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言葉とコミュニケーション

言葉で伝えるということについて最近よく考えている。

同じ言葉でも相手に伝わらないことは結構ある。文脈とかで伝わらないケースとそもそも単語の意味が相手と自分で違うこともある。そんな時、多くの人は「そんな意味で言ったわけじゃない」と言う。じゃあ、どんな意味で言ったのかを説明したって、大体は相手に伝わらない。最初に受け取った言葉の意味が鎖となってその人を縛るからだ。

僕らが毎日発する言葉には、その音の中に意味が含まれている。発した言葉の意味が相手と共通であれば伝わりやすいし、相違していれば相手にこちらの意図は伝わらない。

さて、この言葉が持つ意味の相違が起こるのはなぜだろう?
僕はそれぞれが持つフレーム(枠組みや前提、常識など)が異なるからじゃないかと考えている。僕らはそれぞれの国や地域でそれぞれ違った慣習の中に生きている。また各家庭でもそれぞれ違った習慣や文化がある。これらの慣習、習慣、文化が僕らそれぞれのフレームを作っている。ここで注意しなくちゃいけないのは、同じ家に住む家族だからと言って、異なるフレームを持っているということ。人間が集まって生まれたグループごとにフレームが生まれるから、家族であっても所属しているグループによって違うフレームを持っている。また、僕らにはそれぞれ好き嫌いがある。この好き嫌いというフレームも当然、そのほかのフレームに影響を与えるし、どんな知識を持っているかも個人のフレーム形成には大きな影響を与える。

僕らは共通のフレームを持っていることがあるけれど、すべて誰かと共通であるわけではなく、共通のものもあれば異なるものもあるのだ。その最たるものが「差別」だろう。僕らは肌の色や違う言語、違う文化の人に構えてしまうことがある。それは相手のフレームと自分のフレームが違うと感じるからだ。相手がどんなフレームを持っているかわからない場合、人は恐怖を感じることがある。恐怖への対処方法はその人がどんなフレームを持っているのかによって変わる。暴力で相手を無力化しようとすることもあれば、逃げ出す場合もあるし、相手に話しかけてどんなフレームを持っているのか確認することもある。

フレームとはそのグループに所属するメンバーの人間関係を基盤に作られていく。グループの方向性やルール、習慣なども人間関係から形作られていく。すでに形作られているグループに新しく参加する場合は、そのグループのフレームを知り、適応しなくちゃいけない。例えば新卒で入社する会社、または転職や転勤、転属などもそうだし、学校を転校することや結婚や離婚、彼氏彼女の関係なんかもそう。フレームが合わないとやっていけないし、時にはお互いに歩みよって新しいフレームを作る作業を行うこともある。

つまり、僕らは自分が持つフレームを通して相手の言葉を受け取り、自分が持つフレームを通して相手に言葉を発しているわけだ。なんか伝わってないなって時は、相手と自分のフレームが違うことを意識すると、こちらのフレームを伝えたり、相手のフレームを確認できるようになる。そんなところも含めてコミュニケーションなんだと思う。


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