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【day16】嫌いって感情は別に悪いことじゃない

こんにちは、グミ(@gumi_yoshida)です。

もう梅雨を通り越して夏みたいな暑さ。
今日は羽織を取ったらノースリーブです。サマー・ハズ・カム!
今週末まるっと衣替えしようと思ってたけれど、早めにやらないとですね🏃‍♀️

スキとかキライとか

さてさて、今日は「好きと嫌い」についてです。

突然ですが、学生時代の私は八方美人でした。
勉強もスポーツも人間関係も、なんとーくうまくやって、なんとなーくこなして。これ、非・長男長女あるあるだと思うんですけど、上を見て育ってるからちょっぴり要領がいいんですよね😂

生活するなかで、苦手だなぁと思うことはあっても、何事も嫌いまでにはいかないレベル。なんとーくうまいことやれちゃうからです。なので、表立って誰かと対立したりいがみ合うってことも、記憶の限り一回もないんじゃないかな?と思います。

でもね、裏返すと、強い「好き!」という感情もあまり待ち合わせていませんでした。色々試しましたが、何かに心酔するまでの事柄ってパッと思い出せないんですよね。(一時的なブームや瞬間的な熱狂はあります)

まぁそれはそれでとても平和なのですが、可もなく不可もない平均的をとっていくのはなんだか面白みに欠けていました。

そんな中、海外生活や外国人と働いたことは、大きな転機になりました。

みんなYes/Noがはっきりして意思があるし、よく言い合ってるし、「What do you think?」って日常茶飯事で聞かれるし。笑

ならばと思って思い切って考えていることを伝えると、「OK、あなたはそういう価値観なのね」と受け止めてくれる感覚がありました。

その時に、私自身はその事象に対してどういう感情を抱いているのか、自分なりの答えを持っていいし、伝えてもちゃんと受け入れられるんだ、と経験値として強く感じることができました。

これまで、「嫌い」ではなく「苦手」とぼんやり輪郭をなくすことによって、波風立てずにやっていこうとする節がありました。どこかで、嫌いという0-100の感情はいけないものだと思い込んでいたのです。

でも、嫌いとは必ずしも否定語ではなくひとつの意見である、と教えてくれたのは大きな学びでした。

好きと嫌いは表裏一体

この一連の流れでの発見があります。

それは、好きと嫌いは反する物事のようでリンクしているということです。

嫌いという感情を持ってもいいんだ、という自我が芽生えた瞬間、好きなものが浮き彫りになってきました。圧倒的に好きだと思えるものが、身の回りにどんどん増えていったのです。そして、徐々に、堂々と好きなものを好き!と他人に言えるようになってもいきました。面白い変化ですよね。

私はこれを「思考のチューニング」と呼んでいて、輪郭がぼんやりしたグレーゾーンを無くす作業をすることで、価値観がすっきりとしてくるような気がしているんです。これまでなんとなくで付き合ってきたものが、実は嫌いだったとわかれば、一つ選択肢はなくなります。すきだとわかれば選択肢が生まれます。グレーゾーンにいて判断出来ない事柄が多いと困惑しますが、選択肢が減ったり可視化されると、そのぶん迷いが減るので少し生きやすくなってくるのです。


目の前にある全部受け入れて好きにならなくちゃいけない事はないし、嫌いという感情を持つことは必ずしも悪しきものでもありません。

この考えは全てのシーンで適応になるものではありませんが、こういう考え方がフィットする場面もあるよな〜と思ったので、今日はちょっと書いてみました☺️チャンチャン


👇全記事こちらからよめますっ

https://note.com/gumi_y/m/maef936bfd567



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