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現世に課された宿題を知った時

photo by: congerdesign

―人はそれぞれ、現世での課題を背負っているらしい

今から10年以上前の話。
私は新卒入社した会社を飛び出した。

当時はまだ就職氷河期だった。
やっとの思いで決まった会社を自分から辞めてしまった。

いつも決まった時間に出社して
決められた仕事をすることが苦痛だった。

自分はゆるゆると仕事をし、
空いた時間で音楽や友人たちとの語らいができればそれでよかった。

しかし自分の思惑とは裏腹に勝手にポジションが上がっていき、
いつのまにか重要な仕事を振られ、
仕事だけの生活になってしまったことが耐えられなかった。

これなら貧乏している方がマシだと思い、飛び出した。
実家にも帰らなかった。自分の判断で辞めた。
その責任は取るつもりだった。

その日から私は作曲に精を出した。
当時付き合っていた彼女とも別れた。
私のような浮草に、現実に則して頑張っている彼女はもったいないと思った。

作曲と、友との語らいを存分に楽しんだ。
就職して以来、初めて生きている実感があった。
しかしすぐに資金は無くなっていった。

だんだんと、現世に生きることがどうでも良くなっていった。
あんなに仕事に殉じて辛い思いをして自分を押し殺さないと生きていけないのであれば自分は淘汰されるべき命なのだ、と思った。

振込が滞り、電気とガスが止まってしまった。
金がなかったわけじゃない。
ただこの時、「能動的に」「積極的に」生きるのが嫌だった。
人らしく生きることを諦めていた。

米は備蓄していたが炊く手段がなかった。
試しに水につけてしばらくほっといたが、全く柔らかくならなかった。
そのまま食べてみたが未消化のまま吐き出した。

自分はきっと、このまま死ぬんだろうと思った。
もしここで死んだとしても、それは現世で私がやるべき修行は終わったからだ。そう思い、覚悟をしていた。

最後に街を見納めしようと思い、近所を歩いてみた。
夕方になる前の、小学生が家路につくような時間帯。

近所のスーパーの前を差し掛かった。
ああ、このスーパーはよく利用したな、などと感慨に耽っている。
腹の虫がうるさくがなりたてる。

どのくらいそうしていたのか分からない。
ふと声をかけられ、その声を目で追いかける。

「おなか空かせてるみたいだから良かったらこれを食べて」
とレジ袋を差し出すおじさんが一人。
訊くと最近赴任してきた店長だという。

「捨てるつもりだったから遠慮しないで。
おなかが空いていると何もできないからね。ちゃんと食べなよ」
といって店の中へと去っていった。

袋の中はスーパーでよく見かける手巻き寿司だった。
私は久々の人間らしい食事にありつけた。

そこで思い知った。
自分にはまだ、現世でやるべき課題があること。
人に活かされたのであれば、おそらく人との関わりの中にある
何らかの課題が示されているのではないか、と。

そのことをきっかけに社会復帰を果たし、
今日まで生きてこられた。

人生何が起こるか分からない。
ふとした出来事で人生観が変わることもあるんだな、という実体験だ。

あのとき、色んな偶然が重なったことで知り得た自分の宿題。
今もまだその課題に取り組んでいる最中だ。

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