消すかも

地元で成人式と、それに伴って(?)同窓会が催され、久しぶりに小中高時代の空気が戻ってきた感じがした。

結局対して交友関係も広くないので、特に同窓会マジックなどもなく、いつもの面々と居酒屋で2次会、謎に地元のホテルで3次会をして早朝に実家に帰るなどした。

同窓会で元恋人に会ったり成人式で恋人から花束をもらったり、なんかすごく「恋人関係」を意識する、もっと言えば「男性と女性」をすごく考えてしまうイベントにもなってしまった。わかりやすくドレスアップするしね。

わたしはその空気感がすごく苦手です。
今回は、思春期にずっと抱いてきた、誰にも言えなかった違和感をここに置いておこうと思います。


私は女性として生まれて、性自認も女性、いわゆるヘテロセクシュアルなのは納得しているし、ファッションもよく女性を参考にしています。

でも、わたしは人生で「女性としての役割」を
一切担うつもりはない、と決めています。

私はこの体と脳みそで生まれてきたからこの体に似合うよう着飾り、男性を好きになるだけで、
出産したいとは全く思いません。
だから結婚もあまり興味がないし、純日本的な感覚にも従うつもりはありません。

ずっと思ってたけど、恋愛を基準にしたものが多すぎる。

世帯の単位も家庭だし、
生涯独身で生きていくには支援制度が足りていないし、
「友達以上恋人未満」という言葉からわかるように、恋人の特別感をすごく重視していたり(クリスマスとかね)、
(なのに同性婚は承認されない、、)

そうすると女性って、「女性らしさ」を求められる機会が多いというか、愛嬌がどうのとか家庭的がどうのとか、、、

うーん、確かに生物学的な区別は男・女かもしれないけど、それ以外の魅力を生まれてから磨いているわけで、
なんか、そこが個性なんじゃないかなあ〜、その人の良さって、そこに出るんじゃないかな〜ってずっともやもやしていました。

だから「男性性・女性性」を意識させるイベントや空気を感じると、どうしても気持ち悪くなってしまいます。
それも大事なパーソナリティの一つなんだけど、そこ以外を知るべきなんじゃないかっていう驕りです。

私の生い立ちも関係していると思います。
幼い頃に父とは別居状態で、
恋愛から生まれた信頼関係を感じる場がありませんでした。
居候先の祖父母の家では、典型的な昭和の家庭で、女性が男性の身の回りをお世話する(ご飯をよそったり、片付けたり)雰囲気に、子供ながら不公平さを感じていました。


…こうやって環境に原因を探しているけど、
結局は私の中にある「女性性」に
気持ち悪さを感じていて、
それに価値を見出す人さえも気持ち悪く思うっていうことなんだと思います。
別に私以外の人の価値観をどうこうするのではなく、自分の信念的なものだから。

私には何人か男性の友達がいますが、その中でも一緒にいて心地が良いのは、
お互いの性別を意識せずに、相手の考え方とか生き方に面白さを感じたり、リスペクトを感じる空間を楽しめる時です。

ただ、難しいのは私がそういうところに惹かれてしまうこと、、
誰かを好きになっても女性らしさで落とそう(この言葉好きじゃない)としないから、相手に好意が伝わりにくいこと
そして、今のところこういう空間を楽しめるのは相手に恋愛感情がない時だけだとわかっています。
恋愛感情が生まれて、相手が「男性性・女性性」を空間に持ち込んだ時点で気持ち悪さに勝てなくなってしまいます。
それを上回る相手への思いが生まれることを期待するしか解決策なさそうです えーん

こう考えると、ますます私にとっての恋愛関係ってなんだろうと思ってしまいます。
正直A4用紙1枚分以上の思想がある時点で、いちいちそれを考えるのは疲れるし、ますます恋人関係への関心が薄れていく感じです。

(今回、「女性性」という言葉がたびたび出てきましたが、それ自体が性別の多様性から外れているような気持ちして、どうしようかなぁと思ったのですが、むしろその多様性がない感じと気持ち悪さがリンクしたので使うことにしました。)


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