サポーターと消費者の狭間を浮遊する

日曜は簡単に。

久しぶりにセレッソ大阪のホーム戦に行ってきた。

最下位の湘南ベルマーレを相手にしながらも、前半からディフェンスラインの裏をかかれ、後半30分を超えるとセットプレーから失点。その後も失点を重ね、攻撃は断ち切られるという、なんともアレな結果に終わった。

会場はブーイングが吹き荒れ、途中で帰る人も続出する。かくいう僕もヨドコウからの帰り道が遠かった……

あるドラマで錦戸亮が「日本中どこに行っても選挙とパチンコがある」と言っていたが、サッカーも日本中(というか世界中)どこにいっても存在している。出身地である青森県にはラインメール青森(JFL)があり、南部まで拡げるとヴァンラーレ八戸(J3)があり、地元の弘前市にはブランデュー弘前(地域リーグ)がある。現在の僕にとってのホームは東大阪市のFC大阪だ(なお都道府県リーグには東大阪FCというチームがある)。それゆえにFC大阪が応援の中心となっていく。結果的にJ1のセレッソ大阪は、電車乗り継ぎで40分ほどでスタジアムに到着するにもかかかわず、「遠方」のイメージが付与される。結果として「応援しているが、どこか他人事」という心理が醸成される。

たまにスタジアムに行き、勝利を見られなかったから悪態をつく——この心理は完全に「消費者」のものだ。そこ見出されるのは、予算や負担と天秤にかけ、自分の快楽をかすめ取ろうとする思惑に他ならない。ここからあの「コスパ」の概念が形作られる。大量消費社会に身を置きながら、消費者マインドを批判するほど世間知らずではない。だが時としてコスパ度外視で接していたはずのものを「かすめ取ろう」としていたことを自覚する。

敗北から一夜明け、勝利への渇望が芽生えてくる。どうやら僕の心は未だにセレッソ大阪に向かっている。たまに観戦に行ったときに安易な勝利が得られることこそが、自身を「消費者」へ変質させる。敗北は試練であり、救いなのだ。

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