だ。あらゆる噂で汚され、曲も奪われ、同期の乃木坂4期生が番組を持つ中、唯一の活躍の機会であるけやかけでも、欅坂の1部として批判された。平手の脱退に関してもグループのせいにされた。それで改名宣告。好きで憧れてオーディションを受けて入った欅坂が、自分たちの加入により滅んだという自責の念に囚われないで欲しいのが、個人的な願いだ。
最後にファンの責任。劇中で彼女たちは平手が離脱してセンター不在で講演を行ったときの我々の残念な反応を庇うように話していたが、あれはファンとしてやってはいけない事だ。その後も「やはり平手」「平手ありき」という考えで彼女たちを見守っていた事は、つまり他の人間がセンターでは欅は完成しない、という屈辱的な目線を送っていたのではないか。
今後、欅坂と平手友梨奈の競演はドラマチックではあるが、少なくとも数年は避けるべきだと思う。同時に、てち呼びも個人的には控えたいと思っている。

将来の○○坂に思う事

今ではTwitterで「ホニョホニョ」と語尾につけて投稿する癖がついてしまったが、もちろん曲が好きになったから欅坂を推すようになった。僕戦、避雷針、誰鐘は曲調もメッセージ性も強く、表題曲よりも聴くほうだ。ハッピーで平和的な王道のアイドル曲を目指さず、現実的で攻撃的なグループ曲を目指したことは間違っていないと思う。改名発表後に解禁した2曲も、今までと違う雰囲気、世界観ではあったが欅坂としての背骨はしっかり残っていた。だからこそ、改名しても曲は変わらないという安心感はある。

世の中に語りかける誰鐘、自分に語り掛ける10プ、
それだけでもこの子たちは大丈夫だ。

下の誰鐘は、その気持ちを込めて作ってみました。

ホニョホニョ

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Reference:

https://www.youtube.com/watch?v=aK6oqtw3kRA

https://www.youtube.com/watch?v=1LhcFbgBHtU


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