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『ぼくらワールド解体新書』(16)交易とお金

農耕技術が向上し、人口がふえ各地に都市国家や国ができると、いろいろな商品が都市と都市の間を行き来するようになりました。

都市と都市のあいだを商品を運びながらつないだのは、遊牧民です。遊牧民は家畜をつれて移動し生活をしています。遊牧民は都市の住人へミルクやチーズ、毛皮、家畜の肉などを提供し、都市の商人から穀物や布、銀や金、青銅、鉄などを含め商品を購入していました。こうしてまた家畜をつれて移動し、別の都市へ立ちより、そこでまた商品を売ったり買ったりして商品を都市から都市へ運んでいました。

こうした農耕民と遊牧民・狩猟採集民の交流から、農作物や農耕などの技術、毛皮や象牙などの貴重品が他の都市や国へ伝わっていったのです。

たとえばユーラシアの遊牧民は宗教や冶金技術、その他商品を地中海とインド、中国の間で運んでいました。


そして時代がたつにつれてそこに商人が入ってきます。商人によって農耕都市と都市国家、国が結ばれていきます。商人は陸だけでなく海にも進出していきます。


アケメネス朝ペルシアやローマ帝国、中国では秦など帝国が生まれてから街道が整備され、また領土拡大によって中国を中心とした東アジアと地中海世界がつながりやすくなりました。秦が滅び漢の時代になると、オアシス経由で漢とローマ帝国などの地中海世界は交易でつながっていきます。

参考文献:武光誠『「地形」で読み解く世界史の謎』(PHP文庫)


各都市間での交易がさかんになると、都市内での商品取引もさかんになります。今では硬貨や紙幣、クレジットカードやデビットカードなどのお金をつかいますが、都市国家や国が生まれた当初は大麦や金、銀などの鉱物、牛が貨幣として利用されていました。

しかし、大麦や銀、青銅などは重さや純度で価値をはからなければいけませんでした。牛だってその価値は一定ではなく、お金として非常に使いづらかったのでしょう。そこで金貨や銀貨など、どれも同じ価値をもつ貨幣(お金)を作って商品価値を測るモノサシとして利用するようになりました。

貨幣で世界最古と確認されているものは現在のトルコにあったリディアで作られたものです。リディアでは紀元前650年ごろに、金と銀の天然合金であるエレクトルムをつかった貨幣が発明されました。片側には当時の王様ギュゲス王の獅子の記章が押され、その反対側には重さと純度を証明する記しが打ち込まれていました。

紀元前7世紀にはインドのマガタ王国で刻印が押された銀の貨幣が登場しています。

こうした商業の発展や交易の発展は商品や人だけでなく、病気を運ぶこともありました。ということで次回は病気、つまり感染症について見ていこうとおもいます。

それでは、また次回!




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