視点の図

視点の話

先日友人の美容師に髪をカットしてもらった時に、一般的に認識されている青と色盲がある人の青が違うという話題がでました。あの画家のゴッホも色盲であったのではないかと言われており、色盲だからこそ『ひまわり』など彼独特の表現ができたのではないかという人もいるようです。見える世界が違えば、表現もそれに従って変わるのでしょうね。

以前、『勉強すること=言葉を覚えること』で、ぼくらはそれぞれ持っている言葉が違うという話をしました。当然言葉が違えば、また言葉の量が違えば、考える時に使う言葉が変わってきます。つまり人によって、考え方やものの見え方が違うのは当たり前なんです。似ていることはあっても、どこかに違いがあるもんです。

言葉の違いは視点の違いにつながります。また視覚による世界の見え方の違いだって、視点の違いにつながるでしょう。自分の見え方を通して、それを言葉に変換し、ぼくらは基本的に物事を捉えているからです。そんな意味でも、ぼくらが認識している世界というのは、やっぱり自分が起点になって認識していると言えます。

少人数の世界で生きていると、言葉の流通はそのグループだけで完結します。つまり言葉の量や種類の共有量はそのグループでは多いわけです。共有された言葉が多いグループや関係では言葉を使わないコミュニケーションが成り立ちやすいです。その反対に様々な言葉が集まる場所、不特定多数の地域や人が集まる場所ではたとえそれが同じ言語であっても、言葉に相違点が出てきます。そうなると同じ単語でも意味が変わることがあります。例えば、石川県民は金沢大学を「キンダイ」と呼びますが、関西で「キンダイ」と言えば「近畿大学」になります。地域によってはこんな違いもでてきます。

また、ぼくらは自分の網膜でとらえたことを認識することはできるけれど、となりの人がそれをどんな風に見ているかはわからないですよね。さらに言葉だってそれぞれ持っている物が違う。実際には会ったこともない人とインターネットで関係を持てる今の時代、共有している言葉が全く違う人と接する機会って急激に増えていると思います。そんな世界でぼくらが知っておいたほうが良いことは「みんな違う」ということです。

自分と違う視点があることを知ると、仕事をする上でも作品を制作する上でも必ず役に立ちます。今の自分の課題を別の視点から見れば、気が付かなかった問題や課題が見えることがあります。自分の仕事や作品に行き詰まった時、まったく別の分野の人と話をすると突破口が見えることがあります。深く深く掘り下げていく深化も当然大事ですが、時には穴から出て外側から自分が掘り下げたものを見ることも大事です。なぜならそこには発見があるからです。

自分と違う視点があることを知ることは、多様性を感じることだと思います。多様性を感じて受け入れることは自分の意見や信念を曲げることではありません。一見球体に見えるものだって、別の視点から見れば、球体ではなくて球体に立方体がくっついたものかもしれません。物事をどう捉えて理解するかは人それぞれなのです。

レポートの作成、または作品の作成で何かを調べるとき、自分とは違う意見にも触れてみてください。別の視点から物事を見ることができれば、きっと作品制作に活かせる「何か」を掴むことができると思います。

読んでくださり、ありがとうございます! 次回の更新は9月22日(火)です。よろしくお願いします。


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